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子や孫の代までの繁栄を手助けする 目標は1000のソーシャルビジネス

私の海外サバイバル
犬井智朗さん

■私のON

農家にサービスを一括提供する「アグリセンター」

事業の構想を練って、本格的にスタートしたのは2018年4月。現在、シャン州ニャウンシュエ郊外の二つのセンターを設けて、約3千の農家にサービスを提供しています。

ミャンマーの農村部は交通アクセスが悪く、情報やモノなどにおいて非常に大きな格差が生じていました。農家は地元のブローカーに依存せざるを得ず、月5~10%といった高い利息でお金を借りたり、高額の肥料を買わされたり。偽物の農薬が出回り、新しい技術や栽培方法といった情報も手に入らない。年収が10万円に満たず、多くの子どもが中学や高校を出るとビザやパスポートもない状態でタイや中国に出稼ぎに行っています。

農家が貧困から抜け出すためには、包括的な課題解決に取り組むアグリセンターが必要だと考えました。

会員になると、無担保の低い利子で小口融資を受けられるほか、肥料のデリバリーや技術アドバイス、現地でのワークショップなどすべてのサービスを一括して受けられます。会員料はありません。ただ一つ、僕たちが自社生産している有機肥料を購入して使ってもらうことが条件です。今の農家だけが幸せになればいいのではなく、子や孫の世代まで良い土地を残して持続的に繁栄していこう、という思いからです。

農業のソーシャルビジネスに取り組む犬井智朗さん(右から二人目)

事業を理解してもらうのは簡単ではありません。全く知らない村に「こんにちは」と行って、事業の説明をするのですが、誰もやったことがないのでなかなか伝わらない。一番最初の村では、説明した後に参加を希望するか聞いたら、全員が手を上げてくれた。3カ月間練り上げたモデルが「はまった!」と思って、すごく幸せな気分で帰ったのですが、翌日行くと、「え、何の話?」と(笑)。「昨日は何を言っているのか、よくわからなかった」と言うのです。それでも、要望を聞きながら内容を修正して何度も通い続けると、「もう、こんなに来てくれるんだったら、やるよ」みたいな感じになって始められました。いつも一もんちゃくありながら、でも「負けちゃいけない」と、村の扉をたたいてやっている感じです。

農家に事業の説明をする様子

ミャンマーで起業したきっかけは、大学1年で出会ったミャンマー人の男性です。1988年の民主化運動に参加して、政治的な迫害を受けて、難民として来日していました。軍事政権に対抗して、仲間が拷問されたり殺されたりしても、「世界は変わるんだ」と活動するパワーに衝撃を受けました。

その年、彼と一緒に、独立をめぐる内戦から逃れたカレン族の難民キャンプに行きました。竹と木で作ったぼろぼろの家、外に出ることも仕事をすることも許されない監獄にいるような生活……。今まで自分の人生を自分で選んで生きてきた自分と、生まれたときから選択することを許されず、そこで生活するしかない彼らとのあまりの違いにがくぜんとしました。

学生時代は毎年休みのたびに一人で難民キャンプを訪ねて2、3カ月滞在し、留学した米国でも日本でもカレンの人と一緒に生活したり苦楽をともにしました。でも、どこにいても、彼らが心から本当に「幸せだ」と言う声は聞けなかった。

彼らが本当に幸せだと思える社会を作りたい。「彼らのため」ではなく、「彼らと一緒に」という道を考えたとき、ソーシャルビジネスが一番いいと思いました。

農家と話し合うボーダレス・リンクのスタッフ

ミャンマーで起業するため、2016年にボーダレス・ジャパンに入りました。トルコのシリア難民向け事業などに携わりながら、一つの民族だけが幸せになればいいのではなく、すべての民族が一緒に発展していくような形をつくらないといけない、と考えるようになりました。

農業事業はさらに広げていきたいと思いますが、ミャンマーには一つの事業だけでは解決できない多様な問題がある。将来は、ミャンマーの中で起業したいという人たちをサポートする起業家のプラットフォームをつくって、1000のソーシャルビジネスを育てたいと思っています。

■私のOFF

昨年3月にミャンマーの女性と結婚し、半年前に長男が生まれました。村に小さい土地を買い、竹と木で造った家で一緒に暮らしています。休日には、畑を耕したり敷地内に木を植えたりして、自然と触れあいながら生活しています。

長い休みのときは、今でもカレン州の村やタイ国境にある難民キャンプに行って、友だちとサッカーをしたり、滝に遊びに行ったりしています。

多民族国家のミャンマーでは、民族によって性格も全然違うと感じます。今住んでいるシャン州のパオ族の人は温厚。

一方、カレン族の人は、政治的に安定せず、軍人が多いというのもありますが、パワフルで口がたつ。「ミャンマーの関西人」みたいな感じです。話していると、「けんかしているみたい」とよく言われます。気性は荒いですが、すっきりしていて、僕にはあっています。

カレンの難民の人たちとの出会いが今でも僕の人生の中心になっている。本当に第二の故郷だと思っています。難民キャンプに行く際は、今でも小競り合いがあるので場所とタイミングは選ばなけばいけませんが、「行こう」と思ったときに行けるというのが、どこかで心のセーフティーネットになっています。(構成・中村靖三郎)

ソーシャルビジネスでサービスを提供する農家と犬井智朗さん(後列右から4人目)