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病院建設現場で怒り爆発させた金正恩氏 いつものカミナリと少し違う、その意味

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平壌総合病院を視察する金正恩氏。朝鮮中央通信が7月20日に伝えた=労働新聞ホームページから

平壌総合病院の建設は3月、自ら着工式に臨んだ金正恩氏が「今年の闘争課題の中でも最も重要で最も誇り高い課題」と位置づけた事業だ。正恩氏はその際、10月10日の党創建75周年まで、わずか7カ月間の工期での完成を厳命した。

だが、今月20日の朝鮮中央通信報道によれば、建設現場を訪れた正恩氏は「設備、資材の供給が政策的に甚だしく脱線し、人民に負担をかけている」と激怒した。「このままでは、党のイメージに泥を塗りかねない」とし、建設の責任者らの交代を指示した。

正恩氏の怒りの背景は何だったのか。

関係国の情報関係筋や脱北者らの証言によれば、正恩氏が触れたとおり、病院建設に必要な資材の供給が滞っている。突貫工事で外壁などはどうにか形になってきたが、内装は手つかずのままだ。新型コロナウイルスの重症患者治療で話題になった陰圧室や集中治療室なども必要になる。

ところが、北朝鮮ではこうした医療用の設備が十分とは言えない。北朝鮮が現在進めている両江道(リャンガンド)三池淵郡(サムジヨングン)開発でも、医療器具が調達できず、中国やベトナムの在外公館に医療用ベッド100床を調達して本国に送るよう指示している。

だが、北朝鮮は新型コロナの感染拡大を防ぐため、1月末から国境を封鎖した。緊急物資の受け入れは行っているが、通常の貿易活動はストップし、北朝鮮の外貨稼ぎに深刻な影響が出ている。関係筋の一人は「10月10日までに外観はそれらしくできるかもしれない。だが、病院として機能する見通しは全く立っていない」と語る。

朝鮮中央通信が7月20日に配信した平壌総合病院の建設現場=労働新聞ホームページから

そして、病院建設事業は平壌市民に大きな負担になっている。北朝鮮当局は建設資金として、貿易機関で働く人々には1人あたり50ドル(約5300円)を忠誠資金として拠出するよう指示した。一般市民に対しては、世帯ごとに2カ月に1度、建設労働者に食糧を提供するよう求めた。提供する内容は、1回あたり、穀物1キロ、肉や魚のおかずなど、計10項目に及び、市民たちは「税外税負担だ」と怒っているという。

そもそも、むちゃな計画だった。金正恩氏は元々、党創建75周年を飾る記念事業として、日本海側の元山葛麻(ウォンサンカルマ)海岸観光地区や三池淵郡の開発を目指してきた。だが、朝日新聞が入手した昨秋の同観光地区の建設現場写真によれば、建物は外観が完成した程度で内装工事はほとんど進んでいなかった。平壌総合病院は制裁などによる経済の苦境下で、急きょ代案として出てきた事業だった。

2019年秋撮影された元山葛麻海岸観光地区の建設現場=北朝鮮関係筋提供

だが、日本の医療関係者は「日本でも大規模な総合病院を建設する場合、超特急でやっても3年かかる。7カ月などあり得ない」と指摘する。医師や看護師、検査技師などの育成にも時間がかかるほか、MRI(磁気共鳴画像装置)やCT(コンピューター断層撮影装置)などは、北朝鮮の技術では生産できないという。

北朝鮮関係筋は、むちゃな計画の背景には「体制の緩み」があると指摘する。

正恩氏は政権運営能力が不足していることのコンプレックスから、周囲に過剰な忠誠心を要求する。金正恩氏が権力を継承して8年半だが、軍総参謀長は交代を繰り返し、現在の朴正天(パクジョンチョン)氏で、のべ7人目の起用だ。側近たちも「現実可能なプラン」よりも、「正恩氏が気に入るプラン」を提案することに躍起になる過剰な忠誠競争がみられるという。

そして、「白頭山ピョラク(カミナリ)」と呼ばれるほど、正恩氏の短気な性格は有名だ。側近たちは粛清を恐れ、正恩氏に真実を伝えることを恐れている。いわゆる裸の王様状態になっているという。

朝鮮中央通信によれば、正恩氏はこれまでもたびたび、公開の席上でカミナリを落としてきた。12年5月に万景台遊園地、15年9月に平壌のスッポン養殖工場、18年7月に咸鏡北道の漁郎川(オランチョン)発電所や清津(チョンジン)にあるカバン工場などの視察でたびたび、工期の遅れや管理不行き届きなどを理由に幹部らを叱責した。

元山葛麻海岸観光地区の建設現場を視察する金正恩氏(中央)。2019年4月6日に朝鮮中央通信が配信した=労働新聞ホームページから

しかし、今回の平壌総合病院の場合は趣が異なる。

第一に、平壌総合病院は金正恩氏自らが3月の着工式で演説した「肝いり事業」だ。わずか4カ月で、自分の見通しが甘かったと認めているのに等しい。在京外交筋の一人は「民主主義社会なら、私に責任があると謝罪すれば良いが、北朝鮮の最高指導者は神だからそれはできない。スケープゴートを作って、市民の不満を和らげるしかなかったのだろう」と語る。

そして第二に、北朝鮮の最高指導者の伝統的な政治手法である現地指導の変質だ。現地指導は従来、難航している事業のテコ入れとして行われ、それが最高指導者の権威を高めることにつながってきた。

金日成主席の時代、側近がジュラルミンケースを持ち歩き、現場の陳情を聞いた金主席が、そこから現金をばらまいた。各機関からは自然に、現地指導を望む声が相次いだ。金正日総書記の時代も資金提供の規模は小さくなったが、兵士一人ずつにカップラーメンを1箱ずつ配るなど、指導者の慈愛を強調する場所として活用していた。

北朝鮮関係筋の一人によれば、今回、金正恩氏が平壌総合病院の現場に再び赴いたのは、市民たちの不満を抑えきれなくなった側近たちの要請を受けた可能性が高いという。「市民の怒りを静める目的で現地指導をせざるを得ないのは、北朝鮮の体制が緩んでいる証拠だ」と語る。

そして、冒頭触れた通り、朝鮮中央通信は26日、新型コロナウイルスへの感染が疑われる事件が19日に起きたと伝えた。北朝鮮は従来、感染者はゼロだと主張し続けてきたが、国際社会は信じていなかった。

日本政府は、正恩氏の公開活動が減少している事実や衛星が撮影した軍などの動きを捉えた画像、北朝鮮内の通信傍受などを総合した結果、北朝鮮が6月初めに一度感染拡大を抑え込んだものの、同月末ごろには再び感染が拡大し始めたと分析していた。関係者の1人は「根拠は言えないが、感染拡大は間違いない」と語る。北朝鮮が6月23日、突然韓国による挑発行動を停止した背景のひとつに新型コロナやアフリカ豚コレラ、パラチフスなどの伝染病の蔓延が関係しているという分析も出ていた。

北朝鮮が今回、新型コロナによる感染を認めた背景には、①国内で市民の不満や不安を抑えきれなくなった、②経済的にも疫学的にも独自の対策が限界に達し、国際的に支援を受ける必要に迫られた―などの理由が考えられる。

平壌の工事中の建物の後方にそびえる柳京ホテル=北朝鮮関係筋提供

ますます混迷の度合いを深めるなか、平壌総合病院も結局、外観だけ整えるだけで全く用をなさず、「幽霊ホテル」と呼ばれた平壌の柳京ホテルのようになるのかもしれない。元山葛麻海岸観光地区のホテル群も同様だ。その先に待っているのは、正恩氏に対する失政者としての烙印だろう。