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メルボルンはカフェめぐりが楽しい 移民の歴史を感じながら楽しむ一杯

At the Scene 現場を旅する 更新日: 公開日:
カフェの街として知られるメルボルン。背景には移民の歴史がある

メルボルン中心部のターミナル駅フリンダース・ストリート駅(①)を降りると、近くのデグレーブス・ストリート(②)に向かった。目当てはコーヒーだ。実はオーストラリアは独自のカフェ文化が発展し、「ショート・ブラック」(エスプレッソ)など独特の呼び名もあるほど。メルボルンも「カフェの街」として知られており、個性的な店が多いという。

細い路地は、左右にカフェが立ち並ぶ。通りの名前がついた「デグレーブス・エスプレッソ・バー」の席に座り、ざっとメニューをながめた。コーヒーの価格は5オーストラリアドル(約360円)弱。その中から、「ロング・ブラック」を注文した。エスプレッソをお湯で割ったもので、いわゆる「アメリカーノ」に似たものだという。私には十分、濃厚な味だった。

なぜこんなにカフェが多いのか。店員に尋ねると、「イタリア系の移民が多いからよ。近くの移民博物館(③)に寄ってみれば?」。

博物館では英国系や中国系、レバノン系など様々な移民の歴史が紹介されている。英国とアイルランドの流刑地だったオーストラリアへの移民が本格化したのは19世紀半ば。金鉱が見つかり、英国やアイルランド、中国などから多くの人が海を渡った。イタリアからの移民が増えたのは第2次世界大戦後。荒廃した祖国を離れ、新しい土地に夢を求めた。職員のロビン・エリス(55)は「北東部のサトウキビ収穫から始まり、ほかでも増えていった」という。1961年の国勢調査では約23万人と移民の約13%を占め、英国出身者に次いだ。

エリスに勧められ、1954年創業の「ペリグリーニ・エスプレッソ・バー」(④)を訪ねた。こぢんまりとした店内は、まるでイタリアのカフェ。陽気な店員ルカ・マルッツァ(25)は「我々が初めて、ここにコーヒーを持ち込んだのさ」と自慢げだ。メルボルンで最初にエスプレッソマシンを導入したという。常連客のミシェル・ジョーンズ(50)は「ここでコーヒーを飲むと、ローマやベネチアにいる気分になる」と笑った。

ペリグリーニ・エスプレッソ・バーの店内はイタリアの小さなカフェのような雰囲気が漂う=2020年3月15日、メルボルン、中川仁樹撮影

近くには中華街(⑤)があり、周囲には緑茶の店が目立つ。オーストラリアは19世紀後半から20世紀半ばまで、有色人種の移民を排斥する「白豪主義」を掲げ、移民の大半が欧州系の白人だった。撤廃後の1970年代からアジア系が増え、2016年には中国生まれが第3位の約50万人、インド出身も第4位の約45万人にのぼった。彼らが近年の経済成長を支えたのは間違いない。ただ、都市部が過密化し、不動産価格の上昇などを招いているとして、政府は昨年3月、永住権を与える移民の受け入れ枠を3万人減の年16万人にする方針を発表した。

メルボルン中心部の中華街。新型コロナウイルスの感染問題が影響し、3月半ばはがらがらだった=2020年3月16日、メルボルン、中川仁樹撮影

中国茶の店でジャスミン茶をテイクアウトした。あっさりした味が懐かしかった。次に来る時には、別の味を楽しめるのだろうか。多様な人々が行き交う通りで、街の未来に思いをはせた。(中川仁樹)

■ボリューム満点ピザ風チキン

やっぱり料理はオージービーフか。そんな私の先入観を吹き飛ばすように、何人ものオーストラリア人に勧められたのが「チキン・パルミジャーナ」。略してパルマと呼ばれる料理だ。イタリア系移民から広がり、いまではパブの定番料理になったという。これを食べない選択肢はないと、人気店の「ミセス・パルマス」(⑦)へ向かった。

チキン・パルミジャーナが人気の「ミセス・パルマス」。中にはバーカウンターがあり、パブの雰囲気が漂う=2020年3月15日、メルボルン、中川仁樹撮影

店内に入るとバーカウンターがあり、まさにビールを楽しむパブの雰囲気。店員のハンナにパルマのメニューを頼むと、「うちのはおいしいよ」と席に案内してくれた。価格は、サラダとフライドポテト付きで27.5オーストラリアドル(約2000円)。チキンを子牛やナスに変更できるほか、マッシュルームやチリコンカンなどのトッピングもできる。出てきたパルマは、30センチほどの大きさのチキンカツの上にチーズがたっぷり。食べてみると、まるで生地がチキンのピザ。大きく見えたが、あっという間に完食。オーストラリアでの楽しみがまた一つ増えた。

ピザ風チキン「チキン・パルミジャーナ」=中川仁樹撮影

■かつての臨時首都

1901年に植民地が連合してオーストラリア連邦が誕生したとき、国内で最も人口が多い都市がメルボルンだった。シドニーとの間で決着がつかず、首都は中間に位置するキャンベラになったが、一時は臨時首都が置かれた。最大の都市の座はすぐにシドニーに奪われたが、いまもテニスの四大大会の一つやF1GPを開催するなど存在感は負けていない。

■国内最古の駅と図書館

オーストラリアで最古の駅が1854年開業のフリンダース・ストリート駅。世界で最も利用客が多い時期もあったという。美しい駅舎の入り口に飾られた時計は、各線の発車時刻を示しており、待ち合わせスポットになっている。一方、ビクトリア州立図書館(⑥)も1854年設立の最も古い公共図書館。吹き抜けの空間と放射状に置かれた机が美しく、観光客も多い。

オーストラリアで最も古い駅、フリンダース・ストリート駅=2020年3月16日午前9時49分、メルボルン、中川仁樹撮影