ロンドンでもトレンディーな地区として知られるイーストロンドンの狭いテラスハウス。その1世帯分をシェアする4人全員の長いテレワークの一日が、ようやく終わった。後は、「救いのメール」を待つだけだ。
その日は、弁護士見習いのルーシー・オーディバートから来た。「これから『アフトン・アームズ屋』でビールを1杯飲もうと思うけど、みなさんもいかが」
彼女はアナリストのビクター・トリコーのそばを通って階下へ向かった。メールにはまだ気付いていないようだが、合流するまでさしてかからないことは確かだ。
4人とも、すぐに裏庭にあるアフトン・アームズ屋に集まってくる。前の通りにちなんで付けられた名前だ。
少し前の週末には、そこで快活に10時間近く過ごした。英国伝統の居酒屋パブに見立てた飲み会コーナーを作ったのだった。
イスを組み合わせ、本気で仕上げた。(訳注=グラスを置けるように)電動ドリルを買って木板をきちんと固定し、屋号も付けた。
ビールを飲む1パイントグラスは、みんな持っていた。地元のパブから失敬するという昔ながらのしきたりが、ここで生きた。にぎやかなパブのBGMにする効果音もYouTubeで見つかった。
「看板も作ろうとしたけれど、いささか哀れっぽくなり過ぎる気がしてやめた」
2020年4月の土曜日の午後。日差しがきついほど降り注ぐ中で、大好きなインディア・ペール・エールタイプのブランドビール、ビーバータウン・ネックオイルをじっくりと味わいながら、オーディバートはこう振り返ってくれた。裏庭で一緒に飲んでいても人とソーシャルディスタンス(一定の距離)を保つ規則を破っているわけではない。4人は同居しているからだ。
「本物のパブのようにはいかないよ。でも、気分だけでもパブを再現しようとしているんだとトリコーは笑う。
世界中に新型コロナが広がる中、かび臭い店内で、きれいに洗われていないグラスを友人とともに傾けることなんて、優先順位は低かった。でも、その扱いは、決して容易なことではなかった。
ささいなことに見えるかもしれないが、パブを強制的に閉じるのは、英国では前代未聞のことだった。この国の歴史上、パブの完全閉鎖は一度も起きていないからだ。
「これが、いかに異常なことかは分かっている。パブに行くという、英国民の誰もが持つ、奪うことができない昔からの権利を取り上げることになるのだから」――ジョンソン英首相は20年3月20日、全てのパブやレストラン、バー、カフェの閉鎖を発表したときにこう述べている(その3日前。人が多く集まるパブなどの社交場には行かないよう、首相は要請していた。でも、「任意のお願い」では、首相自身の父親が「パブに行く必要があると思えば、もちろん行くよ」と答えるような有り様だった)。
20世紀にあった二つの世界大戦ですら、パブを閉じさせることはできなかった。
厳密には、「両大戦中にビールが品薄になり、それでパブが閉まったことはあった」と英国のパブ文化と酒の消費について、何冊かの本を出している歴史家のポール・ジェニングスは指摘する。さらにさかのぼれば、1665年にペストが大流行した際に、その中心地となったロンドンでは何軒かのパブが閉店したかもしれない。しかし、「今回のように全てのパブを閉めたことはなかった」。
パブは、もともとは24時間営業だった。それが、19世紀の初めになると、日曜日の礼拝時には閉めるようになり、第1次世界大戦で大きく変わった、とジェニングスは語る。酩酊(めいてい)社会の存在が、戦争の遂行を妨げていると政府が主張するようになったからだ(「実態は、多分そうではなかった」とジェニングスは見ているのだが)。
このため、少なくとも昼近くになるまでは開店できなくなった。午後も一定時間閉め、夜9時ごろには閉店させられた。「朝6時の1パイント」を引っかけて仕事にいく習慣は、このときに途絶えた。
第2次大戦中も、パブの営業時間はたいして変わらなかった。戦時中の首相だったチャーチルは、「ビールを切らさないよう努めた」とジェニングス。「国民の士気に関わると考えていた」
1980年代には、新自由主義を掲げるサッチャー首相のもとで、営業時間の規制が徐々に緩和され、パブは再び終日営業できるようになった。
現在は、営業許可を申請する際に、営業時間について地元当局とパブ側が申し合わせをしており、ほとんどは午前0時に店を閉めている。
1杯か10杯かはともかく、年をとっても午後ともなれば飲み続ける男ども――そんなパブ文化の原点は、時代とともに変わった。パブには今、女性がいれば、子供もいる。多くの店が今は、飲み物以上とはいわないまでも食事にも同等の力を入れている。ロースト肉を中心とした英料理の定番「サンデーロースト」が出される場は、家庭の食卓からパブへと移った。
数々の逸話を産んできた英国の「飲む文化」が失われてしまうと嘆くのは簡単だが、全国のパブの経営者と従業員にとっては深刻な問題だ。
英国には、4万8千軒のパブがある。そこで働く約45万人は、いつ復帰できるかも分からぬまま、職を失ってしまった(閉鎖措置をどうするか、政府は近々再検討するとしてはいるが)。
今のところ、パブは持ち帰り用の食事を売ることはできるが、酒の方は認められていない。
「人生で最悪のときだ」とロージー・ウィーズマンは眉をひそめる。イーストロンドンのパブ「スコルトヘッド」のオーナーをこの11年間、兄弟とともに務めてきたが、40人の従業員を一時解雇せねばならなかった。
リシ・スナック英財務相は、月約2900ドルを上限として被雇用者の給与の80%を補填(ほてん)する10億ドルの救済策を発表した。ただし、雇用を継続しているといった条件があり、ウィーズマンら多くのパブのオーナーは支給の対象にはなっていない。
「今月(20年4月)の給与をみんなに支払うには、3万ポンド(約3万7千ドル)が必要だが、銀行の口座には1カ月分の給与相当額も残っていない」とウィーズマンは話す。このため、2週間前に銀行で融資を申請したばかりだ。
多くのパブは、新たな収入源を必死に探している。バーチャル・パブクイズ、自分で醸造する教室をネットで開催、終日の持ち帰り専用レストランへ業務……。ただし、ウィーズマンの試算では、食事だけを売っても、従業員の雇用を守るのに十分な収入を得ることは難しい。「ハンバーガーをいくつか作ったところで、売り上げには限りがある」
これをデリバリーアプリでさばこうとすれば、かなりの手数料を取られる。「すごくたくさん売らないと、採算ベースには届かない」
一番気がかりなのは、年配客の様子だ。店ではもうかなり長いこと、毎週火曜日に60歳以上の人を招いて気楽に交流する「自由クラブ」を開いてきた。映画を見たり、マーマレードを作ったり。参加者の幾人かにとっては、これが外出する唯一の機会になっていた。
「本当に孤独な暮らしぶりで、ギネスにありつければいいという飲み助とは大違い。これまで以上にずっと家に閉じこもるようになっている。すごく心配だ」
ロンドン北西部のピンナーにあるパブ「クイーンズヘッド」のオーナー、ショーン・ホワイトは店をたたむことにした。創業300年余の老舗だけに、感傷的にならざるを得ない。それにも増して重くのしかかってくるのは、英国のあちこちで起きるパブの廃業が、地域社会に与える影響だ。
「パブが1軒しかない小さな町や村が、いたるところにある」とホワイトは語る。
「そのパブがなくなれば、社会の構造そのもののが変わってしまうのだから」(抄訳)
(Allison McCann)©2020 The New York Times
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