『Little Fires Everywhere』は米オハイオ州の町に暮らす女性たちの人間模様を描いた小説だ。2017年9月の発表以降、ベストセラーリストの上位にランクインし続ける。俳優でプロデューサーのリース・ウィザースプーンらが映像化。3月から米動画配信サービスHuluでドラマの配信が始まり、改めて原作に注目が集まる。
舞台のシェイカー・ハイツは実在する町。1910年代ごろから米国で展開された計画都市で、公共サービスが充実し、緑豊かな公園が整備され、白人富裕層だけでなく、他の人種も人口の一定割合を占め、人種や階級による差別のない理想の町とされる。
主人公のひとり、エレナ・リチャードソンは、弁護士の夫をもつ2男2女の母親。地元紙の記者で、祖父の代からこの町に住む白人富裕層に属する。物語は98年、リチャードソン家の邸宅が火事で全焼する場面から始まる。消防士によれば、火元は家の複数箇所。行方不明の末娘による放火の疑いが高まる。
場面は火事の前年にさかのぼる。もうひとりの主人公、アーティストでシングルマザーのミアが15歳の娘と、エレナが所有する一戸建ての二
世帯住宅の2階に越してくる。白人富裕層と貧困家庭。何事も計画通りが信条のエレナと、自由に生きるアーティストのミア。各家庭で育つ異なる立場や価値観をもつ10代の子どもたちの交流も始まる。
その頃、エレナの幼なじみの白人女性で子どもに恵まれなかったリンダとその夫が、中国系の捨て子の女の子を預かり、養子縁組の手続きを進めていた。だが、町の中華料理店で働く女性が自分が母親だと名乗り出る。テレビの有名女性リポーターが報じ、町は騒然となる。夫妻は、子どもを捨てる貧しいシングルマザーより、自分たちが育てた方が女児は幸せになると主張し、人種問題も絡む親権裁判へと発展した。リポーターに密告したのがミアであると疑い始めたエレナは、謎に包まれたミアの過去を調べ始める。
登場人物が抱える秘密が複雑に交差しながら、結末となる冒頭の場面へと導かれていく。著者のイングは学者の両親をもつ中国系2世で、10歳の頃からシェイカー・ハイツで育った。米国における中国系米国人の立ち位置を描いた点でも注目を集めた。
■「野獣」という名の列車で、壮絶な逃避行
『American Dirt』(邦題:夕陽の道を北へゆけ)は、メキシコのアカプルコで書店を営んでいた女性リディアが、家族を惨殺され、8歳の息子ルカとともにアメリカを目指す、壮絶な逃避行を描いた作品だ。
物語は緊迫した場面から始まる。めいの15歳の誕生日を祝うため、家族でバーベキューパーティーをしていたその日、麻薬組織カルテルの殺し屋たちがリディアの家を急襲。夫と実の母親を含む家族16人が惨殺された。屋内にいたリディアとルカは狭いシャワーブースの陰で難を逃れた。リディアの夫はジャーナリストで、カルテルのボスに関する詳細な記事を新聞に寄稿していた。それに対する報復であるのは明らかだった。
カルテルのボスであるハビエルは、リディアの書店の常連客で、文学の話をし合う友人でもあった。記事が公になる少し前、リディアは、夫のファイルにあった写真からハビエルがカルテルのボスであることに気づいた。だが、記事の内容はハビエルを中傷するものではなかったため、夫婦は話し合いの末、結局、匿名で記事を公開した。その報復措置であるのは明らかだった。
警察が立ち去ると、すぐにリディアはルカを連れて家を出る。カルテルはメキシコ全土にもおよぶ強大な権力をもつ組織で、警察も軍隊も政治家もその支配下にある。誰も信用できなかった。人目を避けながら徒歩で町に向かい、路線バスを乗り継いで、町外れのホテルに泊まった。だが、明け方、リディアの元にハビエルからのメッセージが届く。このままではふたりとも必ず殺される。リディアは、メキシコを縦断し、アメリカに逃れることを決意する。
検問におびえながら長距離バスで北へ向かい、夫の友人夫妻の助けを得てメキシコ市までたどり着く。ルカの出生証明書をもっていないため、飛行機には乗れなかった。所持金も減ってきていた。残された交通手段はメキシコを縦断する「ラ・ベスティア(野獣)」と呼ばれる貨物列車だけだった。貨物列車のため客車はない。人々は列車が速度を落とした時にコンテナに飛び乗り、しがみつきながら何百キロも移動する。毎年何百人もの移民が命を落としている危険な列車だった。メキシコ以外にも南米からの多くの移民が乗り合わせていた。夜は危険なため、夕方にはどこかの駅の近くで飛び降り、難民キャンプに泊まった。検問所で略奪もされた。ハビエルの組織がまだ自分を追っていることにも気づいた。
やがて貨物列車で知り合ったホンジュラス出身の十代の姉妹や、孤児の少年と行動をともにするようになった。アリゾナ州の南にある国境の町までたどり着き、国境を越える手助けをするガイド「コヨーテ」を雇った。その先には米国境警備隊の監視から逃れながら、気候の過酷なアリゾナ州の山岳地帯を約3日間歩き続けるという最後の試練が待っていた。
2016年ごろから再び麻薬組織間の抗争が激化したメキシコでは、殺人事件が増加し、治安が悪化している。同様に南米もからも多くの難民がアメリカを目指している。本書はフィクションではあるが、その難民たちの生の姿を伝える小説として発売前から注目を集めていた。
しかし一方で、この本の著者ジャニーン・カミンズが白人女性であることも問題になっていた。米国社会は、著者自身がルーツを持たない文化を題材にした作品を発表することに対して非常に懐疑的だ。迫害を受けている人々の物語を盗む行為ともみなされるからだ。予想通り、本書は発売直後から大きな論争を巻き起こした。オプラ・ウィンフリーのブッククラブの番組に著者が出演した際には、生放送の最中に視聴者からバッシングも受けた。矛先は出版社にも向けられ、移民問題に関わるテーマに白人作家の作品を起用し、当事者であるメキシコ人や難民の作家にチャンスを与えていないという抗議もあった。
著者はあとがきに「私たちの耳に届いていない何十万人もの人々の物語に敬意を表したい」との思いから本書を書いたと記している。
本の内容としては、命の危険にさらされながらの逃避行は手に汗握るサスペンス映画のようだった。私自身もまた、当事者ではないので、本書に登場する人々の姿がどこまで真実に近いのかの判断はできない。だが、本書の登場人物のような人々の存在と、彼らが想像を絶する苦労をしていることを世に伝えている点で、評価されてもよい作品と言えるだろう。
■人生を振り返ったとき、過去は違った姿に見える
表題の『The Dutch House』は1920年代、米ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外の町に、たばこの卸売業で成功した富豪バンホビーク家が建てたとされる大邸宅の名称だ。「オランダ形式の家」という意味もある。物語の核となるのは、この家で育ち、継母に追い出されたメイブとダニーの姉弟。本書では彼らの人生と、彼らを取り巻く人々の人間模様が描かれる。
物語はダニーの語りで進む。姉弟の父親は不動産業を手広く営む資産家で、40年代中ごろ、妻を喜ばせるために表題の屋敷を購入。家政婦や料理人を雇い、家族4人の裕福な生活が始まった。だが母親は、メイブが10歳、ダニーが3歳の時、家を出て行ってしまった。その理由はインドへ渡り、貧困に苦しむ人々を救う活動をしたかったからだという。やがて父親が再婚。継母とその連れ子である2人の娘たちとの生活が始まった。姉のメイブが大学を卒業し、地元で就職をした頃、父親が急死する。継母が財産のすべてを相続し、メイブとダニーは家から追い出された。
残されたのは、まだ高校生だったダニーの教育資金だけだった。メイブは弁護士に、父親が残したお金を最大限に利用する方法を相談。ダニーはコネティカット州の名門ボーディングスクール(全寮制の寄宿学校)に転校し、卒業後、コロンビア大学医学部へ進み、将来、医者になるという進路が決められた。頼れるのは自分たちだけだった。ダニーは医者になりたいわけではなかったが、メイブを喜ばせるため、彼女が思い描いた通りの人生を歩もうと思っていた。
学校が休みになると、ダニーはメイブの家を訪れた。通りに車をとめ、自分たちがかつて住んでいた家を遠くから眺めながら話をするのが習慣となった。幼い頃から抱えつづけている喪失感を分かち合い、お互いの絆を確かめ合う儀式のような時間だった。ダニーが結婚し子どもが生まれたあとも、その儀式は続けられた。
メイブとダニーの50年以上にもわたる人生が、過去と現在を行き来しながら描かれていく。ダニーは医学部を卒業後、結局、医者にはならず、父親と同じ不動産業の道を選んだ。幼い頃に世話になった乳母や家政婦との再会によって、自分たちが思っていたのとはちがう過去の真実が、少しずつ明らかになっていく。年齢を重ねるうちに、物事の捉え方も変わっていった。母親たちが悪で姉弟が犠牲者というはっきりとした善悪の構図も、2人のなかであいまいになっていった。
ある日、幼い頃から糖尿病が持病のメイブが入院し、ダニーはニューヨークから病院に駆けつける。そこには、幼い頃に自分たちを捨てた、年老いた母親の姿があった……。
著者のアン・パチェットは、現在50代半ば。本書の登場人物と同様に、両親の離婚、母親の再婚、母親の再婚相手の連れ子たちとの複雑な家族関係を経験している。自分自身の子どもはいないが、現在の夫にはふたりの子どもがいる。本書に登場する人々の心理描写に説得力があるのは、血のつながりのない家族もまた、家族であることを著者自身がよく知っているからだろう。
バンホビーク家の邸宅に関わったさまざまな登場人物の人生が長期にわたって描かれ、最後には驚きの結末が用意されている。人はどうすれば過去のトラウマから自分を解放することができるのか。許しと贖罪(しょくざい)は、老いることによってたどり着ける境地なのだろうか。著者は人生の普遍的な問いを読者に投げかける。心に深い余韻を残してくれる本だった。
米国のベストセラー(eブックを含むフィクション部門)
3月15日付The New York Times紙より
『』内の書名は邦題(出版社)
1 Blindside
James Patterson and James O. Born
ジェイムズ・パタースン&ジェイムズ・O・ボーン
マイケル・ベネット・シリーズ第12作。国家を脅かす連続殺人事件。
2 The Warsaw Protocol
Steve Berry スティーブ・ベリー
コットン・マローン・シリーズ第15作。欧州の権力バランスの危機。
3 American Dirt
『夕陽の道を北へゆけ』(早川書房)
Jeanine Cummins ジャニーン・カミンズ
麻薬組織に家族16人を惨殺されたメキシコ人女性が米国へ逃れる。
4 Where the Crawdads Sing
『ザリガニの鳴くところ』(早川書房)
Delia Owens デリア・オーウェンズ
ノースカロライナの沼地に暮らす孤独な女性が殺人事件の容疑者に浮上。
5 Little Fires Everywhere
Celeste Ng セレステ・イング
米オハイオ州の裕福な住宅地で繰り広げられる母娘の絆の物語。
6 Coconut Layer Cake Murder
Joanne Fluke ジョアン・フルーク
お菓子探偵ハンナ・スウェンセン・シリーズ第25作。
7 The Last Wish
Andrzej Sapkowski アンドレイ・サプコウスキ
ポーランド人ファンタジー作家によるウィッチャー・シリーズ第1作。
8 The Silent Patient
Alex Michaelides アレックス・マイケリデス
銃弾で夫を殺害した有名女性画家が口を閉ざす。映画化決定のスリラー。
9 The Dutch House
Ann Patchett アン・パチェット
継母によって邸宅から追い出された姉弟の絆と過去への執着の物語。
10 The Giver of Stars
Jojo Moyes ジョジョ・モイーズ
1930年代の米ケンタッキー州で巡回図書館員となった英国人女性を描く。