米国に入国したのは3月22日。ニューヨークはすでに、恐ろしい勢いで感染が広がっていた。
ボストンの大学に通っていた娘も、大学が閉鎖されたのでニューヨークの自宅に戻っており、高校生の息子と合わせて、子供2人と母親がホットスポットのど真ん中に閉じ込められてしまった。
私は当初、ニューヨーク市を脱出したほうがいいのではと提案した。ニューヨーク州北部の山中に、彼女の両親が引退後に過ごすために買った家がある。そこにしばらく避難すればいい。
「それも考えている。けど、あそこはアジア系がほとんどいなくて目立つから、襲われないか心配」
「じゃあ、銃を買ったら?」
私が冗談のつもりでいうと、彼女はフェイスタイム越しに真顔で言った。
「もう銃はある。ハンティング用に買ったものを、向こうの家に置いてあるの」
最初は少々大げさでは、と思っていたが、実際に事件は相次いで起きている。
テキサス州ではスーパーで買い物をしていたアジア系の家族が刺され、ニューヨーク市内でもバスに乗っていた女性が傘で殴られる事件があった。西海岸のアジア系のNGOの元には、差別や嫌がらせを受けたという報告が2週間で1千件以上寄せられたという。
「こんな書き込みをする人間もいるのよ。怖くて外を歩けない」
彼女が送ってくれたインスタグラムのスクリーンショットは「アンチ・アジアン・クラブNYC」というアカウント名で、ニューヨークのアジア系住民の殺害を予告するものだった。文章は英語だが、冒頭に「アジア人」を罵る言葉が、中国語、韓国語、そして日本語でも書かれている。
家族はいまも、ニューヨークの自宅でじっと息をひそめて暮らしている。
恐れているのはウイルスだけではない。人間も、だ。
■拍子抜けした入国審査
一方の私は、ワシントンDCに隣接するバージニア州のホテルで最初の2週間を過ごした。
入国前日に米政府機関のCDC(米疾病対策センター)が日本の注意情報を引き上げ、日本からの渡航者は2週間の自宅などでの待機を求められたからだ。
もっとも、CDCのウェブサイトにそう書いてあるだけで、入国審査では何の説明もなかったし、滞在先を聞かれることもなかった。このあたり、大きな方針は素早く大胆に決めるが、細部にはあまりこだわらないという意味で、いかにもアメリカらしい。入国早々、「アメリカに戻ってきたんだなあ」と妙な感慨を覚えてしまった。
この国に住むのはこれで3度目だが、今回は改めて、自分が「マイノリティ」であることを意識させられるスタートとなった。
ホテルの従業員や生活必需品を買う店の店員など、大半の人は気さくに接してくれるが、ちょっとしたしぐさや視線に「自分がアジア系だからではないか」と心配になってしまうのだ。
実際に、こんなこともあった。食料を買うためスーパーに向かっているときのことだ。
歩道を歩いていると、前から歩いてきた女性がすれ違った瞬間、顔を背け、鼻と口を腕で覆う仕草をしたのだ。
一瞬、何が起きたのかわからなかったが、すぐに理解した。ウイルスの感染を心配しているのだ。
■マイノリティーを意識せざるを得ない現実
アメリカではいま、外出はなるべく控え、他人と接するときは6フィート(約180センチメートル)の距離を取る「ソーシャルディスタンス」が徹底されている。アメリカ社会にはマスクをする習慣がなかったが、いまではマスクやスカーフで口元を覆う人を至るところで見かける。
あの女性も、通りすがる人すべてを警戒していた可能性もゼロではないだろうが、やはり自分がアジア系だからではないか、と思ってしまう。ワシントンDC周辺の日本人コミュニティによるネット掲示板には、同じような体験をしたという書き込みがいくつかあった。
日本でウイルス感染が拡大し始めたころ、中国人が多い埼玉県川口市の芝園団地に住んでいた私は、芝園団地に対する世間の警戒感を皮膚感覚として感じることがあった。とはいえ、日本にいるころの自分は、団地に住んではいても多数派の日本人の一人であった。
一方、ウイルスの恐怖におびえる今のアメリカ社会の中では、日系も中国系も韓国系も同じ「アジア系」であり、マイノリティだ。
アイデンティティとは、時には自発的に認識するものだが、時には社会の側からそうみなされることで、初めて意識することもある。今回の事態で、自分が「アジア系」とカテゴライズされるマイノリティであることを初めて意識した在米の日本人もいるだろう。
アメリカ社会はいま、真珠湾攻撃や9.11同時多発テロにたとえられる、「最も過酷で悲しい週」(アダムス米医務総監)を迎えている。
その先にあるのは、元の社会なのか、ニューノーマル(新しい普通)なのか。
これからのアメリカ社会の物語を、現地から書いていきたい。
■大島隆記者による新連載「アメリカに生きる」は月1回、配信予定です。大島記者のこれまでの連載「芝園日記」は、こちら