国境に集まり、胸を熱くする 熱狂する市民の視線の先にあるものは
そのインド=パキスタン国境が、一大観光地になっているという。国境にある検問所で毎夕開かれている国旗の降納式を見るために、両国側から1万人を超えるひとが集まるというのだ。それぞれの国で「愛国心を感じられる場所」として人気なのだという。国境とは、愛国心とは、そもそも国とは、なんだろうか。現地を訪ねて、考えてみた。(西村宏治=写真も、文中敬称略)
天上から、透明なカーテンがおりているかのようだった。
3月8日、パキスタン東部のラホール近郊。国境を挟んでインドと向かい合う「ワガ=アタリ共同検問所」のスタジアムに、私はいた。パキスタン側は、国境に掲げられた国旗を降ろすセレモニーを見る観衆でぎっしり。数千人が拳を突き上げ、国旗を振る。応援リーダーがウルドゥー語で叫ぶ。「ジーヴェイ・ジーヴェイ(万歳)!」。観衆が応える。「パキスタン!」
ところが国境の鉄柵の向こう側、パキスタン側よりもさらに大きく、5階建てビルの高さはあろうかというスタンドには人影がまったくない。「コロナの影響だよ」。パキスタンの兵士が言った。
ノリノリの客席と、ガラガラの客席。対照的な風景は、不思議な感覚を呼び起こした。新型コロナウイルスは国境に関係なく人間に広がる。なのに国境を隔てて、対応がまったく違うのだ。私が国境を訪れる前日、インド側は新型コロナを理由にスタジアムを封鎖。パキスタン側も同様の措置をとり、3月19日に国境は封鎖された。
ワガ=アタリ国境での国旗の「降納式」は、毎夕行われている。1959年に始まり、徐々に儀式化。ここ数年は「愛国心を感じる観光地」として特に人気が高まってきた。
30分ほどの式典では、旗を降ろす前に、両国の兵士たちが国境線を挟んで向かい合う。足を高く上げたり、両手を大げさに広げたりしながら互いを威嚇する。それを観衆が大声で応援するのだ。
翌日も無人のインド側を前に、パキスタン側の熱気は高かった。会社員のムハマド・イルファン(39)は「子どもに、国を誇りに思う感情や、兵士たちが守ってくれる安心感を味わってもらいたかった」。娘のハディア(10)は「こんなにすごいとは思わなかった」と笑顔をはじけさせた。
両国はもともと、同じムガル帝国の支配下にあった。その後、英国の植民地である英領インドとなり、47年、イスラム教徒が多いパキスタンと、ヒンドゥー教徒が多いインドに分かれて独立した。
これ以降、両国は緊張関係にある。もともと交じり合って住んでいたところに英国主導で国境を引いたため、両教徒が大移動して混乱に陥り、衝突や虐殺が相次いだ。中でもイスラム教徒が多いのにインド側に入ったカシミール地方の領有をめぐっては、軍事衝突がたびたび起こり、今もいさかいは絶えない。昨年にはパキスタンがインドの戦闘機を撃墜し、パイロットを拘束。一触即発の雰囲気になった。そのパイロットが解放され、インド側に引き渡された場所が、このワガ=アタリ国境だった。
そんな両国の国境で毎日開かれる式典は、高ぶる感情を抑える「ガス抜き」の役割があるという見方もある。2000年から5年間にわたって式典の運営を担った元パキスタン軍人で、コンサルタントのアフマド・ラウフは「両国民が顔を合わせて向かい合うことで、相手は自分たちと同じ人間だと分かるんです」と言った。
一方で、式典は対立をあおりかねない危うさもはらむ。米スタンフォード大学准教授のジーシャ・メノンは著書「ナショナリズムのパフォーマンス」で、式典が「両国の対立をドラマ化している」と指摘している。
「双子」と言える両国には、共通点も多い。クジャクの羽のような帽子など、式典で両軍が同じような制服を着ているのは、その象徴だ。しかしナショナリズムは、それぞれの国固有のひとつの物語を追求する。式典の応援では、インド側はヒンドゥー教をたたえ、パキスタン側はイスラム教をたたえる。それが「国固有のひとつの物語」になっているからだ。
そんな宗教的な「ひとつの物語」は、追求すればするほど、それぞれの国の中での分断も生む。メノンは「(応援の内容が)女性や宗教的マイノリティーを含まないものでも、まるで彼らを含めた人々を代表するかのように叫ばれている」とみる。
ヒンドゥー教徒が80%、イスラム教徒が14%を占めるインドでは、モディ首相が「ヒンドゥー至上主義」を掲げて国を引っ張る。熱狂的な支持者を集めてもいるが、不法移民に国籍を与える昨年の改正国籍法でイスラム教徒を対象から外すなど、国内の分断もあおっている。
インドでは、イスラム教徒への襲撃といった事件も相次ぐ。ナショナリズムの高まりは、こうした動きも加速させかねない。