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新型ウイルスの危機が我々に突きつける、「理念なきナショナリズム」の危うさ

World Now

そもそも、ナショナリズムとは何か。わかりやすそうな愛国心との違いから考えたい。

愛国心とは、国を愛する気持ちだ。一番広い意味での郷土愛だと思う人もいるだろう。五輪などの国際大会では自国の応援で盛り上がる。

ではその国って、何だろう。地球上の人間の世界に、いろんないきさつで浮かんだモザイク。ただし今ある国々に共通するのは、国民が主権を持つという近代にできた国民国家の仕組みだ。

18世紀後半の米国の独立戦争やフランス革命が典型で、日本でも明治維新と敗戦を経て現れた。国民は、もとからある国を愛する人々というよりも、民主主義の下で国をつくる主人公になった。

近代以降の国家で「国民がまとまろうとする気持ちや動き」。通説をふまえ軟らかく言えば、これがナショナリズムだ。

そこでは「国民は何のためにまとまるか」が問われる。2度の大戦の惨禍のあと、独立した新興国を含め、多くの国で人権や自由、平和といった理念の実現が掲げられてきた。

ところが最近、国民をまとめる立場の指導者の言動がいかにも荒く、しかも国民の喝采を浴びる。アメリカ・ファーストのトランプ大統領が現れ、英国は欧州連合(EU)を離れた。安倍晋三首相は政権に復帰した7年前の衆院選で「日本人がこの島に生まれたことを誇りに思う日本を取り戻す」と訴え、いま歴代最長政権を享受している。

演説後、ステージに飾られた星条旗に「アイ・ラブ・ユー」と言い、キスするトランプ大統領=メリーランド州オクソンヒル、ランハム裕子撮影、2020年2月29日

国民がまとまるには愛国心で十分、理念は二の次なら、何のための国民国家なのか。私はこんな思いからナショナリズムの現状に強い関心を寄せている。

米国の政治学者ベネディクト・アンダーソンは1983年の名著「想像の共同体」で、国民(the nation)を「限られた範囲で主権を持つと想像された政治的共同体」と呼んだ。国民をまとめる想像力としてナショナリズムをとらえ、「この限られた想像力のために、2世紀の間に何百万もの人々が殺し合い、死を選んだ。なぜか」と問うた。

国民国家も齢を重ね、教育やメディアの発達で国民の間では知識や経験の共有が進んだ。アンダーソンが言う「想像の共同体」が暴走する恐れは、すでに過去のものに見えるかもしれない。

だが、理念なきナショナリズムはいま各地で排外主義に陥っている。移民社会として発展した米国や、中東などからの難民で統合が揺らぐ欧州で起き、日本でもSNSやヘイトスピーチでおなじみになった。

目下の危機、新型コロナウイルスの感染拡大との相性の悪さも心配だ。世界規模で人々を脅かす危機への対応は、強制力を持つ国ごとになる。各国の国民に「我々」とそうでない「彼ら」という意識が強まりがちだ。その状況と理念なきナショナリズムが共鳴すれば、排外主義へ傾きかねない。

ナショナリズムの最悪の例である戦前のナチズムがそうだ。ドイツの「危機」克服を叫んで「我々」の団結と「彼ら」の排除に徹し、人権を踏みにじった。

1936年ベルリン五輪の開会式で、一斉に右手を上げて敬礼する観衆。ナチス・ドイツにとってベルリン五輪は国威発揚の大イベントだった=朝日新聞社撮影

新型コロナにも、国の壁を越える交流を妨げ、心の壁を高めかねない怖さがある。トランプ大統領は「中国ウイルス」と批判し、中国の習近平国家主席は「共産党指導の優位性」が対策に生きたと誇る。欧州の首脳らは「第2次大戦以来」の危機と語る。どの国も内向きの安定に腐心し、人の流れを遮る壁は高まるばかりだ。

こんな時だからこそ、国民自身がナショナリズムを陶冶(とうや)するために、自問し続けるべきではないか。「私たち国民は、何のためにまとまるべきなのか」と。

■朝日新聞社の言論サイト「論座」での藤田編集委員の連載記事「ナショナリズム 日本とは何か」