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出家してもらった言葉は、「君はもう、ミャンマーの人」

PR by 三菱商事 公開日:
托鉢に出かける中村綾太さん(左から2番目)

 

こんにちは。門出の季節の春は、新生活を知らない土地で始めた人も多いのではないでしょうか。私がここミャンマーに初めて来たのは2013年。当時は社内のミャンマー語学研修生として赴任したものの、不安もいっぱいでした。

しかし実際に生活してみると、移り住んだヤンゴンはいろいろな顔を持つ魅力的な街で、地元の人は非常に親切。タクシーの車内に忘れた傘を、運転手さんがレストランまで届けてくれたこともありました。そんな暮らしの中で、もっとこの国を知りたいと体験したのが「出家」です。

ミャンマーの人のほとんどは上座部仏教を信仰し、男性は一生に2度出家するといわれています。私も剃髪(ていはつ)し袈裟(けさ)をまとって、12日間寺院に入りました。頭はカミソリ負けでヒリヒリしましたが、自分の姿を鏡で見たときは「僧になったんだ」と実感したものです。修行は1日のほとんどを瞑想(めいそう)で過ごし、1時間ほど街へ托鉢(たくはつ)に出かけます。道沿いにはわざわざ車で来てお布施をする人もいて、信仰が彼らの価値観の根源であると感じました。砂利道を慣れない裸足で歩くのは痛くて、まいりましたが、本当に尊い経験でした。

ミャンマーの恩師の自宅を訪問

修行を終えた後は、ミャンマー人をより深く理解できるようになったと思います。知人に「君はもう、ミャンマーの人だね」といってもらえたことも、出家をしてうれしかったことの一つです。

ミャンマーは、人口の約7割を占めるビルマ族を含め、135の民族が住む多民族国家です。その頃の私はヤンゴンで毎日大学に通い、語学を学ぶとともに、広くこの国を見ておきたいと、時間があれば少数民族が多く住む地域にも出かけました。

ラカイン州北部のミャウッウーでは、「夕焼け小焼け」を歌ってくれたおじいさんがいました。ビルマ独立以前、日本人と生活をともにしたことがあるそうです。「彼が頻繁に歌っていたから覚えた」らしいのですが、あの頃から70年以上。忘れないように、時折口ずさんでいたといいます。

町を歩くと、当時の日本人が使っていた鉄製のヘルメットなどがいたるところに残されていて、日本とこの国の歴史に思いをはせずにはいられませんでした。同時に、日本人の私を温かく迎えてくれるミャンマーの人々の役に立ちたいと決意を固めた旅でもあります。

現地の友人たちと地方を旅行

ミャンマーで学んだことは、会った相手にとって私は、時に日本を代表する立場だということ。特に日本人にまだ会ったことのなかった人には、私への印象がそのまま、日本の印象にもなります。その逆もしかりで、私もミャンマーの人のたくさんの優しさや魅力に触れ、ミャンマーが大好きになりました。

今は、語学研修生としての期間も無事に終え、本格的な業務も行う2度目の赴任中です。これからも一つひとつの出会いを大切に、ミャンマーが豊かな国になれるように貢献していきたいと思っています。

洪水被害が広がった際、支援物資を届けるボランティアを経験。学校で子どもたちにノートを渡した

長く軍政下にあったミャンマー(ミャンマー連邦共和国)は民主化の歩みを進め、海外資本による経済発展も著しい。かつてイギリス領だった影響もあり、英語は小学校から習い始め、高校に入ると数学と化学の授業は英語で行われる。

しかし最近の外国語習得のトレンドは、日本語かもしれない。国際交流基金によると、2015年度は132だった日本語を教える機関の数が、18年度は400と3倍以上に増えている。外国語大学をはじめ、ボランティアが教える日本語学校など様々だ。中には僧院学校でも教えているところがあるという。

仏教徒が9割を占めるミャンマーでは、教育省が管轄する公立学校とは別に、宗教省が管轄する僧院学校がある。主に生活に困窮している子どもたちが通い、学費や教材、制服や食事は、ほぼお布施でまかなわれているのが特徴だ。僧院学校は、地域や人によって経済レベルも様々なミャンマーで、子どもたちに教育の機会を与えてきたセーフティーネットであり、ミャンマーの比較的高い識字率を支えてきた。こうした場所でも、日本語の重要性が認識されつつある。

これからも発展が続くと予想されるミャンマー。日本語教育機関の増加は、自国が発展する上で、日本との関係に期待を寄せている表れかもしれない。