大使に就任したのは、まだ自分の子供たちが幼かった時期でした。
長男は11歳、次男は8歳、そして三男は1歳でした。
3人の子供たちを残して、危険なところに行くのは勇気が入りました。
「自分に何かあったら、子供たちはどうしよう」と考えてしまいました。
でも自分の子供たちは大切ですが、世界で苦しんで、生死に彷徨っている子供たちも大事です。
だから、毎年、戦地にも、病気が流行っているところにも出かけました。
でも、実際のところ、息子たちのことはとっても心配です。
ママがいない2週間は小さい子供たちにとって、寂しいし、不安もあるだろうと思いました。
その当時、私が行くところは電気も電話もなかったので、子供たちと連絡もできなかったです。
ママの声が聞けないし、元気かどうかもわからない。息子たちにとっては大変なことだと分かっていました。
不安を和らげるために、どうすればいいのかいろいろ考えました。
■なぜ行くのか 子供との対話
まず息子たちを集めて、世界地図を拡げます。
ミッションのために行く国の場所を教えます。
そして、なぜ行かなければいけないのかを説明します。
「イラクは戦争中で、そこの子供たちは食べ物も薬もないのよ」とか。
なんとか息子たちにミッションの意味を理解してもらいます。
息子たちが納得するまで、質問に答えました。
出発する日まで、子供たちが納得するように、その話題を繰り返し話すようにしました。
そして、もうひとつ私が実行したのは「びっくり袋」でした。
息子一人ひとりに毎日わたす小さな袋を用意するのです。
袋の中には、小さな本やおもちゃ、ちょっとしたお菓子が入っています。
そして、ママからの手紙も添えました。
字が読めない子には絵手紙を書きました。
子供たちが一緒に遊べるものを考えて入れました。
10日間のミッションに行くなら、息子3人の10日分で袋は30個を用意します。
そして、留守中、子供の面倒を見てもらう方に、毎晩、次の日に開ける袋を家のどこかで隠してもらうのです。
子供たちが朝起きると、まずは「びっくり袋」を探すのです。
宝探しのように。
袋がどこにあるのかが楽しみで、楽しみで、子供たちは毎日大騒ぎで起床して、嬉しそうに袋を探していたそうです。
袋を見つけて、中身を見たら、朝食を食べて、学校に行くのです。
学校から帰ってくると袋の中身を使って、みんなで遊びます。
シャボン玉や、ボードゲーム、パズルなどを入れました。
お菓子もみんなで分けあって食べたそうです。
いろいろやっているうちに、あっという間に1日が終わります。
「びっくり袋」のおかげで、子供たちは寂しさを感じずに、ママのいない期間を過ごすことができたのではと思っています。
ミッションから戻ってくると、「ただいま!」と出迎えてくれるけど、
「明日からびっくり袋がないの」と残念がる時もありました。
「びっくり袋」は大人気でした。
子供たちは、どうやって遊んだのかとか、読んだ本の内容などを、争ってママに報告してくれるのです。
■世界を観察する眼を養う
私の方も、ミッションから帰ってくると必ず、そこで出会った子供たちの話を息子たちに話すようにしました。
出発前にたくさん聞かされた国の現状の話なので、息子たちはいつもとっても関心を持って聞いてくれました。
子供たちに目を向けると、その国の政治、経済が見えてきます。
子供たちの問題の原因を考えていくと、世界の問題が分かってきます。
私が話をすることで、息子たちに子供目線で世界を観察する習慣を身につかせる事ができたと思っています。
先日息子たちと「びっくり袋」の話をすると、
みんな目を細めて、幸せそうな顔で話し始めました。
「僕は本が一番嬉しかった」と長男が言うと、
次男は「中身よりは、探すのが楽しかったね」、
三男は「交換して遊ぶのが嬉しかった」。
「ママの手紙が特に良かったね。赤ちゃんのための絵手紙が面白かった」というのはみんなの声がそろいました。
息子たちに「ママがいない間に、寂しかった?」と聞いたら、
「びっくり袋のおかげで、あまり感じなかったよ」と言ってくれました。
その話を聞いて、小さく自分の心でガッツポーズ。良かったです。
苦心した対応策でしたが、ママの愛情が伝わったようです。
「びっくり袋」は大成功だったようです。
■亡くなる母が子供に遺すもの
実はこれと似ていることを今やっています。
それは私が亡くなってからの息子たちのための「びっくり箱」です。
これはアフリカの小さな国、レソトに行った時、死に際のお母さんから学んだことでした。
レソトは南アフリカ共和国に囲まれた小さな国。
HIVエイズの感染が深刻で、国民の4人に1人が感染者でした。
若者が南アフリカへ出稼ぎに行くときに感染して、家に戻って妻に感染するのです。
そのために、子育ての真っ最中で亡くなる方が多かったのです。
私が訪ねたお母さんもエイズにかかっていました。
病気が進行して、
「あと1週間もつかどうかです」とユニセフのスタッフが言いました。
若いお母さんは自分の最期が近いと分かっていました。
布団に寝込んでいる彼女は
「13歳の一人娘を残すのが一番悲しい」と言いました。
私は彼女をハグしたり、歌を歌ったりして、出来るだけ慰めました。
ユニセフは、彼女のように亡くなっていく若い母親が子どもに遺す「箱」を作る活動を進めていました。
彼女の箱は小さな木箱でした。
その中には小さな髪飾り、結婚指輪、色の紐……。
一つ、ひとつ母親の思いが詰まったものでした。
「娘の成長が見られないのが一番辛い」と彼女が残した言葉が耳から離れません。数日後、彼女は亡くなりました。
■あなたは何を残しますか
レソトから帰ってきて、
2007年に私は乳がんと診断され、治療を受けました。
そのとき、3男はまだ11歳。
そこで、彼女の言葉を思い出しました。
そして箱のことも思い出しました。
「私も息子たちに箱を残したい」と感じました。
そこで、私は綺麗な箱を三つ買いました。
息子たちのために残したいものを入れるようにしました。
ママとの良い思い出をよみがえらせてもらうように、入れるものを選別しています。
例えば長男の箱の中には彼が小学生の時に一緒に通った本屋のおまけ、
次男の箱には彼が大好きだった科学館の入場券、
三男は抜けた乳歯。。。などなど。
息子たちと私の思い出のものがいろいろ入っています。
もちろん箱のある場所は息子たちに隠してあります。
「ママが亡くなったら、宝探しのように探してね」と言ってあります。
箱を開けたときに、ママの愛情を感じて、大笑いして欲しいのです。
「人生は楽しいサプライズ、感動するサプライズの連続ですよ」と息子たちが小さいときによく言いました
私の目標のひとつは、出来るだけ息子たちに、人生の楽しさ、感動的な瞬間を作ってあげることです。
たとえそばにいてあげられない時でも、絶えずに、励ましてあげたい、愛情を感じて欲しいと思います。
「びっくり袋」や「びっくり箱」は私のコミュニケションの方法です。
皆さんも自分なりの方法で子供たちに想いを伝えてくださいね。