米国ではこの半世紀以上の間で初めて、病院で亡くなる人より自宅で臨終を迎える人の方が多くなっている。これはいわゆる「好ましい死」についての、米国人の見方の注目すべき転換だ。
研究者たちが2019年12月11日、米医学誌「New England Journal of Medicine(NEJM)」で報告したところによると、17年には自然な原因による死を29.8%が病院で迎えたが、自宅は30.7%だった。
その差は小さいものの、何年間にもわたって縮まってきた結果であり、研究者たちは在宅死が今後いっそう一般的になるとみている。
「Veterans Affairs Boston Healthcare System」(退役軍人のためのボストン医療制度)の心臓病専門医で今回の研究論文の共著者であるヘイダー・ウォーレイチによると、米国人が自宅で亡くなった割合が現在の水準だったのは、20世紀の半ばが最後だった。彼が言うには、1912年、ボストンでは住民の3分の2が自宅で死去した。50年代には米国人の過半数が病院で亡くなっており、その割合は70年代には少なくとも3分の2に達していた。
米国人は長い間、施設で死を迎えるより自宅で死にたいとしてきた。多くの人たちは、蛍光灯の下で、避けられない事態を先延ばしにするだけのために人工呼吸器や栄養管などの医療装置をつけられて息を引き取る可能性にぞっとしている。
権利擁護団体は、終末期のケアについてのつらい話し合いをしておくよう家族に奨励してきた。そうした会話で、年配者たちは病院での大掛かりな延命措置を望まないことが往々にして明らかになる。
高齢者の約45%は事前の指示を済ませており、医師が延命のための極端な措置を施さないでほしい旨がしばしば明記されている。
また、一般的に自宅で行われるホスピスケア(終末期看護)が、以前より利用しやすくなっている。「全米ホスピス緩和医療協会(NHPCO)」によると、17年には公的医療保険制度「メディケア」の受益者149万人ほどがホスピスケアを受けた。前年比で4.5%増だった。
「自宅で臨終を迎えることを理想化し、それこそが死への唯一の道とする一種の文化的変革が起きている」。ニューヨークの非営利組織「ユナイテッド・ホスピタルファンド(UHF)」の倫理学者キャロル・レビーンは言う。
同時に病院側には以前から、メディケアの患者を長期間入院させておきたくないことへの金銭的な動機があると、医師のダイアン・マイヤーは指摘する。ニューヨーク・マウントサイナイ・アイカーン医科大学の教授(老年医学・緩和医学)だ。
メディケアでの病院への支払いは通常、患者の入院日数に基づいてではなく、各患者の診断ごとに行われる。病院側は「長期間、入院が継続してほしくないのだ」とマイヤーは言う。
「とても重篤で複雑な患者を自宅に戻し、専門的な訓練を受けていない家族のケアのもとにおくことになる」と彼女は付け加えた。
「シカゴセンター・フォー・ファミリーヘルス(CCFH)」(訳注=非営利の家族療法訓練機関の一つ)のフェロー、マーガレット・ピーターソン(58)は終末期の夫ドワイトを4年間にわたって自宅で介護した。
下半身不随患者だった夫は自宅で死を迎えたいとかたくなに言い張り、12年に病院を退院、そう長くは生きられないと思っていたのでホスピスを受けた。ところが、見込み違いだった。
マーガレットは、週1回来る在宅医療助手とホスピスの看護師と一緒に、夫の介護をした。その負担は重かったと振り返り、最後の数日間の夫の苦しみは不必要だったと彼女は思っている。
「ただただ延々と続いた」と彼女は言う。「(どうあるべきかという)介護のモデルは、私がひと息つけるようにはつくられていなかった。くたくたに疲れ切ってしまった」
夫ドワイトは最後の4日間、耐え難い痛みを抱えていた。それでも彼は病院には戻りたくなかった。病院で死にたくなかったからだ。
「彼は必要以上の痛みをずっと抱えていた」と妻は言う。ドワイトは16年3月6日、下半身不随による腰と骨盤の悪化と感染症で死亡した。
「すべて正しい選択をすれば、すばらしく平穏な死を迎えられるという一種の幻想がある」と彼女は指摘。「でも、正しいことがすべてできたとしても、予測できない悲劇は起きるのだ」と言い添えた(抄訳)
(Gina Kolata)©2019 The New York Times
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