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創造力を育むには孤独が必要? 「ベル・エポック」のフランスに学ぶ

World Now
お茶の水女子大学の中村俊直名誉教授

マルセル・プルースト(1871~1922)の長編小説で、20世紀を代表する傑作の一つ「失われた時を求めて」。この作品の大半を、プルーストはパリのアパルトマンにあつらえた「コルク張りの部屋」で書いたと伝えられている。伝説的なこの部屋は、外音を遮断してひとり「孤独」に執筆に没頭するためのものだったという。日本でも一昔前、売れっ子作家が旅館やホテルに缶詰にされて原稿を書き続けたという話は聞いたことがあるけれど、自らコルク張りの部屋まで作ってしまうなんて、よほどストイックな人物だったに違いない。

しかし、中村さんはこう指摘する。「他方、プルーストは社交家でもありました。24時間、365日、10年ずっとコルク張りの部屋にこもっていたわけではありません。作品を書いている時は孤独だったでしょうが、彼は社交界の花形でもあったのです」

医学博士の父と裕福なユダヤ系の母との間に生まれたプルーストは、十分な資産があり、幼少時からぜんそくに悩まされていたこともあって、生涯ほぼ働くことなく文学活動に専念できた。そして、若い頃から社交界に出入りし、代表作「失われた時を求めて」の登場人物のモデルとなるような人びとと出会ったのだった。とはいえ、プルーストはだれとでも付き合ったわけではない、と中村さんは言う。「本当に親しくなるのは決まった人だけ。人間関係は狭いと言えますが、濃密でもあったのです」

華やかな社交界での振る舞いと、引きこもりのようにコルク張りの部屋にこもって執筆するプルーストの二面性を、どう理解したらいいのか。中村さんは、「人は絶対的な孤独には耐えられない。他者とのつながりを求めるものです。孤独にこもる時間と、他者とつながる時間の使い分けができたのでしょう。この二つの時間のバランスが彼の創作活動を推進させたのです」と説く。

ベルエポックを代表する芸術家の一人、ポール・ヴァレリー(1871~1945)もまた、孤独な時間と、人と交流する時間のバランスを上手にとっていた。23歳ごろから毎日、「カイエ(フランス語で『手帳』『覚書』の意)」に抽象的な問題について自ら考えたことを書き続けた。20~40代半ばまでの約20年間、作品を世に出さない「文学的沈黙期」にも、この習慣をヴァレリーは欠かすことがなかったという。文学、芸術、自我、人間の頭脳の働きや、精神と身体の関係、言語活動など、あらゆる分野に考えをめぐらせ、その思索を書きつづった。「これが自分にとって一番大事な仕事だ」「カイエこそが自分の作品だ」。ヴァレリー自身がそう語っていたという。

彼は一方で、友人で同時代に活躍した作家のアンドレ・ジッド(1869~1951年)やプルーストのように裕福な家の生まれではなかった。家族を養うため、拘束時間の割に給料が高いという理由で、アヴァス通信社社長の個人秘書を50歳過ぎまで続けた。そうした生活の中でも「カイエ」を書き続けるため、彼は苦労して「孤独」をつくり出していた。毎朝3~4時に起きて数時間、静寂の中で自らの知性が様々な事象と格闘する様子を記したのだ。今で言えば、「朝活」といったところだろうか。

そして、沈黙期を経た1917年、ついに長詩「若きパルク」を刊行すると、大評判を得て時代の寵児となる。生活は一転し、以後は欧州を講演して周り、アカデミー・フランセーズ会員に選ばれ、フランス最高峰の市民大学「コレージュ・ド・フランス」で詩学担当教授にも選出。公的活動も精力的にこなした。それでも、「朝活」によるカイエ執筆は73歳で死去するまで続けた。その記録は2万6000ページを超えるという。

だれもが「孤独な時間」を昇華させ、プルーストやヴァレリーのように優れた芸術作品を作れるわけではない。やはりそれなりの才能は必要だろう。その上で、中村さんは指摘する。「芸術は、創造する人と受容する人の両方がいて循環し、芸術活動として成立するのだと思います。受容層が分厚くなれば、作品の作りがいもあるでしょう。多くの人が『孤独な時間』を芸術鑑賞に使えば、芸術活動全般がもっと盛んになるかもしれないですね」