ジュン・ラッセル・レウニール(27)は7年前、最初の航海で貨物船内の奥深くに送り込まれ、筋肉が痛くなるまでシャベルで鉄鉱石をすくった。その後もさらに12時間、彼はシャベルを振るい続けた。
「その1カ月間は、船室で3度も泣いた」とレウニールは語った。
レウニールのようなフィリピン人たちは、ここ数十年にわたり、国際貿易の90%を担うグローバルな海運業を支えてきた。
数カ月前、レウニールら計19人のフィリピン人の男性船員は日本からフィリピンまでのセメント運搬船に乗務した。
船にビジターとして乗った者を、海の旅は新鮮な気持ちにさせる。エンジンのうなりで、波の音がかき消される。嵐の後、甲板には死んだトビウオが散らかる。安い燃料の臭いに満ちた風が吹く。
だが船員たちにとっては、海のロマンはとっくに消え去っており、骨が折れる単調な作業の繰り返し以上につらいのが、仕事の後の退屈さだ。
船で料理人をしているジェイソン・グアニオ(29)はかつて、モンテネグロから中国までボーキサイトを運ぶ2カ月の航海をしたとき、海以外のモノが見えることを期待してブリッジ(操船室)へと駆け込んだことを思い出した。
だが過去30年間、その大半を貨物船に乗務してきた機関室調整員のアルヌルフォ・アバド(51)はこの仕事に感謝していると語った。「海は私に生きがいを与えてくれた」
船員になった男性は、漁民や大工や稲作農家の息子たちである。ほとんどが望むオフィサー(訳注=機関長や航海士ら海技資格を持つ乗組員)になるには、大学の学位が必要だ。そのために、なかには裏庭での養豚の稼ぎや道端でアイスキャンディー売りをして得たポケットマネーを学資にして大学を出た者もいる。
彼らは、月にせいぜい100ドルの収入しか期待できない田舎の村での暮らしを捨てた。海で働けば、その10倍か、しばしばそれ以上を稼げる。
首に太いゴールドの鎖を巻いて里帰りし、竹づくりの小屋が並ぶ地区に高いコンクリートの家を建て、両親を養い、きょうだい、めい、おいの大学資金を出してやる。結婚の申し込みも舞い込んでくる。
過酷ながら実入りのいい貨物船の乗務がフィリピンで盛んになるのは1980年代である。海での仕事にフィリピン人を訓練する組織的キャンペーンが始まったのだ。職業あっせん機関は、フィリピン人船員を国際的な海運会社に売り込む。政府の関係部局は、配置の管理に介入した。
船員志望者のための商船大学産業が台頭した。
近年、船舶各社はベトナムやミャンマー、中国からより多くの船員を雇うようになった。それでも、世界の船乗り160万人のうち約40万人がフィリピン人だ。2018年でみると、フィリピン人船員は計60億ドルを母国に送金している。
フィリピンでは、彼らの英雄的な犠牲や伝説的な偉業、放蕩(ほうとう)な暮らしぶりが歌になっている。カラオケの定番は恋人が嘆く歌。「あなたが船員だから、私は何でも耐えてきた」のに、結局は「あなたはLolokoの船乗りだった」ことがわかったと歌う。Lolokoはフィリピンの隠語で、女たらしという意味だ。
セメント運搬船「UBC Cyprus(キプロス)」の船上は、他の多くの船舶と同様、フィリピン文化の世界だ。
フィリピン人船長ロドリゴ・ソヨソは、商業漁船の見習いからスタートした。その船には35人余りが乗っており、風呂は週1回だけだった。彼は甲板に寝て、海に滑り落ちないように足首を通気口にくくりつけた。
士官へと昇進する過程で、さびたタグボートに乗り、悪臭を放つ家畜運搬船に乗り、クルーズ船にも乗った。
船長として、ソヨソは国際海事規則を順守し、他の船との衝突を避け、寒冷前線や季節風の動きを監視する。腐敗した税関職員をかわし、かわせない時のためにたばこのカートンを用意している。
(記者が乗った)この船は船員全員が男性だった。世界の商業船員に占める女性の割合は約1%だ。
土曜の夜、男性たちは食堂のカラオケで、「わたしの心は、あなたを思って、いつまで待ち続けるだろうか?」といった歌詞の、思慕の歌を歌う。
インターネットは船上暮らしのわびしさを少し和らげたが、この船の場合、無料でダウンロードできるのはわずかに50メガバイト。「フェイスブックを開くと、表示は消えてしまう」とソヨソは言う。
この航海では、インターネットはダウンしていた。
インターネットが登場する前は、船員たちは港に着くと、お互いを押しのけながら、われ先にと電話ブースに行き、わが子の(カトリック教徒としての)洗礼式は済んだかどうかを電話で知ろうとした。その間、同僚たちは(電話ブースを仕切る)プレキシガラス(訳注=透明のアクリル樹脂)をドンドンとたたくのだった。
当時、「オーバーオーバー(over―over)」と呼ばれる慣習もあった。船乗りたちは、それぞれ妻やガールフレンドに無線通信で、「愛しているよ、オーバー(どうぞ、次はそちらから何か話して)」と語りかけるのだ。
海で働くのは危険だ。過去10年間に1036隻の船が沈んだ。このなかには、スコットランドの近海で、悪天候のためセメント運搬船が転覆、生存者なしという事故もある。
係留ロープには人の首をプッツリはねとばす力がかかることもあるし、落ちてきた格子戸で指が切り落とされることもある。舷側を打ちつける大きな波のうねりで、人がパイプにたたきつけられたり、海に押し流されたりする。
感電することもあれば、やけどをしたり、盲腸炎にかかったりもする。最寄りの病院まで、救援ヘリを使って数時間、あるいは数日かかる。
しかし、船乗りにとって最大の課題は、孤立していることの精神的な緊張に耐えることであると船長のソヨソは言う。
船の上では、問題をあれこれ考える時間があり、どうすることもできないとなると、落ち込むのも簡単だ。ソヨソは、あまりにも落胆して仕事ができなくなったり、自殺したりするケースをみてきたと話していた。(抄訳)
(Aurora Almendral)©2019 The New York Times
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