レイチェル・バルコベック(32)は2019年11月の早朝、米フロリダ州フォートローダーデールで浜辺の散歩に出かけた。
ここには、大リーグの催しに参加するために来ていた。通称「スラグフェスト」(Slugfest〈訳注=野球用語で「打ち合い」〉。トップクラスの打撃コーチを招いて、3日間開かれる会議だ。
すると、一人の女性と出会った。
足を止め、早起き仲間にあいさつすると、「あの会議に来てるの」と聞かれた。
「はい」との答えに、「ああ、そうなの。で、誰の奥さん」と質問が続いた。
こうした固定観念と、バルコベックはもう何年も球界で闘っている。20年の2月1日にキャンプ地のフロリダ州タンパに集合すれば、一層のことこの闘いに打ち勝たねばとの思いがある。名門ニューヨーク・ヤンキースのマイナー巡回(訳注=マイナーリーグの全てのクラスを見る)打撃コーチとして着任するからだ。
大リーグの球団では、女性としては初のフルタイムの打撃コーチになると見られている。
ヤンキースがバルコベックをこのポストに雇ったのは、それだけの資質があるからだと球団関係者は説明する。運動科学で二つの修士号を持ち、いくつかのマイナーリーグの球団ですでに経験も積んでいる。要するに、来シーズンのコーチ陣の構想にピッタリの人選というのだ。
「理由は簡単、答えも簡単」とヤンキースの打撃コーディネーター、ディロン・ローソンはおどけてみせる。「よい打撃コーチだし、そもそもよいコーチ。それだけ」
ローソンが、バルコベックと出会ったのは16年だった。2人とも、ヒューストン・アストロズに所属していた。ローソンはマイナーの打撃コーチ。バルコベックは、中南米出身選手の筋力強化や体調調整などを担当するストレングス・コンディショニング・コーディネーター。スペイン語ができる語学力を買われての任務だった。18年には、アストロズ傘下のマイナー2Aチーム「コーパスクリスティ・フックス」のストレングス・コンディショニング・コーチになった。
「アストロズ時代は、ディロンは私にとってよき助言者で、試合ではその洞察力に感服した」とバルコベックは話す。
あるときは、ローソンがマイクを付けて、選手への自分の指導を録音しているのを見た。後で聞き直して、反省点を探すためだった。
「自分を高めることで、他の人を高めるというその探究心をいつも見習うようにしている」とバルコベックは語る。
大リーグは、グラウンドでの仕事にもっと多くの女性を引き込む対策を進めてきた。コーチやスカウト、審判、選手のトレーナーといった職種が対象となっている。
オークランド・アスレチックスは、15年秋の教育リーグにジャスティン・シーガルをゲストのインストラクターとして招いた。19年春のキャンプには、ベロニカ・アルバレスをゲストの捕手コーチにした。
シカゴ・カブスは、20年のシーズンにレイチェル・フォールデンを打撃の研究・分析部門の筆頭テクニシャンとして迎える。アリゾナリーグ(マイナーでは最も下のクラスになるルーキーリーグの一つ)に属するチームの第4コーチも兼務させる。
米大リーグ機構自体も、19年12月にカリフォルニア州サンディエゴで開かれるウィンターミーティング(訳注=大リーグの球団幹部や選手の代理人らが集結する会合)にあわせて、(訳注=前年に続いて)2回目の「Take the Field(さあグラウンドへ)」講習会を開く。コーチ、スカウト、選手の育成に関心がある女性を招き、討論会や交流会、さらには分科会の場を提供するプログラムだ。
ネブラスカ州オマハ育ちのバルコベックは、アストロズに行く前はセントルイス・カージナルスのマイナーでストレングス・コンディショニング・コーディネーターを14年と15年に務めた。大リーグ傘下の球団で、ストレングス・コンディショニングの常勤ポストを得た初の女性となった。
自身のキャリアを切り開く上で最大の障壁となってきたのは、女性であることだったとバルコベックは振り返る。
球界でストレングス・コンディショニングの職を得るために応募しても、最初はなしのつぶてだった。そこで、履歴書のファーストネームをレイチェルから(訳注=性別が分かりづらい)レイに変えてみた。
すると、電話がかかり始めた。
かけてきた相手のほとんどは、女性の声に驚き、二度と電話してこなかった。あるチームに至っては、女性を雇うことは決してないと公言してはばからなかった。
それでも、バルコベックは12年にカージナルス傘下のテネシー州のマイナーチームで、臨時のストレングス・コンディショニング職を得た。マイナーの下から2番目のクラスに属するアパラチアンリーグで、その年のストレングス・コーチ賞を獲得した。
常勤職を探すようになると、カージナルスには当時のよい評価が残っていて、14年、15年とチャンスを与えてくれた。
バルコベックは、オマハのクレイトン大学などでソフトボールの捕手をしていた。12年にはルイジアナ州立大学で運動(生理)科学の修士号を取った。
二つ目の修士号には、アストロズを18年秋にやめて挑戦。今度はオランダのアムステルダム自由大学で修めた。人体の動きの科学的分析がテーマとなった。具体的には、クリケットと野球の選手の視線が、球をどう追うかを把握する先端研究で、まさにバルコベックの関心の的だった。オランダ滞在中は、野球とソフトボールの全国レベルの選手強化プログラムで、打撃コーチの補佐役も務めた。
「ストレングス・コンディショニングという限られた分野より、もっとゲーム全体に関わることができるようになりたい――自分の情熱が向かう先が変わってきたことを自覚するようになっていた。科学的な視点から、選手の成長にもっと貢献したいと思うようになった」とバルコベックは語る。「野球の試合が、どちらに向かって進化していくかは明らかだ。科学という観点から分析し、状況をしっかりと把握する。そうすれば、必ず球界で生きる自分の将来に資すると確信できるようになった」
バルコベックは19年8月から、ワシントン州にある「ドライブラインベースボール」で働いた。科学的なデータを駆使して、選手の能力向上を目指すトレーニング施設だ。打者の視線と投手の股関節の動きを、納得できるまで分析した。その成果をヤンキースで役立てたいと考えている。
「ヤンキースの面接では、打撃コーチ陣の姿勢に圧倒された」とバルコベックは打ち明ける。選手育成の手法は急速に発展しており、「これに立ち向かうために、自分たちのやり方をどんどん変えていたから」
アストロズ時代から同僚だった先のヤンキースの打撃コーディネーター、ローソンは、バルコベックが女性だということで何かを考慮したことは一度もない。「そりゃあ、メジャーで30年もプレーしてコーチになったら、それだけで信頼されるし、存在価値も認められる。でも、そんな経歴がなければ、どうしても時間がかかるものさ」とローソン。「ともかく、選手かコーチとして、レイチェルと一緒にグラウンドに立ってみればいい。そうすれば、相手のために努力し、自分の専門知識を深めることで選手の上達に貢献してくれるのは明らかだ。」
そして、こう続けた。「最初は、少し変な感じがするかもしれない。女性だからね。でも、すごいコーチだってことは、すぐに分かる。そして、そういう目でしか見なくなるんだ」(抄訳)
(Lindsay Berra)©2019 The New York Times筆者はフリーランスのスポーツジャーナリストで、ヨギ・ベラ(訳注=ヤンキース史上屈指の名捕手。後に監督もした)の孫娘
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