John Maeda 日系米国人デザイナー。1966年生まれ。シアトルで豆腐屋を営む日系人の父のもとで育つ。ロードアイランド・スクール・オブ・デザイン学長、MITメディアラボ副所長、米競売大手イーベイなどを経て、2019年から仏コンサルティング会社ピュブリシス・サピエント(PS)のチーフ・エクスペリエンス・オフィサー(最高体験責任者)をつとめる。新著に「How to Speak Machine」がある。
■見直されるべき従来型企業の価値
――なぜPSに入ったのですか。
シリコンバレーの様々な業界で働いた経験から、ネット企業がいかに世界をコントロールしているかを見ることができた。そこから得た結論は、従来型のいかなる企業も彼らに負けてしまうということだった。10年ほど前、スタートアップ企業に対抗する概念として、「エンドアップ」という言葉を考えた。スタートアップは失うものがないが、エンドアップは長い間ビジネスをやってきたためにリスクが取れない。
一方で、エンドアップ企業はとても大きな価値を持っている。あなたがた新聞社でいえば、ジャーナリズムの維持や、高い倫理基準などがある。英国の公共放送BBCが、今の時代でも高い質のエンターテインメント番組を作り続け、デジタルフォーマットにも対応できると誰が思っていただろうか。彼らは今の時代における配信の仕方や、有能な社員を見つけることもできた。
こうした価値は、新興のテクノロジー企業は持っていない。私がPSに入った理由は、既存の大企業であるエンドアップを競争力のある企業にする手助けをするためだ。エンドアップが長い時間をかけて進化させてきたこうした能力は、すべてが速く、安くなったテクノロジーの時代において、より重要なものになる。もしエンドアップ企業がなくなれば、世界の企業がグーグルやヤフーなどだけになってしまう。私はそれがいい世界だとは思えない。
――従来型企業は、どう変わればいいのでしょうか。
私はまだこの会社に入って間もないが、顧客企業の人たちと会って話をした。彼らは、破壊的な変化に対応するために自分たちも変わりたいと思いながらも、二つの共通する問題に直面している。一つ目は、テクノロジーの力を利用するためのシステムにどうアクセスするかを理解していないこと。これはテクノロジーの問題だ。そして二つ目は、新しい現実についていくために、彼らの企業文化をすばやく変える手法を理解していないことだ。この企業文化を変えるという部分が、もっとも難しい。
■ネット時代のスピードを理解せよ
――なぜ企業文化を変えるのがそこまで難しいのでしょうか?
エンドアップ企業の人々が、インターネット以前の世界にいるからだ。ネット以前の時代に育った古い世代の人たちは、時間がリニア(線状)に進んでいくと考えている。だが、若い世代の人たちは、時間が指数関数的に進んでいくことを理解している。ネット時代で1年待てば、他の人は2倍の速さで成長する。10年待てば、他の人は3万倍の速さで成長してしまう。
――あなたは、人工知能(AI)が人間を超えるほどに進化する「シンギュラリティー」が起きると考えていますか?
もちろんだ。(半導体の性能が1年半で2倍になるという)「ムーアの法則」を説明する比喩として、王様とチェスの物語がある。チェスが素晴らしいゲームだということで、王様がチェスを発明した人にご褒美を与えると言い出した。その発明者は「私はとても謙虚な人間です」と言って、「チェス盤の最初の1マスに1粒の米を置いて、その数を順次2倍にした数の米粒を下さい」と言った。それを聞いた王様は、「なんだ、そんなものでいいのか」と思った。
だが、チェス盤は8列×8列で64マスある。「2」「4」「8」……と増やしていくと、その数はチェス盤の半分で20億になり、チェス盤全体を埋めると900京(1京は1兆の1万倍)にもなる。いまのコンピューターの計算速度は、1970年代の20億倍も速くなった。車にたとえると、70年代に時速100キロだった車が、いまでは光の速度より速く、しかも安いという状況だ。
――テクノロジーが台頭する中で、一番の問題は何でしょう。
最大の問題はインバランス(不均衡)だろう。そして、それがいかに自動的に起きているかだ。AIは決して怖いものではない。AIで怖いのは、自動化されたロボットが勝手に仕事を進めることだ。あなたが10人ほどの部下を持つマネジャーなら、あれこれと指示を出すことができる。だが、AIの時代には、数億ものロボットが、あなたが想像もできないような作業をこなすようになる。
AIの自動化が進めば、不均衡も自動的に生み出されるようになる。いい例としては、AIによる過去の裁判の判例の処理がある。AIはものすごいスピードで過去の判例を分析することができるが、「貧困地区の出身者は刑務所に行く可能性が高い」というような偏りがあれば、そうした不均衡が自動的に含まれてしまう。AIは自動化されているので、これらの問題をただすのはとても難しい。我々はAIに処理させるデータが常に偏りを持つことを忘れがちだ。AIは公平なロボットのようにみえるが、実際はそうではない。
ソフトウェアの開発者に男性が多いことも、偏見を生んでいる。ソーシャルメディアの思想的指導者に女性が少ないのは、彼女たちがハラスメントを受けているからだ。あなたが男性だとしたら、女性の名前と顔写真でSNSのアカウントを作ってみるがいい。私は試しにやってみたが、「デートにいかないか?」などと言われ、とても不快な思いをした。だが、あなたのソフト開発チームがすべて男性なら、こうしたことに気がつかない。
――デザインの世界にも不均衡が起きていますか?
それは間違いない。デザインには三つの種類がある。一つ目は、メガネやファッションなどの古典的なデザイン。二つ目は、コラボレーション、ブレーンストーミングなどの思考デザイン。そして三つ目が、CPU(中央演算処理装置)やAPI(アプリケーション開発を容易にするためのプログラム)などをどうつくるかという、コンピューターのデザインだ。この三つ目のデザイン領域の人材がいま、とても不足している。こうした人材を育てる大学のコースがなく、教育システムも崩れている。こうした人材は、(米動画配信大手の)ネットフリックスや(音楽配信サービスの)スポティファイなど、数少ないIT企業に囲い込まれている。
■コンピューターが持つ三つの特徴
――新著「How to Speak Machine」では、どんなことを書いているのですか。
著書は、クラウドの世界がどのように動いているのかを伝えるものだ。この基本的な考えで、なぜZ世代(1990年代後半から2000年代に生まれた世代)の若者がこう行動するのか、ネットフリックスが成功したのかがわかる。コンピューターには、三つのシンプルな特徴がある。これらの点は、(米フェイスブック最高経営責任者の)マーク・ザッカーバーグら、プログラミングを理解している人ならみんなが知っていることだ。
一つ目は、コンピューターは永久にループし、決して疲れない。二つ目は、コンピューターは膨大な空間をカバーでき、かつ極めて微細なものを特定できる。地球上にある藁(わら)の山から、一本の針を探すようなことができる。そして三つ目は、コンピューターが人間のモデルを作ることができるということだ。人間がコンピューターに話しかけ、コンピューターが人間に答えることで、人間の脳のモデルを形作ることもできうる。コンピューターの命令は24時間、永遠に繰り返される。
これらの事実を受け入れるとすれば、製品は三つの意味で変わっていく。一つ目は、我々は完璧な製品を出す必要がなく、不完全な製品を出していろんなアイデアを試し、ダメなら変えればよくなる。二つ目は、消費者の行動を常に追跡することができる。かつて、スパイ活動には莫大なコストがかかっていた。だがいまは、あなたが何を触り、動かし、持ち上げ、食べるかを常に監視するのに、ほとんどコストがかからない。
三つ目は、こうした状況が、不均衡によって予期せぬ結果を引き起こす可能性があることだ。もし数百万人の人を容易に監視し、感情をコントロールするロボットを導入することができたとする。もし私が間違ったことをしたらどうなるだろうか。これが私たちの子どもたちが生きる世界であり、彼らにとって普通のこととなる。
■プログラミングより、課題解決の力を
――この状況に対応するのに何が大事になりますか。
どうやったらコンピューターとうまく協調できるかを、問い続けることだ。倫理の問題などコンピューターが知っておくべきことを、私たちはコンピューターに教えることができる。より良いデータを与えれば、コンピューターは全く違う行動様式を学ぶことができる。さきほど挙げた三つの特徴で、コンピューターができることの8割を説明できている。こうした特徴さえ理解できれば、コンピューターを恐れる必要はない。こうしたコンピューターの特徴を、良いことに使うことができる。
プログラミングをめぐる最大の問題は、バイアス(偏り)だ。米国ではかつて、高校でコンピューターサイエンスを受ける生徒はかなり男子に偏っていたが、いまでは女子の数が増えている。理由は、試験問題を変えたからだ。以前のテストは、コンピューターサイエンスの技術を問うものだったが、今では「ある国では出生率が下がっており、どうしたら経済を上向かせるかを理解するニーズがある。その状況下で、問題解決のためにはどんな種類のソフトウェアが必要でしょうか」というような質問になっている。
親として子どもにするべきことは、プログラミングキャンプに送り込むのではなく、世界の重要な課題を考えるような場にまずは行かせることだ。それからその問題を解決するためのプログラミングキャンプに行かせればいい。コンピューターは世界を網羅するものとなっており、それを理解することは重要だ。もし理解しなければ、あなた自身がそのシステムに使われる道具になってしまう。
私は日本の古いサムライに関する本を読んで、大胆さ(audacity)と勇気(courage)の違いを知った。大胆さというのは、自分がこれから立ち向かう相手が何かを知らずに、とにかくやってみること。一方で、勇気というのは、自分が飛び込む危険がどんなものかを理解したうえで、その危険に飛び込んでいくことだ。コンピューターとどう話していくかを理解するうえで、私は後者のやり方のほうが好ましいと思っている。