冬眠しても筋肉が衰えないクマ その秘密がヒトの医療に使えるかもしれない

クマの生活は主に三つのシーズンに分かれる。5月に始まる「活動期」。9月末からの「旺盛な摂食期」。そして1月から春までの「冬眠期」だ。
生理学的にみて、冬眠期は研究者にとって最も不思議で、一番の関心を集める時期だ。クマは、冬眠すると新陳代謝率と心拍数が急激に落ちる。排便や排尿もしなくなる。血中窒素量が急激に上昇するが、腎臓や肝臓へのダメージはない。インスリンに抵抗性が生じるようになるけれど、血糖値の変動にわずらわされることはない。
人間がこうした周期――毎年数カ月間、集中的に活動したり冬眠したりする――を過ごすと、たやすく糖尿病、肥満、骨量の減少、筋力の衰え、あるいはもっと悪い症状をきたすだろう。しかし、クマは毎春、ちょっと足元がふらつくくらいで、平然と動き始める。
「クマは非常に太っている時でも、健康的な肥満だ」と、米アラスカ州でブラックベアの冬眠を研究しているブライアン・バーンズ。「彼らは、人間ならかかるような病状にはならない」と語った。
なぜか? ワシントン州立大学(WSU)の研究グループが2019年9月、冬眠中のグリズリー(ハイイログマ)の細胞がどんな働きをしているのか、そのメカニズムを探った研究論文をコミュニケーションズバイオロジー(Communications Biology、訳注=生命科学関連のオープンアクセス・ジャーナル)で発表した。同大学には米国唯一のグリズリー研究センターであるWSUベアセンターがある。ここでは捕獲されたクマや野生で生きていくのが困難なクマ11頭が飼育されている。
研究者たちは1年に3回、捕獲されたクマのうち6頭の肝臓、脂肪、筋肉からサンプルを採った。1年を通じて細胞内にどのような変化が起きるのか、研究チームは実験室でDNAを分析した。
「冬眠の効果は、各細胞組織で異なっている」と、研究論文の筆者の一人でWSUの進化生物学者のジョアンナ・ケリーは述べた。「冬眠とは、冬に眠るとか眠らないとかいう単純な問題ではない。年間を通じて移行的な変化が起きているのだ」と言うのだった。
どういうことか? 研究チームは、クマの脂肪組織が冬眠中にほとんど変わってしまったのに、筋肉の細胞組織はまったくと言っていいほど変化していなかったことを突き止めた。つまり、冬眠期間中でも、筋肉細胞は活発なままだった。このことは、筋肉細胞がなぜ衰えないのかを説明するうえで、有用な手掛かりになりそうだ。
研究論文の主執筆者であるヘイコ・ジャンセンが一番驚いたのは、クマの脂肪には年間を通じて「発現」(訳注=遺伝子の遺伝情報が、さまざまな生体機能を持つたんぱく質の合成を通じて具体的に現れること。遺伝子発現)のレベルを変える遺伝子が大量に含まれていたことだった。その数は「数千にも及んでいた」とジャンセンは言った。クマとは対照的に、マダガスカルのキツネザルが冬眠する際は、脂肪組織中、発現のレベルを変える遺伝子は、シーズン中わずか数百だった。
「冬眠はすべての生物に共通する現象ではない」とジャンセン。「種によって、それぞれ異なった遺伝子が有効に働いている」と言った。
初期の冬眠研究では、研究者たちは生理的な引き金によって冬眠が始まるのではないかとみて観察していた。特異かつ明らかな「何か」が冬眠プロセスを引き起こす――おそらく、科学者はその「何か」を特定することができるかもしれない。それを「冬眠しない動物に注入すれば、どんな動物でも寝込んでしまうにちがいない」と考えていた。WSUベアセンター所長のチャールズ・ロビンスはそう説明し、「いまや、私たちは膨大な数の遺伝子が変化していることを理解している」と語った。
他の動物も冬眠する。オーストラリアに生息するブーラミス(訳注=有袋類)、北米の草原に生きるジュウサンセンジリス(訳注=リス科)、さまざまな種類のコウモリなどだ。この種の動物たちの行動は長い間、研究者たちの関心を集めてきた。冬眠という活動停止状態を人間の健康に適応できないか、その点を究明したい、と。
米ネブラスカ大学リンカーン校の分子生物学者、マット・アンドリュースは冬眠中のジリスの生態を研究し、後に、出血性ショックの治療法作成に役立てた。2000年代初めの頃、アフガニスタンやイラクの武力紛争で、道路わきに仕掛けられた爆弾による犠牲者が相次いだ。アンドリュースは、彼らが失血死する恐れが相当高いことを知った。もし爆弾の被害者が止血帯と輸血による治療をすぐに受けられるなら、命は助かる。だが、僻地ではすぐに治療を受けることができなかった。
アンドリュースは冬眠中のリスがメラトニンを分泌していることに気づいていた。メラトニンには強力な抗酸化作用があり、何カ月も活動しない状態から始動して血流が増える際、細胞を保護する。彼のチームは、メラトニンとケトン(訳注=脳や筋肉、その他の組織のエネルギー源になる)を調合した。これを出血性ショックに陥った患者に注入すれば、後の輸血時に細胞組織へのダメージを減らすことができるかもしれない。この治療法は今のところ、ネズミやブタでの実験で成功しており、チームは今後の臨床試験についても米食品医薬品局と打ち合わせている。
冬眠の生理は臓器移植にも応用できるかもしれない。移植待ちの腎臓や肝臓は冷溶液につけておけば24時間は保存可能だが、それを過ぎれば使えなくなる。心臓や肺だと4時間から6時間ほどしか保存できない。
「移植手術には入念な計画を練らなければならない。そして臓器バンクなどというものはない」とアンドリュース。臓器移植が必要な患者は臓器の提供を待たなければならない。だが、もし臓器を冬眠のような状態にして新陳代謝率を低く抑えられるようにすれば、臓器の提供バンクが得るかもしれない。
冬眠は宇宙旅行にも役立つだろう。今日の推進技術では、火星への往復に2年半の時間がかかる。それに宇宙飛行士用に大量の食料や空気や水、医療用品も必要だ。冬眠状態への誘導は、地球を後にした人間がずっと眠り続けるのにちょうどいい。
「そこまでたどり着くにはまだほど遠い」とジャンセン。「だが、我々は細胞を培養し、エネルギーの働きをする部分を操作することができる」と語った。
冬眠は、完全なものであれ部分的であれ、人間が習得するにはまだ学ぶところの多いものだろう。こうしている間も、野生生物の研究者たちは、冬眠動物にとって冬眠がいかに生存に欠かせないか、その重要性を躍起になって説いている。「自然界にこうした動物がいることは、我々にとっても幸せなことだ」。ジャンセンはそう言った。(抄訳)
(Devi Lockwood)©2019 The New York Times
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