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見えない・聞こえない・歳をとる、から広がる世界。~DID創始者が日本にやってきた~

Sponsored by Dialogue Japan Society
「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」創始者で、ドイツ人哲学博士のアンドレアス・ハイネッケ氏

すべてを逆転して見てみよう

「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」(以下、DID)は、完全に光を遮断した真っ暗な空間を体験するエンターテイメント・プログラム。暗闇で視覚情報を奪われた参加者は、聴覚や触覚など、視覚以外の感覚を使って日常生活のさまざまなシーンを体験することになる。

1988年、ドイツで産声を上げたDIDは、これまで世界41カ国以上で開催されており、日本には1999年に上陸。以来、さまざまな会場で22万人以上が体験している。

発案者のアンドレアス・ハイネッケ氏は、ドイツの大学院で博士号(哲学)を取得したのちにラジオ局に勤めていたときに、あるきっかけからDIDを着想したという。

——「これから採用する人がいる。一度会ってもらいたい」。上司にそう呼ばれて面談をした相手は、視覚障害者でした。当時の私は、視覚障害をもった方と接したこともありません。だからその人と話そうにも、どんな質問をしたらいいかすら分からず、考え込んでしまいました。

例えば、英語で「さようなら」と言うとき、「see you later」と言いますが、“see”という単語は“見る”という意味になってしまいます。目が見えない方に「また会おうね」と伝えたいのに、“見る”という言葉を使わなくてはならないわけです。

ちょっとした言葉ひとつとっても戸惑わずにいられなかったのですが、その28歳の若者は、交通事故で視力を失ったというのにもかかわらず、哀しそうな様子ひとつ見せない人でした。非常に多くのポテンシャルを秘めていて、とってもハンサムで。障害者を前にすると、社会は「この人はとても弱い人だ」と哀れみの目線をもつのでしょうけれど、私はそんなことを微塵も感じなかったのです。

彼との出会いが、私の人生をがらりと変えました。「すべてを逆転して見てみよう」。そのとき自分のなかに生まれたアイデアが、のちにDIDを生んだのです——

ハイネッケ氏の特別講義には70名におよぶ受講者が集まった

参加者を導く「アテンド」という存在

始まった当時のDIDは、非常にシンプルなものだったとハイネッケ氏は言う。空間はガレージのように簡素で、事故防止のために床には藁を敷いた。参加者が暗闇の中でどう振る舞うかもわからないため、手の届く高さに手がかりとなるようにロープを張った。

参加者向けのガイダンスは、カセットテープに録音された音声で行った。何度も繰り返し使っていたのでテープが伸びてしまったこともあったという。翻っていま、参加者の手助けをするのは、「アテンド」と呼ばれる存在だ。

視覚障害者が務めるこの“導き手”の存在がなければ、誰しも不安のあまり一歩も足を進められず、助けを求めずにはいられなくなる。目が見えないはずの人に、目が見える人が支えられる。ここにも、ハイネッケ氏がDIDを生み出すきっかけとなった盲目の若者との出会いが、その導き手の存在に通底している。

——床に敷いた藁も張り巡らせたロープもふくめて、一つひとつのアイデアをつなぎ合わせて、DIDは生まれました。初めから何かしらの戦略があったわけではないし、何ひとつロジックがあったわけでもなかったのです。

アテンドも、そうしたアイデアのなかのひとつ。DIDでは目の見える方に暗闇の中を探検していただきますが、探検していく中で、不安や恐怖、あるいは“あやふやさ”を感じることになります。

ただし、参加者は決して“ひとり”ではありません。どんなに不自由な状況でも、視覚障害者のアテンドが目の見える参加者をケアしてくれます。彼らアテンドは実生活では目が見えないわけですから、現象としてはとてもユニークですよね——

特別講義では、視覚障害者、聴覚障害者、高齢者が一緒になりゲームを楽しむ時間も

「見えない」ことで「見る」を問い直す

手探りのままDIDを続けたハイネッケ氏は、以後、音のない環境で言葉の壁を超えたコミュニケーションを体験する「ダイアログ・イン・サイレンス」(以下DIS)、70歳以上のアテンドが未来を案内する「ダイアログ・ウィズ・タイム」(以下DWT)などのプログラムを生み出している。そのきっかけとなったのは、いずれも当事者との出会いだったと言う。

——DISでは、参加者はヘッドセットを着用し、外音がまったく聞こえない環境に置かれます。聞こえない方の世界に入るわけですね。

その発想については、これまで目が見えない方を対象にしてきたから、次は耳の聞こえない方をモチーフにしたのではないかと言われることもあります。しかし、これもまた、戦略的に考えたわけではありません。

DIDを始めてから10年ほどして、聴覚障害者との不思議な出会いがありました。テレビ局で仕事がしたいというその方にアドバイスを求められたのですが、今度もまた、当時の私は耳の聞こえない人に会ったことがなかったのです。

初めて会ったその男性に、私は、生まれ故郷がどこかを見事に言い当てられました。ドイツ南西部の民族衣装を着ていたわけでもないのですよ(笑)。彼は、私が喋るときの口の形で見抜いたのです。自分の発話や、唇の動きかたの特徴でドイツのどの地域出身か分かるなんて、思いもしませんでした。

同時に驚いたのが、彼らはこんなにも高度なことを容易にやってみせるということ。その時から、私は手話を学び、そして、聞こえない方のコミュニティに参画するようになりました。そして、自然な流れでDISは生まれました——

ハイネッケ氏のダイアログへの思いに、笑顔が広がる

——DWTでは、70歳以上の方々をアテンドとして採用しています。これも、個人的な出会いがきっかけ。色々なことを語ることができる、とある高齢の方のポテンシャルに驚き、その方を通じて、“高齢である”、“歳を重ねる”ということについての価値を学んだことがきっかけでした。DWTは歳を重ねることについて新たな理解を得られるような、素晴らしい場になっていると思っています。

もうひとつ始まったばかりのプロジェクトもあります。それが「ダイアログ・ウィズ・ジ・エンド」。その名の通り“終わりとの対話”。死を目の前にした高齢者や病の末期状態にある方との語らいの場を提供しています。

これもやはり個人的な体験がきっかけで生まれました。私自身が、癌を再発したんです。そのとき、自分がおかれた状況とどう対峙しようか考えました。“自分の最後”、“最後の瞬間”について考えを深めていくようになりました。

DIDは目が見えない方々、DISは耳が聞こえない方々の状況を追体験する場でもあります。「ダイアログ・ウィズ・ジ・エンド」では死そのものを取り扱っているように受け取られがちですが、それは実は正確ではありません。暗闇に身をおくことで、“見えない”ではなく“見る”とはどういうことかを問いかけることになります。沈黙のなかで過ごす時間は、逆にコミュニケーションについて考えることになる。死を語ることで、生について理解できるのです——

「三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア」内のDID新体験施設「内なる美、ととのう暗闇。」の入口

アテンドも期待している

2019年11月、新国立競技場のすぐそばに開業した「三井ガーデンホテル神宮外苑の杜プレミア」内に完成したのは、一般の来場者もDIDを体験できる施設。20年来の活動を続けてきたダイアローグ・ジャパン・ソサエティとそのスタッフたち、さらには体験を経てファンになった人たちの念願が叶ったスペースだ。

来る2020年には東京の竹芝に、いつでもDIDを体験できる施設のオープンが予定されている。
ダイアログ・ミュージアム「対話の森®」と名付けられる予定のそのスペースで体験できるのは、DIDに加え、DIS、 DWTの3つの体験だ。ここでアテンドを務めることになる視覚障害者、聴覚障害者、そして高齢者たちには、“対話のプロフェッショナル”が揃っている。

DIDアテンドのセトセットさん(左)と、ヒロさん

ハイネッケ氏の特別講義にも参加していたセトセットさん(DIDのスタッフは皆、お互いを愛称で呼ぶ)は、小学生の頃から全盲。いまはDIDのアテンドとして活躍するほか、スクールの講師の顔も持つ。受講生たちからすると、セトセットさんは“対話の達人”。アテンドとしての振る舞いだけでなく、いかに参加者の声を引き出すかに長けている。そして、海外の日本語学校で教師をしていた当時、次第に視力を失っていく病に侵されたヒロさんは、現在スクールを受講し、アテンドとしての自立を目指している。「セトセットさんは、ほんとうに“対話職人”。スクールではアテンドとして必要なレッスンを受けるのですが、セトセットさんをはじめとする講師の方々から学んでいるのは、自分のことを話すだけでなく、相手から何を、どう引き出すかという能力。むしろ“対話力”が鍛えられているんです」

DISアテンドの松森果林さん

DISには日本初開催前から監修として関わり、アテンドとしても活動する松森果林さんは、聴覚障害者としての経験からユニバーサルデザインについてのコンサルティングや講演も行っている。「耳の聞こえない人同士のコミュニティは存在する一方で、視覚障害のある方とふれあう機会はそう多くはありませんでした」と松森さんは言う。「3つのプログラムを提供する施設ができることで、それぞれが集いコミュニケーションをとる場が生まれることへの期待は大きいですよね」

DWTアテンドの原田泉さん(左)と布勢ふき子さん

DWTのアテンドを務める原田泉さんは、3年前に癌を患ったのを機に、「人生何があるかわからないから楽しもう」と参加を決めた。今年80歳になるが、作曲のほか漫才にも果敢に挑戦する好奇心旺盛さをもっている。83歳になる布勢ふき子さんは、視覚障害をもつ伴侶をなくしたのち、「娘にすすめられて」アテンドになった。「始める前は、いったいどんな人が体験に来るんだろうって不思議だったんです」と布勢さんは言う。「まだ若い、中学生や高校生たちがやってきて、彼らが喜んでくれると、ほんとうによかったって思えたんです。『喜ばせられた』という実感を、わたしは『いただいた』んです」

アテンドは、とにかく人を惹きつける力をもっている。

短期的な“ロマンス”に終わらさずに

ダイアローグ・ジャパン・ソサエティの理事を務める志村真介氏は、この日のハイネッケ氏との特別講義をこう語って締めくくっている。

——世界中の人々が体験する暗闇のなかで必ず出てくるのが、「I’m here! 」という言葉。アテンドも参加者も、誰もが等しく「私はここにいます」と声をかけあうのです。ただ、これは物理的に「ここにいる」というだけでないのです。それは「私の存在はここにある」という心の底からの声。性別や年齢などの立場を超えた、存在としての宣言が、世界中で言葉として発せられているのです——

DIDをはじめとするプログラムが、世界中に住まうあらゆる人の人生への理解を促す機会を創出しているのは確かだ。同時に、アテンドを育てるアテンドスクールというかたちの養成講座が、新たな雇用と活躍の場を提供しようとしている。DIDをはじめとする数々の“対話”を通して、世界中で他者への共感が拡がることに期待せずにはいられない。が、この歩みがいまだ途中であることは、忘れてはならない。

ハイネッケ氏は言う。「これは、短期的なロマンスではいけません。永遠の愛でなくてはいけないのです」。
(写真/有村蓮、文/年吉聡太)