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濱川明日香の「放っておけない」 バリ島拠点に、起業家に伴走する生き方

Breakthrough 突破する力
オープンしたばかりのエコホテル「マナ・アースリー・パラダイス」で。「有機野菜の栽培や販売、子ども用のスペース作りもしたい」。やりたいことは山ほどある

木材は全て廃材を利用、室内の照明は太陽光エネルギー。水は雨を利用し、排泄物は浄化したうえで植栽の肥料に使う。部屋にテレビやドライヤーはなく、トイレには「洗浄で1人1日あたり39リットル使います。小用の時は、小用の洗浄ボタンを使いましょう」と注意書きが。コップは瓶を再利用したものだ。

マナ・アースリー・パラダイスのある日の朝食。ジュースはフルーツをその場で搾ったもの=バリ島ウブドで

夫の濱川知宏(39)と共にバリ島を拠点に一般社団法人「アース・カンパニー」を運営する。エコホテルのほか、アジア太平洋の社会起業家支援を行っている。毎年1人を決めて3年にわたって寄り添う。これまでに5人の支援を手がけ、伴走してきた。最初に信頼関係を作るため、1週間支援先の地元を訪れて共に過ごす。活動現場を見るだけでなく、友人や家族にも会う。朝から晩まで話し合って問題点を洗い出し、ビジョンや組織、予算額などの経営計画も見直す。

ホテルではガラス瓶を再利用した食器を使っている=バリ島ウブドで

第1号が、東ティモールで女性初の大統領をめざすベラ・ガルヨス(46)だ。1300万円余を集め、環境教育をするグリーンスクールを設立した。紛争で緑が失われた現地で、貧しい子どもたちに無料で環境の大切さや英語などを教える。併設する有機野菜の農園で女性たちの仕事を生み出し、そこで採れた野菜を使うレストランやバーもある。今支援中の気候変動活動家でマーシャル諸島出身のキャシー・ジェトニル・キジナー(31)とは、外国の大学生向けのスタディーツアーを企画中だ。コストは? 利益は? 滞在先をホームステイにすれば、地元住民と交流もできるし、彼らの収入にもなるのでは……。細かく検討を重ねる。

ガルヨスは「明日香は情熱的で愛情が深い。しかも戦略的でクールな視点がある」という。

■学校でのしがらみ

ホテル周辺の風景。畑が広がり、周辺の住民が行き交う=バリ島ウブドで

小さい頃から、母・一美(65)に「人と違って良い」とのびのびと育てられた。しかし小学校から通った私立の一貫校は同調圧力が強く、人に気をつかうばかり。友人をかばっていじめられ、登校すると机に花を飾られていた。学校に行くと思うとおなかが痛くなり、足が動かなくなった。車いすを使ったこともある。

「アメリカに行きたい」。テレビで「ビバリーヒルズ青春白書」を見て、自由さに憧れた。中3で1カ月語学研修に行くと、思った通り「言いたいことが言えて、やりたいことがやれる国」だった。しかし、家計はバブル崩壊による親族の借金で火の車だった。親に内緒で奨学金の試験を受けて合格し、留学を果たす。

米国の高校、大学に進み、野性味が加わったのが就職直前に南太平洋の島々を回った時だ。人類学に興味があり、「人類のたどった道を歩きたい」とフィジー、トンガ、サモアに計5カ月の旅に出かけた。サモアでは観光客の少ない地域に行きたいと、どんどん田舎へ田舎へ。裸電球一つの家に居候した。

この生活が最高に性にあった。「もう毎日生きることに専念するしかない」。日の出と共に起き、トイレに行きたくなったら、流すための水を井戸からくむ。喉が渇いたら椰子の木に登って実を取る。夜は野生の豚を捕ってさばいて食べる。

トンガで暑くて海に飛び込んだ時のこと。腰まで伸ばしていた髪が水面にふわっと広がり、ただ波に身を任せていた。「心の底から自由で」。子どもたちが自分を見てささやきあっている。何?と聞いたら、「Are you a mermaid?(あなたは人魚?)」。

いつか気候変動を学ぶと決めた。楽園に地球温暖化が押し寄せる厳しい現実も知ったからだ。サモアでは高潮で村が水没し、集団で山に移住した地域もあった。「廃墟を見た時、人類の未来を見たようで寒気がした。心から素晴らしいと思ったここの暮らしを、先進国がこうしてしまったという罪の意識を感じて」

東京で外資系コンサルティング企業に就職した。仕事は楽しかったが、窓の開かない高層ビルで残業の日々は息苦しくて2年で退職。ハワイ大学の大学院に留学した。奨学金を得るまでは市場でバイトをして残りの野菜をもらう生活。だが念願の気候変動を学ぶことができ、まったく苦ではなかった。

ハワイの大学院時代、ダンスの選抜チームに選ばれてイベントなどで踊っていた

ここで同じ寮にいたガルヨスと出会ったことが、さらに人生を決定づけた。「ベラの人生は父親から虐待を受け、祖国独立のため少女兵となり亡命し……と壮絶そのもの。いつか彼女が支援を必要とする時に必ず助ける、って決めたんです」。7年後に、その思いを実現した。一度決めたら必ずやり遂げる。

■授乳しながら猛勉強

支援を必要としている人を見たら放っておけない。だから、東日本大震災が起きた時、国連開発計画のサモア事務所に就職が決まっていたのに、それを捨てて迷わず東北入りした。年末までボランティアとして宮城・石巻の漁業の復興に力を注ぐ。がれきやゴミを撤去して、ようやく先が見えてきたと思った時に、猛烈な台風が現地を襲う。すべてがまた泥に埋まってしまった。

「もういいよ」。漁師のリーダーだった石森裕治(62)が初めて弱音を吐いた。「何もかも失って嫌になって」

「何言ってるの!」。猛然とかみついた。「もともと一から始めたんだから、また一からやればいいじゃない」。「明日香に怒られなかったら、またやろうと思えなかった」と石森は言う。

石巻から戻った後、温暖化対策に取り組む日本のNGOでも働いた。やりがいはあったが、「2人で何かやりたいね」と、夫の知宏と共に団体をつくることを選ぶ。

アース・カンパニーのスタッフたち。背景はオープンしたての「マナ・アースリー・パラダイス」=バリ島ウブドで

知宏は中国やインドのNGOの現場で働き、数十億ドルの規模でNGOを支援する英国の財団に勤めた経験もある。ビジネスを知る自分となら、何倍もの力が発揮できるのでは─。起業に向けマーケティングや資金調達を猛勉強した。出産したばかりだったが米国の大学の通信課程などを取り、「授乳しながら課題をやりました」。

アース・カンパニー設立直後に長女も連れてバリに移住した。知宏がバリのNPOにも職を得たことに加え、「日本は子どもが子どもでいられない」ためだ。

長女と。「こんなに早く妊娠するつもりはなくて。妊娠がわかった時、これで私のキャリアも終わると思ってしまった。でも全然そんなことはなかった」=バリ島ウブドのマナ・アースリー・パラダイスで

他人に支援はしても、団体の資金繰りは決して楽ではなかった。「スタッフのお給料が払えない」と青ざめたこともある。そんなときに限って寄付者が現れた。自分の給料を出すようになったのも今年に入ってからだ。ホテル建設にかかった数千万円の費用は、私財に寄付、融資や投資をかき集めた。

「彼にだけは弱音を吐ける」という知宏は、彼女を「太陽みたいな存在。僕も周りも照らしてくれる」と表現する。「まずはホテルを軌道に乗せる」。愛とエネルギーを放ち、バリの大地を素足にビーチサンダルで今日も自由に駆ける。(文中敬称略)

■Profile

  • 1982 東京・世田谷で父・吉貞、母・一美の長女として生まれる。名前の由来は、母が妊娠していた時に、奈良県の明日香村の夢を見たから
  • 1996 ピアノを教えた謝礼でユニセフに寄付をする。夏に1カ月初めて米国に
  • 1997 翌年にかけて、米国・ミズーリ州に交換留学
  • 2000 米国ボストン大留学。国際関係と経営学を専攻する
  • 2004 初めてフィジー1カ月、トンガ1カ月、サモアを3カ月旅行。以降サモアに通い続ける
  • 2005 外資系コンサルティング企業に入社
  • 2008 ハワイ大大学院留学。夫や、後に支援するベラ・ガルヨスと出会う
  • 2010 ごく初期のがんが見つかり、治療。手術の前に、自然療法を求めてフィジー、サモアへ
  • 2011 5月に大学院を卒業後、東日本大震災復興活動のため12月まで宮城・石巻へ2012 温暖化対策に取り組むNGOで働きはじめる。同年、結婚
  • 2013 長女出産
  • 2014 ダライ・ラマに、献身的に人道的支援に取り組んでいるとして、夫婦で表彰される。一般社団法人アース・カンパニーを創設。バリ島・ウブドに移住、長男出産。18年に次女出産
  • 2019 ウブドの地にエコホテル「マナ・アースリー・パラダイス」開業
オフィスで。右隣は夫の知宏。「仕事も家庭も一緒なのは良くない時もあるけど……、同志です」

■Memo

ポリネシアンダンス…ダンスはヒップホップやサルサなどひととおりこなしたが、何と言っても一番好きなのがポリネシアンダンス。ビートを聞くと、リズムに乗って自然に身体が動き出す。「血がたぎって騒いで燃えたつようで、エネルギーが身体の内側からわき出てくる。感情もあふれ出て涙が出てきてしまう」

へその緒のお守り…濱川は1男2女の3児の母。次女は支援先でもある、バリ島の助産師ロビン・リムと共に自宅の庭で出産した。次女のへその緒を使いドリームキャッチャー(子どもが悪夢を見ないようにするお守り)を作った。

2018年に生まれた次女のへその緒を使ったドリームキャッチャー

栄養満点という胎盤は、3日間次女とつながっていた後で、野菜と炒めて夫と一緒に食べた。子育ての方針は「出来るだけ手出しをしないこと。転ぶときも、頭を打ちそうな時以外、そのまま転ばせる。痛くて泣いて学ばせます」。

写真・ドディック・カヘンドラ Dodik Cahyendra

1993年生まれ。インドネシア・バリ島ウブド出身。同島デンパサールを拠点に写真家とグラフィックデザイナーとして活動中。