今日、私のような学生が何千人も抗議している。気候変動は地球への「抑圧」の根本原因に目を向けなければ解決できない、ということを私たちは知っている。
私は17歳。高校1年生の時に公正な温暖化対策を目指して組織を立ち上げた。最初は私が住んでいるワシントン州シアトルで「Plant for the Planet(地球に木を植える)」運動の地域オーガナイザーとして、中学校や高校で、気候危機対策の行動を起こすよう呼びかけ、ワシントン州議会の公聴会で証言した。シアトル市評議会に「warning labels on gas pumps」(訳注=ガソリンスタンドの給油ポンプに、排ガスが温暖化につながるとの警告ラベルを貼ること)の立法化を求めてロビー活動をした。
私が生まれたのは9・11(訳注=2001年の同時多発テロ事件)の後で、世界は「もし~なら、という仮定」であふれていた。同級生たちは「子どもなんて欲しくない。だって子どもたちが生きられるような世界ではないに決まっているから」とか「私は大人になったら海洋生物学者になりたい。でも、私が大人になる時に、海の生き物がたくさん残っているとは正直思えない。だから別の仕事に就かなければならなくなる」などと話している。
17年の夏は温暖化が加速し、「カナダの森林火災」(訳注=カナダ西部ブリティッシュコロンビア州の山岳地で同年4月以降、カナダ史上最悪の大規模森林火災が発生した)により、北米・太平洋岸北西部一帯が濃い灰色のスモッグで覆われ、私は体を壊した。私は地元での活動を全国レベルに引き上げることに決めた。公正な温暖化対策を求めて、若者たちが街頭デモに出るという構想を描いていた。私はデモを実現させることにした。気候危機に対しての行動として、私は「ゼロアワー」という組織を立ち上げた(#ThisIsZeroHour)。ぐずぐずしている暇はない。
「ゼロアワー」は、若い人たちの声を世界の指導者たちに届けるために動員やイベントやキャンペーンを組織する。みな高校生活を何とか乗り切っていこうとする大勢の、各地の同世代の人たちだ。私たちには世界各地に100近い支部があり、今も増え続けている。
18年7月、私たちは首都ワシントンと世界25の都市で「Youth Climate March(気候変動への若者行進)」を組織した。このイベントには「Youth Climate Lobby Day on Capitol Hill(米国会議事堂における若者たちの気候変動ロビー活動デー)」や米国内の自治体政府への活動も含まれていた。私たちに必要な生存可能な未来のための「綱領」を各所で配布した。
抗議活動を行った日は土砂降りの雨。私は「今、気候変動に立ち上がる若者たち」と書いた横断幕を持っていた。数百人が集まってきたが、全員ずぶぬれだった。私のマスカラも落ちてしまった。「私たちは『大量絶滅』のさなかにいる」の表示は、ペンキが落ちて読みにくくなってしまった。
むちゃくちゃだった。でも、それは良いむちゃくちゃだった。力強いむちゃくちゃだった。
私たちの雨の中の行進が気候変動に関する学生の運動の大きな土台となって、もはや誰も無視できなくなるとは、私たちもほとんど気づいていなかった。
この「ゼロアワー」の行進の後で、スウェーデンの10代の環境活動家グレタ・トゥンベリが、気候変動の阻止を訴えて学校ストライキを始めた。この学校ストライキ運動で、気候変動への取り組み活動がさらに盛り上がった。それは信じられないほどの盛り上がりとなった。18年の「ゼロアワー」を組織した同じ人たちが、今や「未来のための金曜日」の活動家になっている。
この気候変動を阻止するストライキは今日、世界がこれまで見たことのない最大の気候変動対策の活動になると予測されている。
私はなぜ行動するのか?
私は「非植民地化された将来」のために闘っている。「非植民地化」された世界というのは、世界の富裕国と産業界がグローバルサウス(訳注=主に南半球に偏在している発展途上国)の地域社会から搾取しない世界のことだ。その代わりに、干ばつ、ハリケーン、洪水といった気候危機対策を支える世界だ。「非植民地化」された世界というのはまた、気候危機により最も深刻な打撃を受ける貧しい人たちや先住民社会やグローバルサウスの人びとの声に耳を傾けて、何らかの決定を下す会議に参加させる世界だ。
私が「非植民地化された未来」のために闘っているのはなぜか?
それは気候危機の流れを変えることができ得るのは、「非植民地化」の方策だけだからだ。
多くの人びとは、産業革命が気候危機の始まりだとしている。石炭を掘り出し、化石燃料を採掘し大規模にそれを燃料として消費し始めた時だと。しかし、気候危機は実際には、それよりずっと以前から始まっていたのだ。
「植民地化」が気候危機の始まりだった。植民地化に伴って、ヨーロッパから入植した人たちは自然環境を破壊し、多くの種を死に追いやり、外来の植物を持ち込んで先住民やアフリカ人奴隷に栽培を強制した。
植民地主義は、この地球上のすべては私たちが取り出すためにつくられたものであり、それゆえすべての物を売ったり、買ったりできる――そういう思考だった。この思考はヨーロッパの入植者がアメリカ大陸に到達し、土地や水、その他の天然資源を盗み、乱用したことによく表れている。
この世に神聖なものは何もない、金で買えない物は何一つない――空気や水や木や動物ですらない――という考えは、植民地主義と共に出てきた。気象災害がどのようにもたらされたのか、この歴史的な発想こそ、その中核になっている。最初の石炭が掘り出される前、いや最初の工場が稼働する前から、気候危機の種はまかれていた。そして植民地主義は決して消えることがなく、発展した。
気候変動のルーツが植民地主義にあることに同意できるなら、解決方法は私たちの社会を非植民地化すること、すなわち食糧やエネルギーを採る現在の手法から、共存の関係を築く方法まで、すべて脱皮していかなければならない。化石燃料から脱却し、有害なシステムを段階的に新しいシステムへと移行していこう。
地球温暖化による気温上昇が2・7度に達するのを阻止するため、IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)の報告書は、温室効果ガスの排出量を30年までに10年比で45%削減しなければならないと記した。30年、私は29歳になる。私の夢は大統領選挙に出ることだが、それに十分な年齢(訳注=米大統領選の被選挙権は35歳以上)ではない。私たちはそれまでに気候が正常化する道をたどらなければならない。
私は一つの願いに駆られている。世界の美しさが生き残って、私だけではなく、次の世代のためにも存在し続けるのを私は見たい。
若者は勉強に熱心に取り組み、将来のために一生懸命学校で準備して欲しいと大人たちが望むなら、私たちに未来があると確信させるように働いてほしい。
私はストライキをしている。なぜなら存在しない将来のために勉強するなんておかしいから。
私は現在のシステムを完全に変更するために、ストライキをしている。私と一緒にストライキをしませんか?(Jamie Margolin)
(訳注=筆者のJamie Margolinは、「Zero Hour」<ゼロアワー、訳注=地球温暖化の抜本的対策を求める高校生など若い人々の運動>の共同創設者)©2019 The New York Times
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