1. HOME
  2. 特集
  3. 「予測」という名の欲望
  4. あらゆるものを予測する時代 「何のため?」をどこまで考えているか

あらゆるものを予測する時代 「何のため?」をどこまで考えているか

World Now 更新日: 公開日:

ビッグデータの時代。人工知能(AI)の時代。そんなふうに呼ばれる現代は「予測」の時代でもある。私たちに身近な天気予報をはじめとして、自然災害からギャンブルまで様々な分野で予測技術が使われている。もはや、予測は現代社会に欠かせないインフラになりつつある。(西村宏治)

最も予測されているのは、私たちの行動かもしれない。ウェブサイトを開けば頼みもしないのに「おすすめ」が続々と現れる。ネットに流れ出た膨大(ビッグ)なデータから、AIが「あなたはこれが好みでしょ」と予測しているのだ。

ところが私はあまり当たっていると感じたことがない。最近もIT担当者向けのマニュアル本をすすめてきたばかりだ。AIの真意は測りかねるが私は記者で、そんなマニュアルが必要になる予定もない。

でも、中には「なんで好みが分かるんだろう!」とおすすめの精度に驚くひともいるという。AIは、どこまで予測できているのだろうか。

そんな疑問を胸に訪ねたのは、日本有数の統計研究機関、統計数理研究所(東京都立川市)。所長の椿広計さん(62)は製造業、公共政策などさまざまな分野で予測を手がけてきた統計家だ。

「人間は、難しいですよ」と椿さんは言った。「Aを買ったひとが100人いれば、うち80人はBを買う」といった確率は予測できても、「XさんがBを買う」と決定的に予測するのは難しいという。

人間がなにをもとに行動を決めるのか、まだよく分かっていないからだ。

■「ラプラスの悪魔」と「バタフライ効果」

いにしえの「予言」や「占い」に始まり、人類は有史以来、未来を予測することに血道を上げてきた。「科学」も、その営みの一つと言えるかもしれない。
 現在、科学的な予測は大まかに二つある。一つは物理法則などによる決定的な予測だ。たとえば日の出の時刻は、何年後でもほぼ予測できる。

ニュートンをはじめとした科学者たちは、次々にこうした「覆らない予測」を見つけてきた。フランスの数学者ピエール=シモン・ラプラス(1749〜1827)は、すべての原子の位置と運動量を知る悪魔がいるとしたら、未来は完全に予測できると考えた。世に言う「ラプラスの悪魔」である。

私たちに身近な天気予報も、この延長線上にある。「日射が気温に与える影響」「地球の自転が風に与える影響」など、物理法則にもとづいた膨大な計算式を積み上げて天気をモデル化し、スーパーコンピューターを使って計算して予報のもととなる数値をはじき出すのだ。

だが、いまでは大気の運動ではわずかな初期値の差が大きな結果の差になることが分かっている。「ブラジルの蝶の羽ばたきが、テキサスの竜巻を生む」という比喩で語られる「バタフライ効果」だ。

長期の天気予報では、初期値がわずかに変わるだけで結果が異なる。グラフは気温が平年よりどれぐらい変わるかの予報例(気象庁ホームページから)。左の黒い線が実況で、右側は初期値をわずかに変えた50本の予測。「バタフライ効果」で、時間が経つほどばらつきは大きくなる。実際の長期予報では決定的な予測は使わず、こうした差を取り込んで確率的な予報にしている。

実際のところ、天気は先になればなるほど予報は難しい。気象庁の場合、降水の有無についての例年(1992~2018年)の的中率は、翌日で83%、3日後で75%。これが7日後には67%まで下がる。

バタフライ効果により、どこまで技術が進んでも決定的な予測には限界があるという指摘もある。大気の状態を予測する数値モデルが完全でないことに加え、観測誤差をなくすのは不可能だからだ。気象庁数値予報課の計盛正博・数値予報班長(47)は「米国などの研究では、技術が進んでも日単位で予測するのは2週間程度が限界という説があります。台風のときなど、大気が不安定なときほど小さな誤差が予測結果を大きく変えることがあります」と話す。

数値予報について説明する気象庁数値予報課の計盛正博・数値予報班長=2019年8月、東京都千代田区、西村宏治撮影

小さなできごとが、将来をまったく変えてしまう。そんなバタフライ効果は、さまざまな分野でみられ、長期の決定的な予測を難しくしている。

科学的な予測のもう一つの道が、「経験的な確率」による予測だ。過去のデータから「Aが起きるとBも起きる」といったつながりを調べ、未来を予測する。AI技術の中心とされる「機械学習」も、このやり方だ。データ量の増加とコンピューターの進歩のおかげで精度が上がってきた。バタフライ効果があって長期の予測が難しい場合には、こちらのほうが予測できる可能性がある。

もちろん、確率的な予測にも限界はある。まずデータがなければ予測はできない。たとえば「食欲」データを使いたくても、計測は難しい。「食べた量」など、目に見えるデータを「代理変数」として使っていくことになる。

さらに過去のデータから確率をはじき出すことの限界もある。AIが強力なのはデータを大量に分析し、人間では見つけられなかったデータ間のつながりを見つけることがあるからだ。だが、過去のデータを使う以上、まったく分かっていないことを予測するのは難しい。

そして「Aを買ったひとが100人いれば、うち80人はBを買う」という話と同じように、確率は、あくまで確率でしかないという難しさもある。「あすの降水確率70%」とは、同じ状況が100回あれば70回は雨や雪などが降る、ということだが、あすが本当に雨かどうかは分からない。あたり70個、はずれ30個のくじを引くようなものだからだ。

実際の予測モデルでは、決定的な予測も確率的な予測も、さまざまに組み合わせて使われている。

■「予測」と人間の飽くなき欲望

結局、世の中すべてをデータ化したり、モデル化したりして予測することは、できない。

「大事なことは、なんのために予測するかなんです」。椿さんはそう言った。

統計数理研究所の椿広計所長=2019年6月、東京都立川市、西村宏治撮影

たとえば、自治体が少子化対策のために出生率を予測したとする。「晩婚化」「人口」……。自治体にはどうしようもない要因だけから予測しても、できることはあまりない。でも、「保育園や学校の数」「社会保障予算」など、自治体が動かせるデータも含めて予測できれば、政策を考えるのに役立つ。アイデアや努力次第では、将来を変えられるかもしれない。

「予測の計算はコンピューターでできます。しかし、なんのために予測するのか、予測をふまえてなにをするのか。それを考えるのは人間です」

そうなのだ。欲望のないAIに予測はデザインできない。予測とは「明日を知りたい」という人間の欲望そのもの。そして、それは「未来を変えたい」という欲望にもつながっている。問われているのは、私たちがどんな未来を生きたいか、なのだ。