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伝染病の広がりをAIで予測する 「テクノロジー×課題解決」の現在地

World Now
健康管理アプリを説明するプルデンシャルサービシズアジアのチーフオフィサー、ウォン・エン・テンさん

スマートフォンの地図上に、赤い蚊のアイコンがパタパタと点滅している。「ここが実際にデング熱の発生している地域です。幸いに私たちの周りにはありません。3カ月先までの発生しそうな地域の予測もできます」。首都クアラルンプールの中心街にそびえる真新しいビルの一室で、英保険大手プルデンシャルグループでマレーシアでの事業展開を担うウォン・エン・テンさん(47)が力説した。

ウォンさんが見せてくれたのは、彼らが展開する「pulse」と呼ばれる健康管理アプリの一機能だ。体調のチェックや医者へのオンラインカウンセリングといった機能とあわせて「デングアラート」を盛り込んだ。

「pulse」のデングアラートの場面。赤い蚊のアイコンが示される

世界保健機関(WHO)によれば、マレーシアでは8月17日時点で8万5270人が感染し、121人が死亡。昨年の4万6544人(死者76人)から大幅に増えており、対策が求められている病だ。

「私たちは、病気の予防にも力を入れたい。社会に貢献する目的もありますし、それに一般的に言って、保険会社は病気の人が少ない方がありがたい。病気の人が増えると、保険に加入できる潜在的な顧客が減ってしまうからです」。ウォンさんが言った。

このアプリに警報機能を提供しているのが、マレーシア出身の医師とドミニカ共和国出身のデータサイエンティストが2016年に創業した「AIME」(エイミー)。マレーシアと米国に拠点を置くスタートアップだ。「機械学習」と呼ばれるAI技術を使った伝染病の予測を手がけている。

「医者は患者の遺伝子や体質、病歴などに注目しがち。それも重要だが、環境や所得といった外部の要因からも病気は予測できることがある。データが大量にあるのに使わないのはもったいない」。疫学を専門とした医師でもあり、マレーシア事業を取り仕切るヘルミ・ザカリアさん(34)が言った。

デング熱の予測プログラムを説明するヘルミ・ザカリアさん=西村宏治撮影

歴史的にも統計と疫学は一体だ。古くは19世紀、英国の医師ジョン・スノーはコレラが流行したロンドンで、患者の住所の分布から原因が井戸にあると見抜いた。コレラ菌発見の30年前だ。

機械学習によるデング熱の予測は、言わばその現代版。エイミーは半径400メートル以内で感染者が出る地域を3カ月先まで予測していて、正確性は約86%に達するという。

■「屋根の形」に着目

北部ペナン州。英国統治時代の街並みを残す世界遺産ジョージタウンなど観光客が多いこの地域で、エイミーは17年までの3年分、約1万2000件のデング熱の発生例を分析した。課題は、どんなデータから発生を予測できるかを考えることだった。

症状、天気、風向き、人口密度。入手できるデータを次々にAIに学習させ、予測の精度が上がるかどうかを調べた。「屋根の形」といったデータにも目をつけた。平らな屋上がある家が多いと、デング熱を媒介する蚊が生まれる水たまりができやすいからだ。「人間による介入」のデータも入れた。予防策が取られると、結果的に予測が外れてしまうためだ。取捨選択を繰り返し、最終的に276種類のデータを取り込んだ。

こうして生まれたモデルは、17年5〜6月の試験運用で37カ所での発生を予測。うち30カ所で実際に発生を確認し、州政府は本格導入に踏み切った。

州で保健政策を担うエグゼクティブカウンシラーのアフィフ・バハルディンさん(34)は「デング熱を防ぐにも、人員には限りがある。予測のおかげで対応がとても効率的になった」と言う。これまでは、流行を確認してから蚊やボウフラがいそうな場所の消毒に向かっていた。だが、予測モデルの導入で事前に注意を呼びかけたり、消毒の準備をしたりできるようになった。

マレーシア・ペナン州で保険政策を担うエグゼクティブカウンシラーのアフィフ・バハルディンさん

観光地だけにAIを導入するにあたって風評被害の懸念もあったが、「透明性が高まったことで、逆に安心感を生んでいる」。さらには「人間の仕事が奪われる」という不安の声もあったというが、「デング対策は、政策立案から、治療、現場の消毒まで多岐にわたる。AIが担うのはそのごく一部分だ。テクノロジーは私たちがどうしようと進歩していく。ならばそれをうまく使っていくのが、私たちの役割だ」と、バハルディンさんは言う。今年のデング熱の感染件数も、全国的な増加傾向に反して前年並みにとどまっているという。

■マーケティングから課題解決へ、「AI4SG」の動き

デング熱は蚊が媒介する。日本では2014年に東京都内で感染が広がり、代々木公園が一次閉鎖されたこともあった=2014年4月28日、東京都渋谷区、上田潤撮影

デング熱の予測システムはマレーシアの他の地域にも広がり、海外からも引き合いがある。日本でも9月、三菱UFJリサーチ&コンサルティングと感染症の流行拡大予測などで連携すると発表した。

AIMEはさらにいま「AI4SG」という概念に焦点を当てて、予測技術の応用範囲を広げようとしている。「Artificial Intelligence for Social Good」の略称で、マーケティング分野などで培われてきたアナリティクスの技術を地域の課題解決に使おうという動きだ。

たとえば、南米コロンビアでは家庭内暴力(DV)が起きる地域や日付を予測するプロジェクトを進めている。行政の担当者をなるべくDVが発生しそうな日や地域に配置するねらいだ。予測をしてみると、天気や、その日が月後半の週末かどうかといったことが、DVの発生とつながりが深いことが分かってきたという。

こうしたプロジェクトでは、社会科学や心理学の専門家の協力も得ている。機械学習でデータ間のつながりを見つけても、「なぜ起きるのか」については答えを出せないからだ。「たとえばDVの発生が多いのは『雨や月末にお金がないなどで、外出したいのにできないストレス』が原因だろうなどと、専門家が分析します。そんな分析があれば、対策も考えられます」と、ザカリアさんは言った。AIとは、そんな専門家たちをアシストしてくれる道具なのだという。

■急拡大する予測ビジネス

AIとは、「予測マシン」である――。AI研究が盛んなカナダ、トロント大学教授のアジェイ・アグラワル氏らは著書『予測マシンの世紀』で、そう語っている。英語に見合う日本語を予測するのが、翻訳AI。顔の画像から特定の人物を予測するのが、画像認識AI。「予測する」という意味では同じ働きだからだ。

そんな予測マシンの中心的な技術が「機械学習」。過去のデータを解析して、データ間のつながりを見いだすプログラムだ。二者択一を重ねてデータを振り分けていく「決定木」、決定木を組み合わせていく「ランダムフォレスト」、データを抽象化して潜在的なつながりを探す「深層学習」など、この半世紀をかけてさまざまな手法が編み出された。

二者択一を重ねてデータを振り分ける「決定木」のイメージ。枝分かれしていくので木になぞらえられる。実際の分析では上下を逆にし、上から下に向かってデータを分けていく図が描かれる

さらにテクノロジーの発達で予測マシンの進化が加速した。ソーシャルメディアで膨大なデータを集め、高性能のコンピューターで短時間に処理できるようになった。

それをいち早くビジネスに採り入れたのが、広告分野だ。ユーザーの属性、ネットの使い方の履歴などから購買行動を予測。情報を集めやすく、たとえ予測が外れてもリスクが小さいことも導入を後押しした。

「予測分析」ビジネスは急拡大していて、米国のマーケティング会社「マーケッツアンドマーケッツ」の調査では2017年に46億ドル(約5000億円)だった市場規模が、22年に124億ドル(約1兆3400億円)に拡大するとの見通しもある。

予測マシンは、暮らしの隅々に広がっている。来店予測、電気やガスの需要予測、インフラの故障予測。返済率を予測して金利をはじき出す「ローンAI」もあれば、病気予測の試みもある。犯罪データから発生場所や時間などを予測する「予測警察」も米国などから世界各国に広がり、日本でも導入の検討が進む。

そしていま、「AI4SG」は様々な分野で注目されている。ITの巨人・グーグルがインドでAIを使った洪水予測を手がけているのはその一環。AIMEのマレーシアでのプロジェクトもそのひとつだ。また、違法な警察活動の監視や、企業犯罪のチェックにAIを使おうといった動きもある。

ただ、「Social Good」に使おうというからには、AIがもたらす負の側面に気を配る必要もある。たとえば違法にデータを集めたり、プライバシーを侵害したりすること避ける必要がある。またデータや結論が不当に操作されていないかも見極める必要がある。どうやって「Good」を担保するのかといった議論は、まだ始まったばかりだ。

さらに、AIは勝手に動くわけではない。統計やコンピューターに通じ、予測マシンの設計や運用を担う「データサイエンティスト」と呼ばれる人材も必要だ。

日本初のデータサイエンス学部を立ち上げた滋賀大学の竹村彰通・同学部長は「米国ではデータサイエンスの修士が年間4000人生まれているが、日本はまだゼロ」と訴える。ある産業でAIを使うには、AIが分かるその産業の専門家も、産業が分かるAIの専門家も必要だ。いまの日本は、どちらも足りていないという。