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「日米安保は不公平」は、今に始まった議論ではない

ことばで見る政治の世界
G20サミットで顔を合わせた安倍首相、トランプ大統領、習近平主席=2019年6月28日、代表撮影

「近代日本は、3つの主な同盟条約を結んだ。3つの同盟とは何ですか」

非常勤講師を務めている大学の講義で毎年、こう問いかける。聴いている学生たちは、3つの同盟とは何だろうかと、キョトンとしている。

正解は、1902年の日英同盟、1940年の日独伊三国軍事同盟、そして1951年の日米安保条約の3つである。

日英同盟は、その2年後の日露戦争につながった。三国同盟は、よく知られているように、太平洋戦争へと直結した。ふたつの同盟はいずれも、互いが攻撃された時に助け合う双務的な軍事同盟であった。実際、二つの同盟は戦争への導火線となったのである。

日米安保だけは、性格が異なる。特殊な形の同盟なのである。

ひとつには、アメリカを中心とする連合国軍による7年近くの占領のあと、そのまま日本に米軍駐留基地を残す形で締結されたことによる。実質的な占領継続だった。もうひとつは、同盟の当事国である日米の軍事力の差があまりにも大きく、非対称な同盟であることだ。

日本には憲法9条の制約があるので、アメリカは日本を守る義務があるが、日本には、たとえばアメリカ本土が第三国に攻撃されても、アメリカまで出撃することはない。その代わりに、日本はアメリカに基地を提供し、アメリカはその基地を、日本を守るだけでなく、「極東における国際の平和及び安全に寄与するため」(安保条約6条)使用できるとされる。

日米安保が、「物(基地)と人(米軍)との協力」と言われるゆえんである。

1951年に締結した旧安保条約(左)と60年に改定した現行の安保条約(右)の原本=福永伸氏撮影

その後、日米安保の協力範囲は実質的にグローバル化し、日本側の同盟への軍事的コミットメント(関与)は徐々に増えてきたが、それでも日米安保の核心が、「物と人との協力」にあることには変わりはない。

非対称であるがゆえに、この同盟にはもともと不安定さが内在している。

日本にとっての二重の恐れといわれる問題である。

日本がアメリカに近すぎると、アメリカの都合で戦争に「巻き込まれる恐れ」が生じる。だが、距離を置きすぎると、いざというときにアメリカに「見捨てられる恐れ」が生じる。

国会を取り囲む60年安保反対のデモ隊。背景には、アメリカの戦争に「巻き込まれる恐れ」があった=1960年4月26日、東京・国会議事堂前、朝日新聞社撮影

おおまかにいうと、東西冷戦の時代は、アメリカの都合による戦争に日本が「巻き込まれる恐れ」のほうが強かった。いっぽうアメリカにとって、日本はアジア・太平洋の要石として絶対必要な存在だった。日本が軽武装で経済成長に集中できたのは、アメリカが日本の防衛を肩代わりしていたからである。

冷戦が終わると、こんどは「見捨てられる恐れ」のほうが大きくなった。いまや日米は経済面でのライバルだ。冷戦期のような特別な配慮をする必要はない。その一方、中国の軍事的台頭や北朝鮮の核・ミサイル開発を考えると、日本はアメリカに頼らざるを得ない。

従来、このふたつの「恐れ」の間で、できるだけバランスを取るのが日本外交の知恵であった。しかし、21世紀に入ってからは、そのバランスが失われた。日本が小泉政権以来、アメリカ一辺倒の道を歩み続け、アジア隣国との関係悪化を放置してきた結果でもある。皮肉なことだが、アメリカの懐に深く飛び込めば飛び込むほど、アメリカにとっての日本の外交的価値は下がってしまったのだ。

考えてもみてほしい。

中国に対しても、韓国に対しても、独自の立場でものが言え、影響力を行使できる日本と、ひたすらアメリカに対して頼るしかない日本とでは、アメリカにとって、どちらが、有用性が高いだろうか。

日本外交を、アメリカに抱きつくコアラに例える話がある。抱きつけば抱きつくほど、足元を見られて、同盟へのより大きな負担を求められるという冷徹な論理がここに働いている。

では、近い将来、アメリカが日本との同盟をやめる可能性はあるだろうか。

私は、それはないと思う。アメリカにとっては軍事基地を維持し、それを支援する「思いやり予算」まで得られるという世界に類をみない同盟関係である、その巨大なメリットを、実利に敏感なトランプ大統領が自ら放棄するとは考えにくいからだ。

ただ、「日米安保の不公平」を口にすることで、さらなる武器購入、貿易面での譲歩を求めてくることは間違いない。

しかし、なんということだろうか。日米安保がディール(取引)の対象になってしまうとは。戦後アメリカが築いてきた国際秩序の「壊し屋」であるトランプ氏にとって、見逃す例外はないということか。日米安保は、まったく予想外の危機を迎えつつある。そしてその危機は、日本の対米外交が招いた側面もあるのだ。