■45分間、壊したい放題
真っ黒に塗られた木製の扉を開けると、ワンルームマンションぐらいの広さの部屋。コンクリート打ちの床一面に、ガラスや陶器のかけらが散らばっている。黒ずんだ黄色のベニヤ板が張られた壁はへこみ傷だらけで、見上げると天井にはいくつも穴が開いていた。「1時間ほど前に、カップルが来たばかりだ」。この部屋のオーナーのジミー・チャン(35)がそう言って「ハッハッハ」と大声で笑う。
カナダ最大の都市トロントにある「レイジルーム」。日本語に訳せば「激怒の部屋」。最低19.99カナダドル(約1600円)払えば、この部屋にこもって45分間、好きなだけ金属バットやバールを振り回してモノをたたき壊すことができる。ため込んだ怒りを発散できる場所、という売りだ。
「正直に言って、何かおもしろいことをしてみたかっただけなんだ。ここまで流行るとは思わなかった」。思いつきで4年前に始めたレイジルームがビジネスとして成り立っていることに、チャン自身が驚いていた。今、毎月最低200人がやって来る。週末は予約で埋まり、遠路はるばる車を飛ばして米国からやって来る客もいる。上海やワシントンには系列店もできた。
■「壊したいモノ」一番人気は
利用者が何にアタマに来ているか。壊すモノから透けて見える。チャンによると、最も人気があるのはプリンターだそうだ。「仕事でストレスをため込んでいる人が多い。プリンターは職場のシンボルなんだ」。店では廃棄プリンターやパソコン、モニターを集めており、40ドルで売っている。客はその場で購入して壊すことができる。
ある時には、夫に浮気された女性が友人と一緒にやって来た。女性は夫のことを罵りながら、夫とつながりのあるモノを一つずつ壊していった。「浮気した夫のモノをすべて取り除くことである種の解放感を得られたのだと思う」。チャンは女性の心理を解説してみせる。
仕事、家庭、子育て……。私もはき出してみたい怒りに思い当たる。いっそ怒りに身をまかせてモノを壊すと、自分はどうなるのか。チャンに頼んで用意してもらったのは小皿とガラスの器、陶器の壺、DVDレコーダーの計四つ。破片でけがをしないように白いつなぎの防護服と胴体を守るプロテクターを身につけて、顔全体を覆うゴーグルをかける。道具は「一番人気」のバールを選んだ。
たたいた時の衝撃で手首を痛めないように、古着の塊の上に壊すモノを置く。まず小皿。バールを思い切り振り下ろすと「パリン!」と小さな音を立てて、あっけなく粉々になった。ガラスの器と壺も一撃。あまりにも簡単に壊れることに戸惑った。DVDレコーダーに挑戦してみると、今度は硬すぎる。汗をかくほどたたいてもゆがむだけで壊せない。大声を出そうとしたが、気恥ずかしくて出せなかった。考えてみると、私は怒りの感情が湧いたその瞬間に表現するタイプ。もしその場で皿を割ることができれば、相手に怒りをぶつけずに済むかもしれない。もちろん現実はそんなわけにはいかない。だからこそ怒りはやっかいな感情だ。うまく気分転換できる人はむしろ少数派だろう。
オープンから時間がたつにつれて、チャンは客と会話し、それぞれの怒りの事情に耳を傾けるようになった。「ボクシングとかランニングでもストレスは解消できる。ジムとレイジルームが違うのは、モノをたたき壊して、『私にはこんなモノはもういらない』と言えること。最終的には人生の問題そのものを解決しないと怒りは消えない。でもこの部屋には、怒りから生まれる負の感情を捨てていける」
■「怒りビジネス」東京でも
レイジルームのようなビジネスはあちこちに生まれている。ウェブで「怒り」「破壊」「部屋」と検索すれば、別のネーミングで部屋にこもってモノを壊せる場所が世界中で見つかる。
原克也(37)は東京都多摩市などで10年余り前から「破壊セラピー」として、怒りを発散する場を提供してきた。心理学を学んでいた学生時代、臨床現場でアシスタントとしてDVの加害者に接した。この時に「怒りを人に向ける代わりにモノを壊して発散してはどうか」と考え、廃棄処分の皿を壊してもらってリサイクルするスペース「八つ当たりどころ」のアイデアを得た。
オープンした2008年12月は、「リーマン・ショック」のあおりで経済が低迷していた時期。利用者の叫び声は「内定を取り消すな!」「残業させるな!」などが多かった。今は「もっと休みたい!」「結婚ってなんだ!」など私生活に向けられたものが多くなったと感じる。「懐はある程度満たされてきたけれど、心は全く満たされていないことの表れではないか」
そういえば、レイジルームのチャンはこんなことを言っていた。「近ごろは、みんながスマホやネットのせいで否定的な情報にさらされている。世の中では、それが響き合って増幅している。今は怒らないでいる方が難しい時代なのではないか」