ドイツ南部ミュンヘンの中心部から地下鉄で15分ほど。住宅街の中にBMWの「付加製造センター」はあった。自己紹介をすませると、センターを率いるイェンス・エルテルはさっそく、スーツの内ポケットから恐竜の爪の化石のような鉛色の部品を取り出して言った。「3Dプリンターでつくりました。硬度は従来のプラスチック製の10倍、重さは44%軽くなったんですよ」
日本で昨年4月に発売したオープンカー「i8ロードスター」。そのルーフトップを格納する時に後部座席に取り付けるアルミニウム合金製の部品だという。エルテルは声を弾ませる。「この生産ネットワークが実現すれば、あらゆる部品を必要な場所で、直接生産できる。『脱中心化』の第一歩なのです」
技術者ら約60人が働く製作現場で稼働中の3Dプリンターの小窓をのぞくと、平らに敷きつめられたアルミニウム粉末の上をサーッとレーザー光線が駆け巡り、火花が散った。光線の温度は1000度以上。これで金属粉を焼き固めていくという。インプットされたデータ通りに、再び金属粉が敷かれ、光線が当たる。輪っかを積み上げて筒をつくるイメージで、約40時間かけて6400もの層を積み重ねていく。やがて、サッカーボール大の自動車用オイルトレーができあがるという。
BMWは1991年から3Dプリンターで試作品をつくり始め、この10年で100万個の自動車部品を「印刷」した。昨年は20万個以上で前年より42%も増えた。ただ、原材料が高く、5万~6万台を超えると従来の生産方式に採算面でかなわない。既存の生産ラインへの融合など他にも課題はある。それでも、とエルテルは言う。「この技術がものになれば、モノを動かさなくても、データの移動だけで同じ品質の部品を世界のどこでもつくれる。地域や消費者の特性に合わせたカスタマイズも簡単です」
BMWグループは、すでに50台以上の3Dプリンターを世界各地に配備している。総額1000万ユーロ(約13億円)以上を投じて、今年中には新たな研究施設をオープンさせる予定で、3Dプリンターのさらなる活用をめざすという。
■「主役」はモノからデータへ
低賃金の労働者を求めて工場を海外に移していた企業の姿勢も、技術革新で変わるかもしれない。ジュネーブ国際問題高等研究所教授のリチャード・ボールドウィンは、そう指摘する。「3Dプリントなどで、低賃金の国で生産するインセンティブはなくなる。消費地に近い場所で生産が増えれば、途上国から先進国へと工場が戻る可能性がある」
オランダの金融大手「ING」は2017年9月、「3Dプリンティング:国際貿易への脅威」と題したリポートで、仮に今のペースで投資が続けば、60年には工業製品の50%が3Dプリントでつくられると予測。高速化で印刷の運転費用が下がれば、モノの輸送は減り、世界の貿易量も60年には現在より2割以上減るとした。
ブロックチェーン技術など、他のデジタルテクノロジーが輸送を効率化すれば、貿易量が増加に転じる可能性もある。だが、モノからサービスへの流れは確実に加速している。世界貿易機関(WTO)は昨年のリポートで、金融や通信といったサービス産業が世界の貿易に占める割合は、今の21%から30年には25%へ拡大すると指摘。一方、市場の集中やプライバシーの侵害を防ぐ国際的なルールが必要だという。
ボールドウィンは言う。「テクノロジーが貿易ルールを変えるわけではない。デジタルテクノロジーのために新たなルールが必要なのだ」