■セラピストの孫が保存
ライオネルの孫でライブ・エンターテインメント・プロデューサーのマーク・ローグさん(53)は、ロンドンの自宅に、演説の原稿や書簡、写真といった祖父や王ゆかりの資料を保管している。ブリュッセルで暮らしていた子どものころ、家のマントルピースの上にジョージ6世の写真があったのは覚えているが、当時は「祖父に関心はありませんでした」。2001年に祖父の三男だった父アントニーが他界し、遺品を整理するなかで資料を「発見」して興味を持ち、祖父や王との関係を調べていった。
マークさんは貴重な資料を持っていたことから、映画『英国王のスピーチ』制作では、コンサルタントとして考証にもかかわった。祖父が王に施していた治療の一部も資料から明らかになり、映画に反映された。
映画のなかで、王が「ファック、ファック、ファック」と繰り返す場面がある。果たして王はこの下品な四文字語を実際に口にしたのか。マークさんは「本当に言ったかどうか分かりません。祖父はそんなことは詳細に記録していません」と笑って話した。
マークさんは10年、ジャーナリストのピーター・コンラディさんとともに、オーストラリアの庶民の家に生まれて英国に渡った祖父の生涯を軸に、祖父と王との交流について記した「英国王のスピーチ 王室を救った男の記録」を出版した。映画が米アカデミー賞で作品賞や監督賞など4賞を受賞して話題になったこともあり、20以上の言語に訳された(邦訳は12年)。
■王のカルテ、スピーチ原稿……一級の資料
マークさんの自宅で保管されている資料は、第一級の英国王室関連資料といえる。
王のカルテは、ファイルしやすいよう細長い形をしている。即位前にヨーク公と称していたころの初診(1926年10月19日)の診断が記載されており、「精神」と大書したあとに「極めて正常。障害から生じた激しい神経の緊張」との所見がある。また、「身体」との記載に続き「しっかりした肩で体つきはよい。だが、腰回りはとてもたるんでいる」と記されている。
44年のクリスマススピーチの原稿では、「K」の音で始まる単語が苦手だった王のため、災難を意味する「calamities」にライオネルの手によると思われる線が引かれ、同義の「disasters」に修正されている。
52年、ライオネルが王の死を悼んで出した手紙への王妃からの返信は、涙を誘う。「演説だけでなく、生涯と人生観を通じて、あなたがどれだけ王を助けてくださったか、私は誰よりも恐らくよく知っています」「彼はとても立派な人でした。自分自身のことは少しも考えていなかったと思います。勇気を振り絞って闘わなければならなかった、苦悩に満ちた長い年月の後、2~3年は比較的安らぐことが許されると期待していましたが、かないませんでした」
■孫が語る、「転機の演説」
マークさんは、王がヨーク公の時代から祖父の治療を受けながらこなした数々の演説のうち、三つが転機になったとみる。
一つ目が、27年のオーストラリア訪問時の演説。キャンベラが首都になった際、同国議会に招かれて行ったもので、ヨーク公がライオネルの診療を受けた理由の一つはこのためだったとされる。マークさんは「集中的に治療を受け、目立ってよくなった。キャンベラを去るとき、とても自信をつけていた」と話す。
次が、36年の兄エドワード8世の退位に伴う翌年の戴冠式での誓約の言葉だった。兄は夫がいる米国人女性と恋仲になり、結婚を望んで退位し、ヨーク公は思いがけず即位した。
「誓約の言葉の数はとても少なかったが、式に向けて集中的にスピーチセラピーが施された」とマークさん。この時代、ラジオ放送が普及し、生放送のラジオ演説もこなさなければならなくなっていた。BBCは事前に王がライオネルと練習しているところを録音して万が一の事態に備えたが、王は特訓の末に乗り切った。
3番目が、44年のクリスマスラジオ演説。王はマイクのある部屋でライオネルの立ち会いなしで初めて演説した。王は自信を付け、ライオネルは感極まったとされる。「ライオネルは息子を学校に連れて行く父親のようだった。学校に行く息子にむかって、『さようなら』と手を振るような気持ちだった」とマークさんは言う。
■新著「王の戦争」
「英国王のスピーチ 王室を救った男の記録」出版後、マークさんのもとには、読者ら約400人から反響の手紙やメールが寄せられた。なかには祖父の患者やその子孫、兵役でオーストラリアからイギリスに来て祖父の家に数日間いたという人もいた。
マークさんは資料を改めて見直すとともに、ライオネルの妻で、祖母のマータルが英独開戦前から戦争中の41年まで2年間付けていた日記、オーストラリアの家族らに送っていた手紙を読み込み、昨年11月、第2次世界大戦期の2人に焦点を当てた新著「王の戦争」を前著でも協力した前述のジャーナリストと出した(未邦訳)。執筆にあたり、図書館や英国国立公文書館などで関連資料を渉猟し、祖父が住んでいたロンドン南部の郷土史グループの人々にも会い、ロンドン大空襲や物資の配給などの話も聞いた。
手持ちの貴重な資料について、マークさんは今後家族と相談した上で、将来の散逸を防ぎ、誰でも研究目的で閲覧できるようにしようと、英国国立公文書館やケンブリッジ大学チャーチル・アーカイブ・センターといった公文書館に寄贈しようと考えている。「チャーチル・アーカイブ・センターには、当時首相だったチャーチル関係の文書もあります。隣に置いていた方が、歴史的流れから見ても適切ですから」