「なぜいま破棄か」を読み解く(上)
トランプ政権は米ロ間の軍備制限条約のINF全廃条約(Intermediate-Range Nuclear Forces Treaty:中距離核戦力全廃条約)を破棄すると宣言した。
日本では「中距離核戦力全廃条約」という呼称に惑わされ、あたかもトランプ大統領が中距離核ミサイル再武装による核戦力強化に踏み出すため、INF条約を破棄するかのように受け止められている。しかし、アメリカの真意は核武装の強化と言うよりも、中国への軍事的対抗手段を確保するという意味合いの方が強いのである。
いずれにせよ、この条約の呼称に捕らわれていると、なぜトランプ政権がこの時期にINF条約を破棄したのか、日本への影響はどのようなものか、といったことを理解できない。
■正式名称に「核」はない
INF 条約の正式名称は
「Treaty Between the United States of America and the Union of Soviet Socialist Republics on the Elimination of Their Intermediate-Range and Shorter-Range Missiles 」
である。1987 年にアメリカのレーガン大統領とソビエト連邦のゴルバチョフ書記長の間で締結された条約が基になっている。その後、ソ連が崩壊してロシアに引き継がれ、現在は米ロ間の条約になっている。
正式名称には、略称のようにNuclear (核)という語が含まれていないことに注意してほしい。すなわち、この条約は実は、中距離核ミサイル(Intermediate-range Nuclear Missiles )だけを制限する条約ではないのだ。
INF 条約による制限の対象は、短距離ミサイル(最大射程距離500 ~1000 キロのミサイル)と中距離ミサイル(最大射程距離1000 ~5500 キロのミサイル)なのだ。それには核弾頭が搭載されているミサイルや、核ではない弾頭が搭載されているものも含まれる。弾道ミサイルのみならず、巡航ミサイルも含まれる。ただし、地上から発射されるタイプのミサイルに限定され、航空機や艦艇(水上艦、潜水艦)から発射されるミサイルは制限の対象外になる。
INT条約に基づいてアメリカの監視団の前で廃棄されるロシアの短距離弾道ミサイル。1990年カザフスタンにて。(写真:米国務省)
■INF条約が制限するミサイルは
INF 条約の概念がいっそう込みいっているのは、ミサイルの射程距離による分類との関係である。
弾道ミサイルは以下のように分類される。最大射程距離が
①300 キロ以下は戦術弾道ミサイル
②300 ~1000 キロは短距離弾道ミサイル
③1000 ~3500 キロは準中距離(Medium -range )弾道ミサイル
④3500 ~5500 キロは中距離(Intermediate -range )弾道ミサイル
⑤5500 キロ以上は大陸間弾道ミサイル
となっている。
したがって、INF 条約で制限する短距離と中距離ミサイル(射程距離500 ~5500 キロのミサイル)に該当する弾道ミサイルは、短距離弾道ミサイルの一部と、準中距離弾道ミサイル、それに中距離弾道ミサイルになる。
一方、弾道ミサイルと異なり自らの動力で目標まで飛翔する巡航ミサイルは、射程距離によって分類する習慣はない。ただし、500 キロ、1000 キロ、2000 キロといった長距離を飛翔する巡航ミサイルは、一般的には長距離巡航ミサイルと呼ばれている。そのため、INF 条約の制限に該当する巡航ミサイルは、長距離巡航ミサイルということになる。
要するに、INF 条約でアメリカとロシアが制限を受けてきたのは①最大射程距離が500 ~5500 キロで②地上から発射され③核弾頭搭載、非核弾頭搭載を問わず④弾道ミサイルならびに巡航ミサイル――ということになる。
■なぜINF 条約と呼ばれたのか
INF 条約は、米ソ冷戦の末期に締結された。アメリカを盟主とするNATO 陣営にとって、ソ連を盟主とするワルシャワ条約機構側との軍事衝突が起こった場合、主たる想定戦域はヨーロッパだった。
そのため、奇襲攻撃に用いられて、防御手段が非常に限定される地上発射型のミサイルは、深刻な脅威とみなされていた。特に、ソ連の奥地から西欧諸国を攻撃できる中距離弾道ミサイルに、核弾頭が装着される場合こそが、最大の脅威だった。このような事情は、ソ連側にとっても同じだった。米国もソ連もこのような強力な奇襲手段を、互いに放棄することに異論はなかったのである。
しかし、ミサイルの廃棄状況を互いに検証する際、廃棄されたミサイルは果たして核弾頭搭載なのか、非核弾頭搭載なのか、という不信が相互に生じてしまう。そこで、全ての短距離と中距離ミサイルを廃棄することにしたのだった。
このようにINF 条約が締結された当時、双方にとって最大の脅威は、核弾頭搭載中距離弾道ミサイルだったことから、一般的にINF 条約と呼ばれるようになったのである。
INF条約によって廃棄された米軍のトマホーク巡航ミサイル地上発射装置(写真:米国防総省)
■条約違反の申し立て、今回が初めてではない
これまでもINF 条約違反に関する申し立ては、双方からしばしばなされている。たとえば、ロシア側からはアメリカがヨーロッパに設置する地上発射型弾道ミサイル防衛システムをめぐり、迎撃用ミサイルの射程距離が500 キロをはるかに越えているため、条約違反だとクレームをつけている。逆に、アメリカはロシアのSSC -8 巡航ミサイルは条約違反だと繰り返し警告している。このSSC -8 巡航ミサイルは80 年代から今日まで改良を加えながら配備され、最新型は最大射程距離が5500 キロになると言われている。
トランプ政権は2018 年秋から再び、SSC -8 巡航ミサイルを条約違反と問題視している。対するロシア側は、アメリカがルーマニアとポーランドに設置しているイージス・アショア弾道ミサイル防衛システムが条約違反だと応酬している。
もう少し説明を加えると、ロシア側は、イージス艦の構成要素を陸上に移したイージス・アショアから、ソフトウェアを変更すると射程距離2000 キロ以上の対地攻撃用巡航ミサイルを発射できるため、条約違反に当たると主張している。これと同じ理由で、日本がイージス・アショアを秋田市に設置すると、ウラジオストクやハバロフスクはもとより樺太全域も攻撃圏内に入るため、ロシアは日本へのイージス・アショア配備に懸念を表明しているのである。
トランプ政権はINF 条約破棄へと踏み切ったが、その根拠にこれまで繰り返されてきた疑義を挙げた。しかしながら、なぜこの時期なのかと言えば、中国への対抗策という新要因が加わったからである。その事情については、次回に述べさせていただきたい。