1. HOME
  2. People
  3. グアテマラでマヤの母さんと養鶏ビジネス 運営のカギは「指導よりも気づき」

グアテマラでマヤの母さんと養鶏ビジネス 運営のカギは「指導よりも気づき」

私の海外サバイバル 更新日: 公開日:
呉原郁香さん=グアテマラ、ケツァルテナンゴ県

私のON

マヤ人の家庭では、教育が十分受けられない子どもたちが多いのが現実です。小学校すら最後まで通えない子どもたちも数多くいます。そこでお母さんたちに職を手にしてもらい、子どもの教育を少しでも充実させたいと思いを持ち、事業を進めています。

生産した卵。おいしいと好評です=呉原さん提供

昨年8月にグアテマラに移り、地元出身のスーパーバイザーにも相談しながら、どんな事業ができるかを検討しました。マヤ人家庭では、女性は家事をするものだ、という考え方が強く、家事にあまり支障が出るような事業では、続くように思えません。さらに、女性が男性よりも稼ぐことも一般的ではありませんし、反発も予想できました。

いろいろ考えた結果、それぞれの家族の家の近くに鶏小屋を建て、鶏の管理をしてもらうビジネスモデルに行き着きました。仕事の内容は、1日2~3時間の鶏小屋の掃除など。家事や育児に支障がないようにしています。昨年12月に事業の承認が下り、1人200羽、1グループ5人で1000羽を管理してもらうことで事業をスタートさせました。

鶏小屋の管理を担うお母さんたち=呉原さん提供

難しいのは、こちらでは、特に女性は人前で意見を言うことがあまりない、ということです。ですから、それぞれの鶏小屋で何が問題になっているのか、彼女たちが何に困っているかをつかむのも、簡単ではありません。ミーティングでは、わざわざ旦那さんを連れてきて話をしてもらおうとしていた人もいたほどです。

ミーティングの様子=呉原さん提供

こういう状態ですから、仮にこちらが掃除が行き届いていないといった問題を見つけて「こうしなさい」と一方的に指導をしても、うまく伝わりません。

大きな前進になったのは、お母さんたち自身で、どういうやり方がいいのかを考えてもらうことでした。

たとえば、それぞれの鶏小屋を互いに見学に行ったことがあります。そうすると、きれいに掃除されている鶏小屋では、生産性が高いことが分かってくる。わたし達から指導を受けるのではなく、同じ状況で働くメンバーから指摘されることで、自分の鶏小屋の管理も見直そう、という動きになってきます。

そうしたところからスタートして、いまではお母さん同士でも、ずいぶん活発に意見交換されるようになってきたと感じています。少しずつ、自分たちのやっていることに対して、自信がついてきたようにも思います。

ミーティングではいつも笑顔が絶えない=呉原さん提供

もともと、恵まれない子どもたちの力になりたい、とずっと考えてきました。

出発点は小学校のとき、テレビでアフリカやフィリピンに恵まれない子どもたちがいる、という内容のドキュメンタリー番組を見たことです。自分と同じ子どもなのに、まったく違う環境にいることが、本当に衝撃でした。いま思えば本当に単純なんですが、こうした子どもたちの力になりたい、と思いました。

そのためにはまずは英語をと思い、高校2年生のときに1年間、米国ミネソタ州の高校に留学しました。

そして、留学先で新たな刺激を受けました。学校には米国の学生だけではなく、南米、アフリカ、アジアなど、さまざまな国から留学生も来ていました。そうした学生たちと話をするなかで、差別や貧困、移民など、私が身近に感じたことがなかったいろんな問題があることを改めて教えられたのです。

さらに大学時代にはガーナのNGOにインターンとして参加しました。ここでの経験も大きかったです。世界中からインターン生が集まっていて、毎日のように貧困や汚職、民族対立などについて熱く議論をするのですが、納得のいく答えが見つからない。なんて世界を知らないんだろうと思い知らされました。

そこで視野をより広げるため、世界中を旅することにしました。そして、スペイン語の習得のために訪れたのがグアテマラです。ここで現地の社会起業家と知り合うことができ、インターンも経験しました。

鶏小屋の様子=呉原さん提供

一方で、国連職員になればこうした問題に直接関わることが出来るのではないかとも思い、ウクライナのUNDP(国連開発計画)のプロジェクトにも半年間、参加しました。

でも、そこで分かったことは、国連の活動は政治に大きく左右されてしまうということ。そこで大学卒業後は、社会貢献のビジネスを手がけるボーダレス・ジャパンに入社。バングラデシュでの事業などに携わった後、産休を経て、昨年から夫の母国でもあるグアテマラでの事業に挑戦することにしました。

こちらで事業を始めて改めて思うのは、「親が子どもたちを思う気持ちは万国共通」ということです。子どもたちの将来に役立つとなれば、協力してくれる人は少なくありません。

職がないために子どもたちが不法就労のためにアメリカに渡り、そのまま帰ってこない、というケースもよくあります。でも本当は、みんな子どもたちには残っていてもらいたい。そうしたことに、少しでも貢献できればと思っています。

私のOFF

ケツァルテナンゴは標高が2700mほどありますので、寒暖差がかなり大きいところです。観光都市でもないので、旅行者はあまり見かけません。

ケツァルテナンゴの街並み=呉原さん提供
ケツァルテナンゴの中央公園=呉原さん提供

ただ、スペイン語の習得に関しては、英語におけるフィリピン留学のような位置づけにありますので、日本人も含めて学生さんはそこそこ見かけます。

大変なところと言えば、治安があまり良くないところでしょうか。こちらでは日本のように気軽に子連れで公園にお散歩、というわけにはいきません。移動はすべて車、しかも夫に運転してもらっていますので、その面では不自由さはあると思います。

食べ物に関しては、こちらの料理はどれもおいしくて、朝晩、地元の料理を食べています。メキシコ料理と同じような感じで、タコスもいろいろな種類がありますし、プランテーションのバナナもおいしい。

マーケットには色とりどりの野菜や果物が並ぶ=呉原さん提供

夫の母がつくってくれるスープ系の料理が特にお気に入りです。鶏やアヒルなどいろんなスープがありますが、中でもカルド・デ・レスという牛肉のリブのスープはおいしいです。

楽しみといえば、こちらはサルサのパーティーなどもよく開かれています。バーなどで、サルサが流れていて、いろんな人が集まって踊っています。私もダンスは好きなので、夫と踊りに行くこともありますね。最近は、子育てのためになかなか出かけることができていないのですが、週末の楽しみのひとつです。

呉原郁香さん=グアテマラ、ケツァルテナンゴ県

くれはら・あやか 1990年、大阪市生まれ。関西学院大時代にアフリカや南米のNGOでインターンを経験。卒業後、ボーダレス・ジャパンに入社。2017年10月、株式会社ボーダレス・グアテマラを設立して代表に就任。