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「サウンド・デモも一種のダンス」 鶴見済さん

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鶴見済さん=神庭亮介撮影

――人はなぜ踊るのでしょうか。

太古の昔から、人は踊り続けてきました。最初は、宗教的なものから始まったのだと思います。リズムに合わせて体を動かしているうちに、トランス状態になって気持ちよくなっていく。世界中のあらゆる民族が人間のそうした習性に気付き、踊りを大切にしてきました。

――日本でも、盆踊りに代表される豊かなダンス文化がありましたが、近代以降、衰退していきました。

近代化によって、合理性や生産性が重要視されるようになり、何も生産しない行為であるダンスは、軽んじられるようになりました。近代国家は、学校や工場、軍隊を通じて人々を訓練し、合理的で従順な身体を求めてきました。ぶらぶらしていることは許されず、絶えず「気をつけ」の姿勢をとらなければならない。結果、多くの人にとって、ダンスは自ら「踊る」ものというよりは、訓練されたプロの作品を「見る」ものになっていったのです。

――その一方、ここ数十年を振り返ると、度々ダンスブームがありました。

私自身、1980~90年代に英国などで巻き起こったダンスムーブメントに遭遇し、これは身体を押さえつけてくる社会に対する反乱であり、生産性や意味からの解放運動なのだと実感しました。子どもはうれしいと自然にスキップしますが、大人はしませんよね。でも、ずっと押さえつけられ、我慢し続けていると、解放したくなるでしょう。貧乏ゆすりは、足を動かすことで無意識にストレスを発散しているのだと思うんです。ダンスも一緒ではないでしょうか。

――日本の風営法をはじめ、ダンスを規制する動きは古今東西にみられます。なぜでしょうか。

ダンスに規制はつきものです。社会を統率する側から見れば、勝手に集まって踊っている人たちは何だか怖い。いわば秩序を揺るがす存在であり、それを規制しようとするのは、統制する側にとっては理由のあることだと言えます。

最近では、サウンド・デモが一般化し、脱原発を訴える官邸前の抗議行動にもドラム隊が駆けつけている。こうしたデモも、一種のダンスなのだと思います。(文中敬称略)