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「アホな医者」が地域医療を救う 佐久総合病院地域ケア科医長・色平哲郎さん

World Now 更新日: 公開日:

これからの日本では、先端医療を駆使して患者の命を救う医者だけではなく、地域で高齢者たちの日常生活を支え、みとる医者が数多く必要とされます。そうした医者に求められる資質や能力とは何か。長野県が全国長寿日本一となる礎をつくったとされる佐久総合病院で、地域ケア科医長を務める色平哲郎さん(56)に聞きました。(聞き手・太田啓之)

地域で働く医師の基本は「ローギア」です。早口でまくしたてても患者には通じない。私も1996年から長野県の山村の診療所に赴任した当初、ベテラン保健師によく叱られました。

企業でもてはやされるようなプレゼンテーション能力は、地域医療には不要です。求められるのは聴く力、ききだす能力。それに加えて、待つ力。繰り返しの多い話を、親身に聴いて、待つ。すると患者の側に「語り継ぎたい」という気持ちが湧いてきて、心身の弱み(=悩み)を打ち明けよう、という気にもなる。

医師が診察し、患者の話を聴いても、いつも治癒をめざすことは難しい。むしろ、「どこかに治療法の正解があり、できるだけ速やかにそこにたどり着く」という思考のわなと限界を医師自身が悟るところから、「聴くこと」は始まるのかもしれません。

現実問題として、生活習慣病やがん、老化現象に対し、医療側に「特効薬」が用意できるわけではありません。耳を傾けつつ、多くの場合は患者や家族と一緒になって「うーん」と悩み続けるうちに、患者の側にも医師に対し、良い意味で「あてにしない」「期待しない」「あきらめる」という姿勢が育まれる。

患者が救いを求めて医師に頼るというより「自らの老いや衰えを受け入れつつ、日々をどう楽しんで生きていくのか」という方向に関心がシフトしていくのです。

それは医師の側から見れば、患者一人ひとりの個別性を尊重し、傾聴することを通じて、「生老病死への納得を得ること」だと言えるかもしれません。そこまで行って初めて、患者は医療技術の非力をも許してくれるのではないでしょうか。

佐久総合病院元院長の故・若月俊一医師は「うちの病院に東大卒、京大卒は要らない」「アホなヤツだけが欲しい」と、語っていました。「農山村で10年、20年とがんばれるのはアホなヤツだけ。アホな医療者たちこそが地域を支えてきた」と。ここで言う「アホ」とは、「私心のない人」「目先の利得を追わない人」のことです。

若月は「予防は治療に勝る」と主張し、佐久総合病院を世界の農村保健の先駆け的な存在としましたが、「病院がもうける」ことを最優先に考えるのであれば、「予防」という発想は出てきません。住民が健康になって「医者いらず」になってしまっては困るからです。

それを承知で、全国で最初の出張診療を始めたり、健康に関する自覚を促す啓蒙(けいもう)活動を広げ、院内で病院祭りを開催したりしたことなどが、結果として長野県を「全国一の長寿県」とすることにつながりました。医師を育てる際には、若月が体現したような「公共の精神」をどう伝え得るかが最重要です。

古来、地域共同社会には「お互いさま」「おかげさまで」という、国家の存在を前提とはしない「互助の精神」がありました。

多死社会、超高齢社会を乗り切るには、「公助」としての公的医療保険はもちろんですが、地域の互助の精神を再認識する必要があります。

健康寿命に良い影響を与える社会的要因の第1位が「人間関係・つながり・笑顔」であることは実証されています。

地域医療の主役は医師ではなく、地域に暮らす住民自身です。医師は人々の治療や投薬の求めに単純に応え続けるというより、人々が本当に必要とするケアのレベルを深く見極め、そのニーズに応じて技術や知識を生かせればいい。あくまでもサポート役であって、「患者とともに」歩む患者の人生の伴走者なのです。