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「アホな医者」が地域医療を救う 佐久総合病院地域ケア科医長・色平哲郎さん

World Now 更新日: 公開日:

地域で働く医師の基本は「ローギア」です。早口でまくしたてても患者には通じない。私も1996年から長野県の山村の診療所に赴任した当初、ベテラン保健師によく叱られました。

企業でもてはやされるようなプレゼンテーション能力は、地域医療には不要です。求められるのは聴く力、ききだす能力。それに加えて、待つ力。繰り返しの多い話を、親身に聴いて、待つ。すると患者の側に「語り継ぎたい」という気持ちが湧いてきて、心身の弱み(=悩み)を打ち明けよう、という気にもなる。

医師が診察し、患者の話を聴いても、いつも治癒をめざすことは難しい。むしろ、「どこかに治療法の正解があり、できるだけ速やかにそこにたどり着く」という思考のわなと限界を医師自身が悟るところから、「聴くこと」は始まるのかもしれません。

現実問題として、生活習慣病やがん、老化現象に対し、医療側に「特効薬」が用意できるわけではありません。耳を傾けつつ、多くの場合は患者や家族と一緒になって「うーん」と悩み続けるうちに、患者の側にも医師に対し、良い意味で「あてにしない」「期待しない」「あきらめる」という姿勢が育まれる。

患者が救いを求めて医師に頼るというより「自らの老いや衰えを受け入れつつ、日々をどう楽しんで生きていくのか」という方向に関心がシフトしていくのです。

それは医師の側から見れば、患者一人ひとりの個別性を尊重し、傾聴することを通じて、「生老病死への納得を得ること」だと言えるかもしれません。そこまで行って初めて、患者は医療技術の非力をも許してくれるのではないでしょうか。

佐久総合病院元院長の故・若月俊一医師は「うちの病院に東大卒、京大卒は要らない」「アホなヤツだけが欲しい」と、語っていました。「農山村で10年、20年とがんばれるのはアホなヤツだけ。アホな医療者たちこそが地域を支えてきた」と。ここで言う「アホ」とは、「私心のない人」「目先の利得を追わない人」のことです。

若月は「予防は治療に勝る」と主張し、佐久総合病院を世界の農村保健の先駆け的な存在としましたが、「病院がもうける」ことを最優先に考えるのであれば、「予防」という発想は出てきません。住民が健康になって「医者いらず」になってしまっては困るからです。

それを承知で、全国で最初の出張診療を始めたり、健康に関する自覚を促す啓蒙(けいもう)活動を広げ、院内で病院祭りを開催したりしたことなどが、結果として長野県を「全国一の長寿県」とすることにつながりました。医師を育てる際には、若月が体現したような「公共の精神」をどう伝え得るかが最重要です。

古来、地域共同社会には「お互いさま」「おかげさまで」という、国家の存在を前提とはしない「互助の精神」がありました。

多死社会、超高齢社会を乗り切るには、「公助」としての公的医療保険はもちろんですが、地域の互助の精神を再認識する必要があります。

健康寿命に良い影響を与える社会的要因の第1位が「人間関係・つながり・笑顔」であることは実証されています。

地域医療の主役は医師ではなく、地域に暮らす住民自身です。医師は人々の治療や投薬の求めに単純に応え続けるというより、人々が本当に必要とするケアのレベルを深く見極め、そのニーズに応じて技術や知識を生かせればいい。あくまでもサポート役であって、「患者とともに」歩む患者の人生の伴走者なのです。