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スポーツと国籍変更 ロシアのペアスケート代表、川口悠子さんに聞く

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「けがをしてわかった。実は五輪に出たかったんだと」

――体調はいかがですか?

氷に乗るのは、まだ一回に1時間半が精いっぱいです。試合に出て、以前と同じことができて完全といえるのですが、まだそうではありません。ペアでの練習もしますが、まだ陸上でやっています。

――いつ、スケートを始めたのですか?

始めたのは5歳ごろです。最初は、母にやらされたということもあってか、楽しくありませんでした。でも自分でやると決めた小学校3年生ぐらいから、楽しくなってきた。それまでは他の習い事もしていて、スケートは週に1、2回でしたが、他はやめてスケートにしぼった。するといろいろできるようになって、面白い、もっとやろうかな、と。

今は楽しいです。ただケガをする前の1、2年は、実は楽しくなかった。苦しかったです。私自身は2014年のソチ五輪でスケートを辞めようと思っていましたが、ペアのパートナーがケガをして、五輪に出られなかった。その後、彼が復帰したのですが、そこからが辛かった。「なぜ滑っているのだろう?」と。精神的に疲れていたのかな。自分を追い込まないと滑れなかった。でも、逆に彼は思いっきり休んでいたので、インタビューでは「再び氷に乗れた今が一番幸せ」と答えていた。そんなふうに感じられるのって、いいなあって。自分にそれがないのが、すごく嫌で。

私もケガと休みを経て、今は滑れることに感謝しています。まだできないことはいっぱいあるけれど、一日一日、できるようになっています。ソチに出られなかった後も、初心に戻ってと自分に言い聞かせていたけど、やっぱりどうにも戻れなかった。

――2018年に韓国で開かれる平昌五輪は視野に入っていますか?

正直、あまり五輪に執念はなかった。流れに乗っていっただけ。ソチ五輪もパートナーは出たいと言っていたけれど、結局は出られず、「スケートは五輪だけではない」と自分に言い聞かせていたのかもしれません。

ケガをした瞬間に分かったんです。実は五輪に出たかったんだと。平昌はソチから4年もあります。4年の間には何が起こるか分からないし、ずっとトップレベルにいるのは精神的に辛い。足のケガの前にも肩のケガなどいろいろあったし、危険な技もやっている。そういうところで精神的に疲れていて、このまま続くのだろうか、続けられなかったらどうしよう、というのがあって。そこでケガをした。でも、逆にこれからピークをもっていけば、ちょうど平昌になるのかなという気持ちがふっと浮かんだ。あと1年半は、そんなに長くはない。あっという間かもしれない。そう思ったら、自分の中でモチベーションを保つ苦しさがなくなった。そんなことを考えている時間の余裕はありませんから。

「もっとパートナーと滑りたかったから。それには国籍を変えるしかなかった。手段でした」

国籍の質問、いやだった

――お話を伺っていると、「何が何でも五輪」という意識がなかったような気がします。国籍を日本からロシアに変えたのは、五輪出場のためではなかった?

そうではありません。もっとパートナーと滑りたかったから。それだけです。五輪を楽しみたいというのはあったけれど、それには国籍を変えるしかなかった。手段でした。スケートが終わってからの生活を考えずに変えてしまった面もある。サンクトペテルブルク大学で国際関係を学んだのは、コーチが「スケートが終わっても人生は続くから」と言って勧めてくれたのもあります。そのときは将来、国際関係の仕事に就きたいと思ったけれど、ここまでスケートをやってきて、まったくスケートと関係ない仕事ができるのか、という気持ちもあります。ただ、やっぱりロシア語を使って、日本との架け橋を果たせたらという思いはある。じゃないと、スケートをやってきた意味がない。

――バンクーバー五輪ではメディアから国籍のことを集中的に聞かれたようですね。

いやでしたね。それしか、この人たち興味がないのかとも思いました。でも、それに振り回された自分が、もっと嫌だった。それはメディアの仕事だから、しょうがないですよね。国籍変更のことがあったから、私も注目されたわけで。でも、それに振り回されて、あら、あら、あらで五輪は終わっていた。競技に影響はなかったけれど、自分が振り回されたのが嫌だった。質問は、ほとんどというより、「それだけ」でしたね。だから、「パスポートをつけて滑るわけではない」と、ひたすら言い続けました。

――旧ソ連時代から12大会連続だったペアでの金メダルが断たれ、ロシアのメディアから批判は受けましたか?

それはまったくありませんでした。逆にロシアとしては、あまりバンクーバーに力を入れていなかったような気がします。欧州開催の五輪ならロシアに有利だったかもしれませんが、北米開催なので、すでに次のソチの方に力が入っていた。そういう印象はありました。アイスホッケーなど他のロシア勢も成績が良くなかったのですが、それでもいいという雰囲気がありました。

――五輪を含めた国際大会の観客席で応援する人たちでは、日本人の方はどちらの国旗を振っていますか?

両方の国旗が出ています。やっぱりロシアの代表だから。これは、スケーター個人を応援しているということだと思います。二つの国から応援を受けているから、得していますよね。力とプレッシャーと、私の場合は両方。うれしいけど、プレッシャーです。でも、そういうことを考えているうちは、まだまだ甘いのかなって思います。滑るときは、国のことは考えていない。旗の数を数えたわけでもないし。

――滑る前、観客席に目をやりますか?

人によると思いますが、私は見ます。表情まで見える場合もあります。私は、見えていた方がいいと思う。見えていないと、余裕がない証拠なので。国旗というより、応援している人たちの顔を見ます。そのときはロシアのためにとか、日本のためにとか、考えていません。自分のため、お客さんのため、パートナーのために、です。ただ、喜んでもらいたくて。

ロシアの国歌を聞いて、ほっとした

――インタビューなどではスロー4回転サルコウによく言及していますが、この大技にかける気持ちを聞かせてください。

こだわりはあります。ペアに転向したのが、4回転をやりたいというのがありましたから。それに、これは一人ではできない。それだけです。やっていて楽しいです。誰もしていなかった技だからやるというのではなく、好きでやっているだけです。今はカナダの選手らもやりだしています。ただ、やっぱり危険です。怖いときもあるけど、でも楽しい。何かに挑戦していると楽しいです。

――大会では調子によって4回転を3回転にすることもあると聞いています。

こういうところで、「国」というものが出てきます。大会では、国のためにポイントを取っておかないといけないからです。それに、いい成績が良ければ、テレビで放映し、視聴率も上がります。競技人口が保てれば、良い選手も増えます。あまりこだわりすぎてもいけないとは思いますが、外からいろいろ言われないためには、確実を目指すしかなく、そこで何回転にするのかの判断があります。バンクーバー五輪では、コーチから3回転にという指示がありました。その後の世界選手権では、指示に逆らって4回転にしたら、失敗して。コーチは「ほらみたことか」という感じでしたけど。でも、バンクーバーで失敗したから、やりたかった。コーチが言っていることも分かりますが、守りに入りたくない。何も言わせないためには、成功させるしかない。

――4回転にするか3回転にするかの判断は、パートナーと相談するのですか?

気持ちの交流ができているので、それを理解しているコーチは、最近は私たちのことを信用してくれています。滑っている途中に、「今日、試そう」ということもあります。やっている途中に決める。彼にささやくんです。跳ぶ直前に。でも、彼が「3」と言ったら、従うしかないと割り切っています。私を空中に投げるのは彼ですし、彼がそう言うときは、調子が良くないときだから。ほかの部分でよい演技ができず、ここは抑えておいた方がいい、点数を引かれたらやばいという時もそうです。他の部分の演技がうまくいって、もしここでミスをしても大丈夫というときは、私が「4」と言います。そこで私の調子がいいと彼が判断したら、彼も「4」と返す。大きな大会では、こうはしないですけど。

――スケートの採点というのは、点数をつける人の主観も入ることがあると思うのですが、選手としては、それをどうみていますか?

コンピューターがやっているわけではないので、感情移入とか、政治的なものが後ろには絶対にあると思います。どの試合でも感じますよ。採点するのはコントローラーというのですが、今回はアメリカ寄りだな、とか。アメリカ人のコントローラーはロシアには厳しい。こうした傾向はどの国にもあります。グランプリというのは各国で行うのですが、開催国の選手を持ち上げることはあります。

でも私は、自分の国のスケートをアピールするうえでは、あっていいことだと思う。そういうものをはねつけるぐらい、うまくなればいいし、うまくなりたい。嬉しかったのが、中国での大会で絶対に中国ペアには負けると思っていたのに、勝った時です。昨シーズンのことでした。あの時は、まるで五輪で勝ったみたいに周りが盛り上がってくれました。こんなふうに国の人たちを喜ばせることができるんだって。中国ペアはもともと強く、その中国で開催された大会で、審判も中国寄りになっていて、中国優勝が暗黙の了解みたいなところで、中国をトップにさせないだけの演技を私たちがしたわけだから。逆に、何をやっても2番になるなら、好きにやろう、だから4回転をやろうと。

どうせ1番は中国だから、私たちは好きにやらせてもらいますという感じだった。滑っているときは、ロシアのためにというのはなかったけれど、ロシアのスケート連盟も喜んでくれたし、ロシアの国歌を聞けると、ほっとした気分になった。とりあえず、お役目を果たしました、と。ロシアには、たくさん上手な子もいるのに、そのなかで代表として滑らせてもらっているので、結果は出していかないと。

かわぐち・ゆうこ 1981年生まれ。2009年に国籍を日本からロシアに変更。10年のバンクーバー五輪では4位。