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「AIを擬人化すべきではない」 哲学者がみる人工知能

撮影・倉重奈苗

人間は自らの欲望から、新たな技術である人工知能(AI)を作り出しました。当初、AIは人間がいかに機械より優れているか、豊かな直感力を持っているかを映す鏡でした。つまり、AIとの対話を通じて、人間は自己理解を深めることができたのです。


これまでろうそくしかなかった暮らしに電気がでてきたことを考えてみてください。太陽とともに生きるのが人間本来の生き方だという考え方もあったはずです。でもいまは、電気がある生活が我々にとっての「ノーマル(自然)」になっています。人類の歴史において、何万年もの間、不自然だったことが自然なことになった。私たちはAIもそうなるとみて、受け入れようとしています。

ですが、自分たちが生んだ科学技術はどう自己展開していくか、人間にはわからない。アルファ碁がなぜあの手を打ったのか、私たちには理解できないのです。アルファ碁は、人間の知性を超える「超知性」なのです。これまで人間を映す「鏡」だったAIが、人間の知性とは無関係のものになってしまったといえるでしょう。

「超知性」の存在を、技術の発展にともなう過去の変化と同じように考えてよいかというと、それは違います。「超知性」のAIは、私たちが見ている世界が「絶対」ではないということを突きつけました。「超知性」それ自体が、勝手に知的活動をしかねないという予測できない面があり、私たちの知性を上回る可能性すらでてきているのです。人間の知性を上回る存在の出現を、私たちは体験したことがない。どんな事態をもたらすのか、想像ができません。

世界中で自動運転車の開発競争が始まっていますが、凶器にもなり得る車が無人で走り回るということへの懸念や法律的な責任論がわき起こらないのはなぜなのでしょうか。法律の整備や倫理面での議論よりも、技術の進歩のほうが早く進んでしまっているのです。

とっさの判断をしないといけないのが運転の本質だとすれば、右にハンドルを切れば犬をひく、左に切れば子どもをひく場合、どこまでデータを入力することができるのか。他者との関係性や責任をどうとらえるのか。こういった根本的な問題が未解決のまま、スマートフォンの開発と同じ感覚で自動運転車の開発を進めていないでしょうか。私たちが、立ち止まって考えることすら追いつかないスピードで。

私たちは「超知性」を備えた機械を擬人化して考えがちですが、AIはあくまでも人間が使う道具、巨大なシステムです。擬人化すべきではありません。

そのAIが、人間の尺度では測れない領域に入りつつある。
「超知性」が人間の知性に代わる新たな世界の知となりうるのか、AIをどうとらえるか、哲学者としての答えはまだ、見えていません。

くろさき・まさお 1979年東京大学哲学科卒業、同大大学院人文科学博士課程を経て東京女子大学教授。著書に「哲学者はアンドロイドの夢を見たか」(哲学書房)「今を生きるための『哲学的思考』」(日本実業出版社)など。