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記録の力で人権侵害にどう立ち向かうか

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元米国立公文書館記録管理庁長官代理のトルディ・ハスカンプ・ピーターソンさん

東京都内で講演したトルディさん=写真はいずれも高橋友佳理撮影

――人権侵害の問題で、なぜアーキビストの力が必要なのですか。
Proof、立証の大切さについてお話しします。補償・賠償には地域に学校や診療所を作ったり、記念碑を作ったり式典を開催するものから、個人のレベルでの支援金の支払い、住居の回復など様々な形があります。個人に対する補償はとても大事です。なぜなら、その人に加えられた害について、その人だけが知っているのではなく、公的に認知されるからです。そして補償を受けるためには、身元の確認や被害の立証のために書類が必要になります。しかし最も難しいのが、記録を入手することです。

――何がきっかけで人権問題にかかわるようになったのですか。
米国立公文書館で働いていたとき、初期に担当した仕事の一つが「インディアン」、先住民関連の資料でした。チェロキーやスー、アパッチなど、そのメンバーだと証明する書類を求める人々と毎日対面しました。その中で、人々の権利を守り恩恵を受けるために、自らの属性を立証する書類がいかに大切か、分かったのです。1992年には、米国とロシアが立ち上げた、戦争中に行方不明になった人々を探す事業に米国代表団の一人として参加しました。愛する人に何が起きたか分からない家族にたくさん会いました。彼らに起きたことを知り、その権利を理解するのに、いかに資料が助けになるか、再び実感しました。

――公文書館で24間勤務し、93~95年には女性で初めて長官代理を務めました。その後、南アフリカやホンジュラスの真実委員会、グアテマラ警察アーカイブズなど多くの人権問題にアーキビストの立場でかかわりました。どのような仕事なのですか。

グアテマラのケースでは、警察資料の存在を知ったオンブズマンに頼まれ、彼らにどのように資料を扱うか、研修をしました。3年間、グアテマラにたびたび赴きました。膨大な資料の中から、行方不明者や亡くなった人たちに何が起きたかを知ろうとしました。どのようにとらえられ、誰がその命令を下したのかなどが分かることもありましたが、DNA検査などが必要となることもありました。

警察の資料は、被害を受けた人の人権侵害を立証するのに即座に役に立ちます。警察は不法な越境や麻薬、女性に対する家庭内暴力などの記録も持っています。長い目で見れば、これらの資料は社会を表すものであり、国の歴史にとって大切です。しかし、膨大な資料も積まれたままでは、使うことができません。私はこれらの資料が裁判で使える形になるように、関係者を指導しました。

元米国立公文書館記録管理庁長官代理のトルディ・ハスカンプ・ピーターソンさん

――グアテマラのケースでは、その警察資料は公開されたのですか。

すべて公開されました。でも私はその判断は間違いだったと思っています。今でも、インターネットを調べれば、誰が誰を殺す命令を下したかを知ることができる。暴力がはびこり、犯罪が起きても有罪になる確率が低い国では、この決断は危険すぎます。その情報が誰の手にわたり、何をするか分からない。私たちは資料を整理し、描写し、デジタル化しました。が、私は全面公開には反対でした。限られた学術的な目的のためにだけ公開すべきでした。


――マーシャル諸島の核賠償請求裁定委員会にも参加しました。どんな仕事でしたか。
マーシャル諸島では、1946年から58年の間に米国により67回もの地上核実験が行われました。関係者は必死に米国政府の資料を探していました。どの実験がどの程度の放射能を発生させ、そのような被害が生じたのか。しかし被害者の診断の記録を見る権利をもらうことはできましたが、実験そのものについての記録はいまだに開示されていません。

マーシャル諸島は、資料保存には適さない場所です。暑く湿気があり、温暖化の影響で海水面が上昇しているからです。私たちは資料のデジタルコピーを作り、スイスに保存しました。またスペイン・カタルーニャの市立公文書館が音声や録画記録の保管を引き受けてくれました。彼らはひどい保存状態だったそれらの記録をきれいにし、デジタルコピーを作ってくれました。国際的な協力があったのです。

――世界各地でたくさんの問題を巡って補償、賠償を求める動きがありますが、被害者もしくは被害を受けた国が声をあげることが多いのでしょうか。
被害を立証する時には、国家が書類を持っていることが多いため、確認は被害者より国が行う方がより簡単です。そして、国家が起こした問題は本来、国家がやるべきです。にもかかわらず、政府が自ら行うことは珍しい。

最近ケニアが英国の植民地時代に受けた被害について補償を受け、グアムも現在、米国に対し第2次大戦中の被害に対して補償を求めています。多くの場合、被害者が声をあげることが多いですが、第2次大戦中に収容所に抑留された日系アメリカ人に対する米国の補償と、カナダで寄宿学校入学を強制された先住民の子どもたちへの補償は、加害者である国側が動いたまれな例でした。

この2つのケースでも、政府が動いたのは、市民からの圧力があったからでした。市民社会が活発に運動しなければ、こんな風にはなりませんでした。政府側が抵抗できなくなったのです。

また、裁判所で使うときには、資料は公的なものになればなるほど価値が高くなります。政府の資料が最も重視されるということです。しかし、私人の資料しかない場合はそれを使います。私の親しい活動家の女性は、文書がある時だけ訴訟に勝つことができました。資料はとても重要なのです。

新宿区にあるアクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(wam)

――ユネスコ(国連教育科学文化機関)の「世界の記憶」(旧・記憶遺産)で先月、wamをはじめとする日中韓など8カ国の市民団体が登録を申請していた「旧日本軍の慰安婦に関する資料」が登録保留になりました。そのことについてどう思いますか。

私はこれらが重要な記録であると信じている人々の一人で、まだ希望を失っていません。延期は、登録されないよりはいい。最終的な決断が肯定的なものになるよう、説明し、疑問点は質問しなければなりません。延期決定の時に示された「関係者間での対話」の意味を含め、私はまだ今回の決断が何を意味するのか、分からないでいます。

――前回は中国が申請した「南京大虐殺の記録」が登録され、日本政府が激しく反発して制度改革を訴えました。ユネスコは多国間で対立がある案件は話し合いを求めることにし、今回、それが適用された形になりました。「旧日本軍の慰安婦に関する資料」以外に、日米の民間団体などから旧日本軍が慰安婦を規律正しく扱ったなどとする資料も申請されたからです。日本政府の姿勢についてどう思いますか。

日本政府のことは分かりませんが、第2次世界大戦に関連する資料は開示する時が来ています。私は終戦の年に生まれました。それから70年以上がたち、関係者は多くが亡くなっています。私たちは違う世紀に生き、環境は大きく変わりました。それでもまだ私たちは戦争を終わりにする、と言えないのでしょうか。たとえば、スペイン政府は、1930年代の内戦とその後のフランコ独裁時代の記録をいまだに公開していません。

よい例ではないかもしれませんが、もう一つ例をあげましょう。10月末、ケネディ暗殺にかんする文書が一部を除き公開されました。私が長官代理をしていたときに、25年後にそれらを公開する文書を議会が可決しました。私は当時判断に大変悩みましたが、公開を求める市民社会のプレッシャーは年々大きくなっていました。議員に「個人情報が入っている」という話をしましたが、その時言われたのが「全てを公開しない限り、陰謀論は続く」ということでした。

第2次世界大戦に何が起きたかについても、すべての推測を終えるべき時なのです。手に入るすべての資料を公開すべきです。南アフリカの真実委員会のコンサルタントをした時、私はメンバーの一人がこう話すのを聞きました。「歴史のページをめくって先に進みたかったら、まずそこに書かれていることを読まなくてはいけない」と。直視するのは容易なことではありません。しかし、そこに書かれたことは「すべて私たちの間で起きたことだ」と理解しないといけません。その作業をせずに、先に進むことはできないのです。