ハノイ中心部を出て、田園風景を眺めながら車で約3時間。実習生として働いた日本から帰国して間もないベトナム人女性(20)の実家を訪ねた。パステルカラーの2階建て一軒家で、内装や家具もきれいだ。農家だが決して貧しくはないようだ。家は彼女が日本で稼いだお金で建てたわけではない。
「日本に行ったら、稼いでお金を送ってくれるのかと思ったら、まさかこっちが仕送りすることになるとは」
そう言ってあきれる父親の横で、女性は照れくさそうな笑顔を浮かべた。
何があったのか。
桜のある街にあこがれて
農村ではひときわ目をひく、鮮やかな赤色のコートをまとった元実習生の女性。いまは実家を離れて、ハノイの飲食店で働いているという。
両親には、高校卒業後は進学するよう勧められた。だが、彼女は「日本に住みたかった。両親には私のわがままを聞いてもらった」。桜がたくさんある、清潔な日本の街にあこがれていたという。同席した親戚の男性が「日本で結婚したいと言ってたんだ」とからかうと、「日本人の男性が好きというのでなく、日本でずっと暮らしたいから」と照れた。
親戚のつてで紹介された送り出し会社で、1年ほど寮生活をしながら日本語などの研修を受けた。こうした送り出し会社は、ベトナム政府が認定したものだけで約250社あり、実習生や留学生を競って日本に派遣している。
女性が来日するのに約130万円を費やしたという。送り出し会社の費用だけでなく、別の仲介者の取り分もあった可能性がある。20万円余りは、経歴を偽装するための費用だった。技能実習制度は、「日本の技能を学ぶ」という建前なので、本国での仕事と同じ職種に就くことになっている。彼女は日本で「総菜製造」の仕事が決まったが、もちろん経験はない。このため、架空の食品会社で働いていたことにし、日本の入国管理局から調べられてもばれないよう、関係者と口裏を合わせておく必要があるのだ。
こうした費用は両親は、銀行や親戚に借金をして工面した。契約によると、日本では家賃などを引かれても月約9万円が手取りとして残るはずで、3年間働けば、少しは貯金ができる計算だった。
手取りは月15000円
来日し、学校や企業の食堂を運営する会社に雇われ、関西の学校の食堂などで働いた。ところが、期待はすぐに打ち砕かれた。仕事がない時が多く、給料は時給制なので、寮費などを引かれると、手取りは少ない月で1万5千円ほどだった。
日々の食費にも困り、父親に泣きながら電話した。父親は数回にわたり計約20万円を仕送りしてくれた。10カ月目に「もう帰ってこい」と言われ、ベトナムに帰国した。
会社の社長は取材に「仕事がないと言うが、日本語で意思疎通ができないので、現場の責任者が教えようにも教えられず、仕事に入れられない」と説明した。「技能実習制度をよく分からないまま受け入れた。もう二度と実習生を入れることはない」などと、制度への不満もぶちまけた。
貯金どころか、両親に借金を残し、故郷で恥ずかしい思いまでしたベトナム人女性。この村から日本に働きに行ったのは、彼女が初めてで、「日本で働きたい」と村人から相談されることもあるという。「行かない方がいいとは言わない。でも、あったことを正直に話すと、だいたいあきらめる」
ただ、彼女自身は「仕事のない時に電車で出かけるのが楽しかった。大坂城で桜も見られた」とふり返る。お金がなくて困っている時、一緒に働いていた日本人が親切にしてくれたこともあった。「また日本に行きたい」。彼女はいまもそう言う。
ベトナムでは、日本への「出稼ぎ」がまだまだ人気だ。ベトナムに比べれば高い賃金に加え、日本という国への好印象が、ブームを支えている。だが、両国の賃金格差がかつてより縮まるなか、技能実習制度について負のイメージが広まれば、熱が冷める日も遠くはないかもしれない。