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トイレへの愛が足りない

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ドイツ西部のボーフム市にあるマリア・ジビラ・メーリアン総合学校には2種類のトイレがある。よい香りがする清潔なトイレと、汚くて臭いトイレだ。前者は入り口が外にあるため「外のトイレ」、後者は「中のトイレ」と呼ばれる。

10代の生徒約1300人が通う学校には、もともと「中のトイレ」しかなかった。便器は壊れ、室内には臭いが充満。汚さから、多くの生徒はトイレを我慢し、授業に集中できなかったり、腹痛を起こしたりしたという。ザンドラ・ルーザー(17)もその一人。「便座に座るのすら嫌。水を極力飲まないようにして、学校ではトイレに行かなかった」

記者も入ってみた。夏休みで使われていないはずが、ひどい臭いで1分もいられない。ドイツでは一般に学校のトイレは放課後、業者が掃除する。ここでも毎日掃除はするが、築50年ほどの校舎の老朽化も進み、教員のガービー・ヴィーヒェルン(59)は「下水道が古いのと、汚く使ってきた蓄積かも」と苦笑する。

3年前、「外のトイレ」が連邦政府の予算で改修され、清潔なトイレになった。室内には芳香剤の香りが漂い、手洗い場はセンサー式。入り口には出入りを見張り、備品を補充する監督者を置いた。「きれいだから安心して行ける」と、生徒はこぞって「外のトイレ」を使った。

だが、意外な問題が起きた。地元行政府が「二つのトイレがあるのは階級分けになる」と禁止を通達してきたのだ。

トイレを避ける子どもたち

実は、「外のトイレ」を使うには生徒は1枚1ユーロ(約135円)の「トイレカード」を事前に買わないとならなかった。監督者が1回ごとにパンチ穴を開け、1枚で10回使える仕組み。売り上げは、年間約1万5000ユーロ(約200万円)かかる監督者の人件費にあてた。これに対し、使用料をとるのは「生徒にトイレの平等な使用権を保障する州条例に反している」というのが、行政府の通達の理由だったという。メディアも「プレミアムトイレ」などと揶揄(やゆ)した。

PTA担当教員のウーリー・ピーパー(59)は「使用料は誰でも払える程度にし、保護者の了承も得ていた」と言う。生徒のルーザーも「腹痛になるより、お金を払ってもきれいなトイレがいい。キャンディーを買うのと同じじゃない」。現在、「外のトイレ」は無料になり、監督者の人件費は保護者の寄付でまかなわれている。

国内外のトイレ環境改善に取り組む「ドイツ・トイレ機構」によると、数年前まで学校のトイレは目立った問題ではなかった。2008年ごろ、世界で20億人以上が衛生的なトイレを使えない生活をしていることが大きく報じられ、トイレ問題への関心が高まると、国内の保護者や学校関係者から学校トイレに関する悩みが多く寄せられるようになったという。「世界の現状を知り、自分たちのトイレのひどさに目が向いた」と代表のティロ・パンツァービーター(39)はみる。

機構が、ベルリン地域の約50の学校で子どもたちにトイレに行く頻度を尋ねたところ、11%が「決して行かない」と回答。「緊急時のみ」の65%を合わせると、8割近くが学校でトイレを使うことを避けようとしていた。「問題は数十年前から存在するが、当事者の子どもが数年で入れ替わるため、継続的に声を上げる集団になりにくいのではないか」とパンツァービーターは分析する。

ドイツ学校長会会長グドゥルン・ボルターズ=フォゲラー(51)は「少子化で学校の数が減るかもしれず、国は施設修繕予算を増やすことに二の足を踏んでいるのではないか」と話す。ドイツ復興金融公庫の調査では、2014年に国内の学校改修工事費は320億ユーロ(約4兆3200億円)不足していたという。

高福祉国家スウェーデンでも事情は似ている。イエーテボリ大の研究者による09年の調査では、地域の8校、約400人の生徒の16%が「小便」、63%が「排便」を「決してしない」と回答。多くが汚さなどを理由に挙げた。調査を行った同大教授のアンナ=レナ・ヘルストローム(68)は「清掃費節約のためにトイレを減らす学校すらあった」と言う。ただ、改善の兆しもある。スウェーデン小児科医協会長のジョナス・ルドビッグソン(46)は、「学校のトイレに関する苦情が減っているとの政府統計もある」と話す。

休み時間にトイレ前のベンチで談笑。手を洗いながらおしゃべり……。大分県九重町の「ここのえ緑陽中学校」の風景だ。1年の男子生徒、佐藤主理(12)は「トイレは友だちとちょっとした会話をする場所」と話す。20年以上前、学校トイレの個室に入るだけではやし立てられた記者の子ども時代とは大違いだ。

学校の設立は2年前。町内の四つの中学校を統合してできた。男子トイレも全て個室で、各学年の教室の前に男女一つずつある。個室の半数にはプライバシー配慮の擬音装置までついている。

全個室化に加え、旧式との最大の違いは、水を流して掃除するタイル張りの「湿式」ではなく、細菌の繁殖や臭いを抑える素材を使った「乾式」のフローリングになったこと。生徒会長の穴井希実(15)は「掃除も苦にならない」。校長の濱田淳(59)も、「卒業生が、中学のトイレが良すぎて、高校で使えないとまで言う」と話す。

新校舎の総事業費は約15億円。多くを自主財源でまかなった。トイレの建設費は3000万円ほどで、町教育長の古後粒勝(67)によれば「通常の2~3割増し」だという。保護者からは「トイレより教材などにお金をかけるべきだ」といった反対意見もあったが、古後は「家のトイレがきれいなのに、学校が汚くては生徒がギャップに苦しむ」と反対者を粘り強く説得した。古後はかつて保護者から、「学校のトイレに行きたくないという理由で子どもが朝食を食べない」という悩みを聞いていた。統合前の中学校で、老朽化したトイレを生徒が使いたがらない雰囲気もあったという。

だが、全国をみれば緑陽中のような学校ばかりではない。自治体予算が限られる中、統廃合のようなきっかけや、学校関係者らのイニシアチブがなければ、なかなかトイレ改修にまで踏み切れないのが実情だ。学校施設の改修で、耐震化が優先されてきた背景もある。

だが学校の多くは1960?70年代に建てられ、老朽化が進む。文部科学省によると、学校教員が最も不満を抱える施設はトイレを含む「水回り」との調査結果(2008年)があるという。日本トイレ協会会長の高橋志保彦(79)は「暗い・怖い・臭い・汚い・窮屈・壊れている。学校トイレの『6K』は日本のトイレに残された大きな問題だ」と指摘する。

子どもたちは、なぜ学校のトイレに行きたがらないのか。「きれいにするだけでは解決には至らない。『行くのは恥ずかしい』という意識が問題だ」。子どもの心理とトイレについて研究する常磐短大特任准教授の村上八千世(49)はそう主張する。

村上が小学生に対して行った調査では、学校でトイレに行くことが「恥ずかしくない」と答えた児童は1年生では大半を占めるが、5年生で「恥ずかしい」が上回るようになる。村上は「第二次性徴の影響もあり、この頃にトイレに行くのを恥じる傾向が生まれやすい」と指摘する。「社会の刷り込みもある。小さい頃は『ウンチよく出たね』とほめられたのに、やがて『ウンチは汚く、悪いもの』だという側面が強調されていく。トイレに行くと気持ちがよいなどと、プラス面を強調し、排泄を恥じない意識づくりが重要だ」

排泄と子どもの健康に詳しい肛門外科医の国本正雄(61)は、学校のトイレに行けずに便秘になった小学生の患者を診察した経験がある。いじめが原因で学校のトイレに行けなくなり、便秘で切れ痔(じ)になってしまったという。「トイレに行けないことが精神的なトラウマになりかねない」

ドイツ小児科医学会の医師ウルリッヒ・フェゲラー(66)は、学校での排便を避けるために食事や水分をとらず、子どもが膀胱(ぼうこう)炎や腸の病気を引き起こす危険性を指摘する。
(杉崎慎弥)(文中敬称略)

part1とpart2で取材したドイツと大分の学校トイレを紹介します(撮影:杉崎慎弥、機材提供:BS朝日「いま世界は」)