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森林、だれがどう守るのか 世界で考えた

World Now 更新日: 公開日:
根元に遺骨を埋めてあるハヌルスプ追慕院の埋葬木=神谷毅撮影

■胎教から樹木葬まで「山林福祉」ーー韓国

見上げると、風を受けて葉と葉がサラサラと音を立てた。合間から青い空がのぞく。

私が訪れたのは、韓国のソウルから車で東に1時間半ほど、京畿道楊平郡にあるハヌルスプ追慕院。ハヌルは空、スプは森を意味する。

松の幹に、亡くなった夫婦の名を刻んだ木板がくくりつけてある。根元には、斜面の低い方からみて12時の場所に夫が、1時に妻の遺骨が埋めてあると、追慕院の職員が教えてくれた。


ここは樹木葬のための林だ。樹木葬は木の根元に遺骨を埋める埋葬法。追慕院の規則で、骨つぼは数年で土の中で分解するものを使う。遺骨を自然にかえし生態系を傷つけないようにするためだ。

ソウルの会社員、金基奉(43)は8月9日に父を亡くし、先に亡くなった母の隣に埋めた。韓国は土葬の文化で、山の斜面に埋葬することが多かった。なぜ樹木葬なのか。

「土葬は息苦しい気がする。墓の管理も難しい。樹木葬なら木と一体になって自然にかえることができるし、何より手間がかからない。ここなら山のきれいな景色と空気を楽しみに、家族と遠足気分で年に何回も来られると思います」

韓国では土葬に適した場所が減り、火葬が約8割に達している。しかし納骨堂は迷惑施設だとして住民から拒まれることも多く、最近では樹木葬への関心が高まっている。追慕院の埋葬木約6000本の半分以上がすでに埋まっており、区画をさらに広げる予定だ。

「費用対効果の高い政策」

この、人生の終わりと森が出会う場所をつくったのは韓国政府だ。「山林福祉」と名づけた政策のもと、森での胎教から樹木葬林まで、つまり生まれる前から死んだ後まで、森林で福祉サービスを受けられるのを目標としている。昨年、新たに法律をつくり、今年8月には韓国山林福祉振興院を立ち上げた。今年の予算は2700億ウォン(約240億円)だ。

次に足を運んだのは、国立山陰自然休養林の「治癒の森」。治癒のプログラムでは、まずストレス検査を受ける。

指先に心拍数を測るクリップのようなものをつける。私が少し緊張したのを察してか、「窓の外の森を見ていてくださいね」と、山林治癒指導者の李 禧(50)が話しかけた。クヌギやアカマツを見るうち心拍数が落ち着いた。

私の結果は「調整能力が低い」「ストレスへの抵抗力が落ちている」だった。

李は「森の解説家」など森に関する四つの国家資格を持つ。彼女の指導で森を歩いた。小さな滝のほとりで瞑想したり、せせらぎに足をひたした後、そのまま裸足で歩いたり。途中で李は、おごそかにこう話した。「いま来た道を振り返ってみてください。同じ森のようでも景色は違っていませんか? 人生と同じです」。本当に効果があったかは分からないが、李は余裕が治癒につながると語った。

韓国政府は、地方自治体が運営する公立も含めて8カ所ある治癒の森を来年までに33カ所増やし、3カ所ある国公立の樹木葬林を2つ増やす。

ソウル大学山林科学科の教授、尹汝昌(60)は、山林庁長官が大統領側近ということから山林福祉には政治的な側面があると指摘。国が民間の活動を抑えてはいけないとしたうえで、「費用対効果の高い政策だ」と評価する。

韓国では木材の需要が減って輸入品も増え、価格が下がっている。木を切って売ることで経済を成長させるのは難しい。「むしろ森を守りながら使う方がコストもかからない。森林福祉は高齢化やストレス社会でニーズもあるし、輸入品との競争もありません」(神谷毅)

撮影:神谷毅

「雇用拡大にもつながる」朴鐘虎・韓国山林庁山林利用局長に聞く

韓国では朝鮮戦争で多くの森がなくなった。しかし、戦後に木を植えて増やし、森林の資源量は半世紀で13倍になった。その間に韓国は高度経済成長を果たしている。ふつうは森林を切って開発しながら経済成長するが、韓国は森林を増やしながら成長した。世界でも例をみない成功だと言われている。


経済成長で生活水準は上がったが、副作用としてストレスやアトピーなどに苦しむ人が増えた。山林福祉は、森を通して国民の健康や幸福、生活の質の向上を実現しようというもの。ドイツや日本などをモデルに、それぞれの良い点を参考に政策としてまとめた。

経済効果を測るのは難しいが、国立山林科学院によると、2011年に休養や登山で山林を訪れた人の支出は11兆8000億ウォン(約1兆円)ほどとみられる。目標は25年に25兆8000億ウォンだ。雇用をつくる効果もある。森の解説家や幼児向けの森の指導者など今は約1万人の雇用を、25年には約2万3000人に増やせるとみている。

日本と同じように韓国も高齢者が増えており、医療費の負担が重くなっている。山林での治癒が医療費を減らすことにどれだけつながるのか、経済学者らに頼んで、いま研究しているところだ。

■熱帯雨林守る費用、どう負担?ーーコスタリカ

熱帯雨林に包まれた中米の小国コスタリカ。首都サンホセから北へ50キロ離れたニカラグアとの国境近くに、アチョテ村はある。

1980年ごろ、辺りは一面の原生林だった。当時10代後半で、近くの牧場で作業員として働いていたサンティアゴ・ダビラ(54)は、35万平方メートルの原生林を自分のものにした。当時、測量して登記しさえすれば、森をタダで手に入れることができた。密生する木を1本ずつ、チェーンソーで6年かけて切り倒し、牛の牧場を始めた。

1960年代から80年代にかけて、コスタリカの森は激減した。1950年に国土の75%を占めた森林は、87年に21%にまで減った。

だが、1992年にブラジル・リオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議(地球サミット)をきっかけに、森の減少に対する危機感が世界的に高まる。

農業や牧畜業を奨励していたコスタリカ政府も対策に乗り出し、森の「V字回復」に成功する。森林面積は2013年に国土の52%にまで増えた。原動力となったのが、1997年に始めた、森を保全することに同意した地主に一定の「給付金」を支払う制度だ。おもな財源はガソリン税。車などを利用して二酸化炭素を排出する人たちが、それを吸収してくれる森にお金を払うという考えだ。これまでに1万5735の地主に累計4億5000万ドルを給付し、100万ヘクタールの森を守ることに成功したという。

ダビラも森の回復に貢献した1人だ。2010年ごろ敷地の一角で植林を始めた。牧場を集約し、余った土地2万平方メートルにアカシアやチークなど計2000本を植えた。苗木は政府が現物支給した。最初に植えたアカシアは今、高さ10メートルを超える。もちろん原生林が元に戻るわけではない。ただ、二酸化炭素を吸収する点では効果がある。

森を守る価値をおカネに変える

環境・エネルギー省の副大臣パトリシア・マドリガルは「課題は予算不足だ。必要な金額の3割程度しかない」と明かす。申請した地主すべてにはおカネが行き渡っていないのが現状だという。ダビラも給付金は手にしていない。

コスタリカ政府は新たな財源として、先進国からおカネを引き出そうとしている。その具体的な方策が、国際的な取り組み「REDD+(レッドプラス)」だ。昨年、パリで開かれた国連気候変動枠組み条約第21回締約国会議(COP21)で合意文書に盛り込まれた。森の減少を防ぐ途上国の取り組みに対して、先進国がおカネを支払う仕組みだ。2005年に、同じ「熱帯雨林国」のパプアニューギニアとともに提案した。

この仕組みで、コスタリカはどのくらい資金を得られるのか。政府は、1996年から2013年にかけて、森を守る政策によって二酸化炭素2500万トン分を吸収したと計算した。問題はこの「成果」を国際社会にいくらで「売れる」か、だ。

世界銀行は2013年、コスタリカ政府との間で、森を守ることで吸収される二酸化炭素最大1200万トン分を最大6300万ドル(64億円)で買い取るとの覚書を交わした。元手は先進国の拠出金だ。だが、コスタリカ政府のREDD+戦略担当官マリアエレナ・エレラは「世界銀行は1トンあたり5ドルで計算しているが、これでは安すぎる。森林保全にかかるコストを考えれば1トンあたり10~15ドルが適正だ」と主張する。森を守ることが、おカネに換算してどれだけの価値があるのか。駆け引きは続きそうだ。(左古将規)

撮影:左古将規、機材提供:BS朝日「いま世界は」

「保護と利用、ともに理がある」ヨハヒム・ラートカウ(独ビーレフェルト大学名誉教授)

歴史を振り返ると、森は常に政治的な思惑が飛び交う舞台だった。ドイツでは18世紀に農民たちが森で薪や食糧を取ることを禁じられ、森林官たちによって森から閉め出された。木材不足という名目だったが、いま調べるとそれを裏付けるような証拠はない。実際にはエネルギー源として森を権力が支配するためだった。


気候変動の警鐘とエネルギー価格の上昇によって、いままた森と政治が色濃くかかわる時代になった。環境保全や二酸化炭素の吸収源としての機能から保護が叫ばれる。一方で、世界的に木材の需要は増加し、バイオマス燃料が注目されるなど森には新たな負荷もかかりつつある。

どちらにも理があり、一方的に批判することはできない。ただ考えておきたいのは、森は数千年前から人間に利用され変えられてきたということだ。人類の歴史は森の減少とともにある。だがそれはただちに「自然破壊」と同一視できるものでもない。森は人間が手を入れた結果生まれた文化景観でもあり、もし本当に自然の成り行きに委ねた場合には、失われてしまうものもある。(聞き手・田玉恵美)

Joachim Radkau 1943年生まれ。ドイツにおける環境史学の創始者のひとりとされる。邦訳書に『木材と文明』『自然と権力』など。

■ウチの森で考えた

わが家は山を持っている。だが、私は行ったことがない。親も場所をよく知らない。課税明細を見ると、広さは2833平方メートル、税額は年1375円とある。せっかくなので長野県上田市にあるウチの森に行ってみることにした。

同行願った信州上小森林組合の田中憲一郎(41)とともに、航空写真や地図を頼りに林道で車を降りる。新幹線の駅から15分ほどの里山だ。小さな沢を越え、急斜面を細い木につかまってはいつくばるようにして登ると、バレーボールのコートほどのゆるやかな斜面に着いた。高さ15メートルくらいの広葉樹がいろいろ生えている。手入れをしていないから灌木も生い茂っている。

そこで田中は意外なことを言った。「通常、コナラはこのようにまとまって生えないと思います。ご先祖が薪にするためドングリをまいたか、苗木を植えたんでしょう」。見ると、木はひとつの株からU字形に枝分かれして2方向に伸びている。いったん切った後、両側から芽が出て新たに成長した証しらしい。「コナラの薪は人気ですから、買いたい業者もいるでしょうね」と田中が言うのを聞いて、目の前に札束がちらついた。「うちにこんな財産があったのか!」

曽祖父なのか祖父かわからないが、孫子の代にも当然役立つものだと思って植えておいてくれたのだろう。ありがたいことだ。だけどおじいちゃん、うちオール電化にしちゃったよ。

森の時間の流れはとてもゆっくりだ。木が長い年月をかけて育つ間に人も世の中も様変わりする。祖父の暮らしを支えた森は、いま私には必要のないものだ。

同じように100年後の世界だって誰にも想像がつかない。ウチの森が私の孫を救うなんてことがあるかもしれない。たまには孫のために森の様子でも見にいくとするか。その前に、孫ができるのかという問題があるのだが。コドモもいないのに。やっぱり、まずはダンナが要るな。(田玉恵美)

イラストレーション Nishant Choksi(ニシャント・チョクシ)
1975年ロンドン生まれ。ニューヨーカー誌やウォールストリート・ジャーナル紙など多くの新聞、雑誌に作品を提供している。