「村上春樹の作品を読んでいると、時間がのびたり、縮んだり、止まっているように感じる。現実と夢の境界にいるようで、心が落ち着くの」。イスラエルの主要都市テルアビブで畳の輸入販売をしているマヤ・カラス(41)は、自ら経営する店の中でそう語った。天井が高く、畳が敷き詰められた空間は、外界と隔絶した静けさがある。
彼女は10年前、イスラエルと、レバノンの政治組織ヒズボラとの戦闘がきっかけとなり、心のバランスを崩した。
当時、イスラエルはヒズボラのロケット弾攻撃で、北部の街ハイファを中心に多数の死傷者が出ていた。テレビやラジオの放送が突然中断され、「○○地域の住民はシェルターに避難してください!」という警報が発せられる。そんな緊張の日々に耐えられなくなったのだ。
カラスは一時イスラエルを出て、ギリシャで3年間座禅を学んだ。次第に心の落ち着きを取り戻す中、以前はとっつきにくかった村上作品を、違う目で見るようになった。「座禅も村上も、現実に対する凝り固まった見方を相対化し、悲観的な考えにこだわり過ぎないことを教えてくれた」と話す。
テルアビブのハキブツイム大では、村上の長編「海辺のカフカ」の舞台劇化に取り組む演劇科の学生10人と出会った。彼らを教えるガリア・フラドキン(60)に言わせれば、イスラエルでの生活は、いつ爆発するか分からない時限爆弾に座っているようなものだ。「私たちは時折、過酷な現実から逃げ出して別の世界に行きたくなる。村上作品はそんな欲求をかなえてくれる」と話す。
ただし、彼女にとって村上作品は単なる逃避の場ではない。「彼の物語は、現実が行き詰まっているように見えても、潜在的にはあらゆる可能性が開かれていることを教えてくれる。私にとっては、教え子たちの未来こそが可能性なのよ」
では、対立するパレスチナ人は、村上を読んでいるのだろうか。私はヨルダン川西岸のパレスチナ自治区を訪れた。道中の車窓からは、オリーブの木々と共に、多くの新しい住宅が見えた。入植したユダヤ人たちの家だ。国際法に反するイスラエルの入植計画はパレスチナ側の反発を招き、和平交渉が2014年に頓挫する原因ともなった。
イスラエル軍の検問所を通過すると、迷路のような通り沿いに所狭しと店が並ぶアラブの街に入る。オマル・ズィアダー(29)は、外界との行き来が厳しく制限されたこの街で生まれ、育った。フェイスブックでアラビア語圏での村上ファンの集まりを主宰している。本業は英語の通訳、そして詩を書くことだ。
ズィアダーは言う。「至る所にイスラエル軍の検問所があるこの街は、どこか非現実的だ。まるでサルバドール・ダリが描いた絵のように、もろくて壊れやすい時間を生きていると感じる。1人の兵士が、僕たちのうち誰かの人生を変えようと思えば、実際にそれができてしまうんだから。だけど、現実が厳しければ厳しいほど、僕は村上の世界に没入したくなるんだ」
村上作品の特徴は、現実と幻想的な世界が、地続きであるかのようにつながっていることだ。村上自身、自らの作品づくりを「自分の中にある異世界にたどり着くための井戸掘り」に例える。人々は村上作品を通じて意識の奥にある別の世界へと赴き、そこにある井戸から、過酷な現実に立ち向かうための生命力をくみ出しているのではないか。
■越えられない壁
村上は09年、イスラエル最高の文学賞であるエルサレム賞を受賞した。
「あの素晴らしき七年」などの著作がある作家のケレットは、審査委員の一人として強く村上を推した。エルサレムでの授賞式で、こんな出来事があったという。「式の後で握手しようとしたんだけど、彼は僕のことを熱狂的なファンと勘違いして、走って逃げちゃったんだよ(笑)」
ケレットが村上を高く評価するのは、フランツ・カフカや、ノーベル文学賞を受賞したアイザック・バシェヴィス・シンガーら「本当の故郷を追われ離散して暮らす(ディアスポラの)ユダヤ人作家」との共通性を見いだすからだ。「たいていの作家は、自分の国や社会に規定される。だけどカフカが『変身』を書いた時、彼はチェコの人々ではなく、普遍的な人間の在りようを描いた。村上も、日本と米国両方の文化に通じているせいか、社会を自由に越境し本質的なことについて語る稀有(けう)な才能を持っている」
村上は受賞スピーチで、パレスチナ自治区ガザへのイスラエル軍による攻撃を「高くて固い壁にたたきつけられる卵」の例えで批判した。
ハイファの裁判所で書記を務めるユダヤ人、レナ・コガン(25)は、10代だった当時、村上の熱烈なファンだったが、スピーチの後は一切、彼の作品を読まなくなった。「村上は私たちを壁、ガザの人々を卵と決めつけた。だけど私たちだってガザからのロケット攻撃を受けている時には『卵』だった。彼は私たちが、ずっと卵の立場で我慢し続ければ、ほめてくれたのかしら」。ユダヤ人とパレスチナ人の争いを通じて築かれた彼女の「心の壁」を乗り越えることは、村上作品でも難しいようだ。
■台湾のカフカ
「ああ、おれはついに村上春樹と同じ場所に立てたんだ」。2007年の夏、劉振南(37)は、東京・目白の学生寮「和敬塾」屋上にある給水塔に上った時、強くそう実感した。
和敬塾は、早稲田大文学部時代に村上が半年ほど暮らした学生寮で、長編「ノルウェイの森」に登場する寮のモデルとされる。物語序盤のクライマックス、恋人に去られた主人公は寮の給水塔に上り、弱った蛍をそっと放す。劉は、主人公がその時に見た東京の風景と、自分の今見ている景色がまったく同じことに気づき、感激したのだった。
劉は台湾大を卒業後、05年に村上に憧れて早稲田大に留学した。村上が住んでいた和敬塾の部屋は07年に取り壊されたが、その部屋の最後の住人となったのも劉だった。
「村上作品の主人公たちは世の中と適切な距離を取り、自分なりの嗜好(しこう)や世界観を確立している。それが、生き方を見失っていた自分のモデルにもなった」と話す。その後台北に戻り、現在は芸術系映画の監督・脚本家として活動中だ。
そんな劉が学生時代、村上作品を読む時のBGMとしていたロックバンド「1976」のボーカリストが、台北市のカフェ「海辺のカフカ」のオーナー、陳瑞凱(40)だ。村上の小説と同じ店名にしたのは、ファンの客を当て込む、というよりも、自分の生き方に最も影響を与えた作家を記念してのことだという。
劉や陳を含む30歳代後半から50歳代にかけての年齢層は、台湾でも特に熱烈な「村上世代」とされる。
1987年、台湾では40年近く続いた戒厳令が解除され、それまで制限されていた海外の文学や音楽、生活習慣などが一気に流入した。同じ年、日本で「ノルウェイの森」が刊行され、ほどなく台湾でもベストセラーに。村上作品はそれ以来、強い影響力を持ち続けている。
陳は「80年代末から90年代にかけて、僕たちにとっての村上は『世界を見るための窓』だった。ベースボールの楽しみ方、ウイスキーやワインの銘柄、ビートルズやブルーノートジャズ。すべて村上に教わった」と振り返る。
村上作品の多くの登場人物は、さまざまな音楽や料理、ブランド品に精通し、巧みに生活に取り入れる。その一方で、消費に過度に依存せず、世の中の動きに流されないしたたかさを持つ。
台湾で村上作品の出版を独占する「時報出版」の担当編集者、嘉世強(41)は「戒厳令が終わり、いきなり『高度消費社会』に投げ込まれた台湾人にとって、村上の作品は憧れのライフスタイルの象徴となった。その傾向は今も変わらない」と分析する。社長の趙政岷(55)は「出版契約にかかる費用は高騰する一方だが、自社のブランドイメージを維持するため、村上作品は欠かせない存在だ」と話す。
台北市郊外の私立淡江大学は2014年、世界でも初めての「村上春樹研究センター」を設立した。4人の研究者が所属し、教養課程に開設された「村上春樹講座」は、70人の定員をはるかに上回る学生が受講を希望する。センター長の曾秋桂(54)は「文学研究だけにとどまらず、日本語研究、社会学、心理学、図書館学、経済学などあらゆる角度から村上春樹とその作品に迫る『村上春樹学』を目標にしている」と意気込む。
今や「ノルウェイの森」というラブソングやラブホテル、村上の名前にちなんだ建売住宅や民宿まである台湾だが、中でも村上の存在感を示すのは、村上自身の造語である「小確幸」という言葉だ。文字どおり「小さいけど確かな幸せ」という意味で、今や会話や広告で普通に使われ、日常語として完全に定着した。
ただし、その使われ方は村上の本意とは異なる。村上はエッセーの中で、小確幸について「我慢して激しく運動した後に飲むきりきりに冷えたビールみたいなもの」で、「多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる」と説明する。
だが、台湾の「小確幸」にそんなニュアンスはない。政府が定めた休日が増えるのも、預金の金利が上がるのも、小確幸だ。「台湾では戒厳令後も、個人より社会・国家を第一に考える傾向が根強い。それに反発し、市民が自由に自分の幸せを求める気持ちを表すスローガンが『小確幸』だ」と曾は話す。小確幸の意味合いは、台湾での村上文学の受け止められ方にどこか似ている。
■記者が読み取る彼の「野心」
村上春樹について少なからぬ日本人が第一に抱く関心は、「ノーベル文学賞を受賞できるのか」なのだろう。有力なスポーツ選手に五輪の金メダルを望む思いと、さして変わりがないとも言える。
村上自身は受賞候補とされることについて、著書の中で「(正式な候補になったわけでもないので)わりに迷惑です」「ノーベル文学賞をとったからって、それによって作品がより輝きを増すというものでもありません」などと述べている。村上のそんな発言を「受賞への意欲を隠すポーズに過ぎない」と見なす人々が絶えることはないだろう。
多くのアスリートにとって、金メダルが最終目標になるのはいい。だが、現代の作家にとっての最高の目標は、果たしてノーベル文学賞なのか。
村上は常々「ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』のような『総合小説』を書いてみたい」と発言している。「小説の目的は、人々を文字どおり動かすこと」「読んだ前と後では自分が変わっているということ」とも話す。村上は、文学史上の最高傑作に匹敵し、読み手の人生を変えてしまう小説を書くことを欲している。これほどの「野心」を公言する日本人作家がいただろうか。
村上の長編「1Q84」には、「空気さなぎ」という小説が登場する。現実を超えた不思議な出来事が次々と起こる、村上自身の作風を彷彿(ほうふつ)とさせる物語だ。「空気さなぎ」はベストセラーとなって多くの人々に影響を与え、乱れつつあった「世界の善悪のバランス」を回復させる。村上は自らの小説が、現実でもそうした役割を果たすことを期待しているのではないか。
私にとっても村上は特別な存在だ。学生の頃、どう生きてよいかさっぱり分からなくなった。入信はしなかったが、オウム真理教の前身を主宰していた麻原彰晃に会ったこともある。そんな最中の1987年、「ノルウェイの森」が刊行され、私は貪(むさぼ)るように何度も読んだ。彼の作品は私を現実に踏みとどまらせる小さな、しかし確実なフックの一つになってくれたと思う。
だが、世間には村上作品を疑問視する声も多い。そこで「読んではいるが、熱狂的ファンを理解できない」という同僚の杉崎慎弥と組み、村上の真価を世界で取材した。彼の野心は実現するのか。それとも人々は、彼の思わせぶりな物語に欺かれているのか。