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村上が「MURAKAMI」に 米国で最強のチームが売り出した

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photo:Kodera Hiroyuki

■村上がMURAKAMIに

まだ、マンハッタンにツインタワー(WTC)がそびえていたころ。昼下がりのニューヨーク中心街で6人の男女がテーブルを囲んでいた。

英語版の「羊をめぐる冒険」を1989年に出版したものの、まだまだ米国では無名作家にすぎない村上春樹、村上が翻訳を手がけた米作家レイモンド・カーヴァーの妻で、自身も作家のテス・ギャラガー、トバイアス・ウルフ、ジェイ・マキナニーら人気作家の面々だ。彼らを連れてきたのは、敏腕文芸代理人“ビンキー”ことアマンダ・アーバン。「ハルキはうれしそうに彼らと会話し、家族の仲間入りをするような感じでした」。そう振り返るのは、「羊をめぐる冒険」の出版元である講談社インターナショナル(KI社)の編集者だったエルマー・ルーク(68)だ。ビンキーは、日本で「ノルウェイの森」を大ヒットさせて米国の出版業界でも注目され始めていた村上の代理人になることを望み、ルークにアプローチしてこのランチをセットしたのだった。

日本では、出版界における「代理人」という存在はなじみが薄い。米国では、代理人が自らの人脈を駆使して書籍の魅力を出版社や書店、書評を執筆する批評家らに売り込む。その腕次第で、本の売り上げが変わるというのが業界の常識だ。その後ビンキーは村上との代理人契約を結び、作品を次々とベストセラーにのし上がらせていくのだが、それは10年ほど先のことだ。

■「ニューヨーカー」誌と「TVピープル」

現地法人のKI社が米国進出の足がかりを作ってくれたものの、その営業戦略に村上は満足していなかったふしがある。「羊をめぐる冒険」の発売に合わせ、妻を伴ってNY入りした村上は89年10月21日、KI社の会議室で責任者の白井哲(69)らを前にこう切り出した。「日本でお世話になった出版社を尊重したい。でも、海外では一番広く読者に届けられる方法でやりたい」。白井は「こんなことを言い出す日本人作家はいません。普通は英語版が出るだけで満足してしまう。村上さんは進出当時から世界を見据えて、純粋に自分の作品が世界中で読まれることを願っていたんでしょうね」と語る。

当時の心境について村上自身は、近著「職業としての小説家」の中で「日本国内で批評的に叩かれたことが、海外進出への契機になった」と認めつつ、「僕の作品が外国で通用するかしないか、ひとつ試してみようじゃないか」という挑戦的な思いがあったと述べている。それだけに、数千冊程度にとどまっていた米国での売れ行きに歯がゆい気持ちを抱いていたのかもしれない。

転機をもたらしたのは、名門誌「ニューヨーカー」だ。90年9月に村上の短編「TVピープル」を掲載した。ニューヨーカーは約100万部を発行する雑誌で、90年以上の歴史を持つ。短編小説やエッセー、詩など多彩な作品を掲載するが、厳しい掲載基準で定評がある。99年から村上のフィクション作品を担当する編集者のデボラ・トリースマン(46)は「ニューヨーカーに載ると、出版界が注目するのは事実です。ニューヨーカーの掲載基準を満たしたぐらいの作家なら、本を出しても売れるとなるのです」と語る。以来25年間で、村上の26本のフィクションが掲載されている。

■米国で最強の布陣

ニューヨーカー誌に掲載され、米国での「土台」を固めた村上人気を代理人ビンキーが一気に加速させる。

大手書籍出版社ランダムハウス傘下のクノップフから93年3月に短編集「象の消滅」が出版されることになった。クノップフはノーベル文学賞受賞者が多く輩出した出版社。元KI社のルークによると、クノップフとの交渉にあたったのはビンキーだったという。

ニューヨーク・タイムズ・マガジンの記者で書評家のサミュエル・アンダーソン(39)は「ビンキーとクノップフがそろうというのは、米国で本を出すにあたって最強の布陣だ」と断言する。

その後、クノップフは米国で村上作品を継続的に出版することになる。「海辺のカフカ」は、ニューヨーク・タイムズ紙が選んだ2005年のベストブック10に入った。11年10月に「1Q84」を売り出したときは、午前0時から販売を始める書店がNYで続出した。「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」(14年)は、ニューヨーク・タイムズ紙でベストセラー1位を記録した。

■「Nintendoみたいでウケてる」

ジェイ・マキナニー photo:Sugizaki Shinya

「村上」から「MURAKAMI」へと確かなステップを踏んだ彼の作品は、米国でどのように受け止められているのだろうか。

米人気作家のジェイ・マキナニー(61)は、「村上は都会で暮らす普通の人の日常を巧みに描く。日本を舞台にしていても、登場人物がニューヨークやストックホルム、ミラノで生活していたって、なんら違和感がないのが特徴だ。世界中で同じように読むことができる」と強調する。

ワシントン・ポスト紙で30年以上書評を担当した田辺・フランシス・邦夫(73)は「日本で売れている作家だからではなく、優れた作品を書く作家だから書評の候補に選ばれていた」と語る。

少し変わった見方をするのはニューヨーク・タイムズ・マガジンの記者で書評家のサミュエル・アンダーソン(39)だ。「村上作品は、米国人好みの明確な結末はない。しかし米国でも人気の『スーパーマリオ』といったNintendoのゲームに似ているのかもしれない」と言う。

マリオは、ゲームの中で土管に入ったり、敵を倒し姫を助けたりする。「村上作品も、普通の男性が井戸に入って違う世界に入り込んだり、月が二つの世界や羊男という不思議なキャラクターがいる世界に迷い込む。日常生活とファンタジーをうまく結びつけて物語を紡ぐスタイルが米国で人気を博した理由ではないか」とアンダーソンは説明する。日本では「西洋的すぎる」などと批判される村上だが、アンダーソンは「西洋人にとっては、米国文化は日常の範囲です」と、逆に普遍性の獲得につながっていると分析する。

■中国では「ファッション」

中国での第1次村上文学ブームは、1989年の天安門事件や民主化運動の失敗といった出来事を経験した若者たちが、村上作品に感動や癒やしを求めたことに端を発した。その年に刊行された「ノルウェイの森」が火を付けた。

村上作品の中国における受容を研究する、北京出身で東京理科大非常勤講師の徐子怡(じょ・しい)によると、村上の全集が発刊された98年ごろの第2次ブームが大きなうねりとなった。村上作品に触れることがファッションやステータスとなり、都会生活への憧れと結びついて、10代から20代の若者を引きつけたのだという。

徐もそういった若者の一人だった。高校2年生の時に、友人から薦められたのが「ノルウェイの森」。「ああ、大学生活とか恋愛ってこんなすてきな感じなんだ、と夢中で読みました」

徐が師事する東京大学教授の藤井省三は、論文「村上春樹と東アジア」で、「村上春樹の受容とは、現代都市としての成熟度のメルクマールと言えるのではないか」と論じている。台湾・香港・中国における「村上ブーム」が、それぞれの社会的変動のほか、経済成長率が一服したあとに起きるような傾向にあると読み解いた。

中国では現在、2010~11年に発売された「1Q84」をきっかけにブームが再燃している。村上作品の内容を模倣して小説などを作り出す「村上チルドレン」が現れ、作品に出てきた食事のレシピ本が出版されるほどだ。徐は「村上春樹は、文学を超えておしゃれなイメージで根付いている」と見る。

■村上春樹と宗教

村上春樹について考える時、欠かせない視点のひとつが宗教、特にカルト的な宗教との向き合い方だ。

村上は1990年代後半、地下鉄サリン事件の被害者らにインタビューした「アンダーグラウンド」、オウム真理教の信者、元信者に取材した「約束された場所で」を発表した。これ以降、村上は「(教祖の)麻原が信者に与えた悪(あ)しき物語に対抗する力を持った物語を書いていかなくては」と、繰り返し発言している。

一方で、村上は「約束された場所で」の前文にこう記した。「小説家が小説を書くという行為と、彼ら(オウム信者)が宗教を希求するという行為とのあいだには、打ち消すことのできない共通点のようなものが存在している」

村上は長編小説を書く時、朝4時に起きて5~6時間集中的に執筆し、その後で10キロ走る、という修行僧のような生活を続ける。それにより「(自分の心の奥底に)すっと体がテレポートしちゃう」「一種の宗教的な状態になっちゃう」と99年のインタビューで明かしている。「彼ら(オウム信者)の言うことが分かる」「『行っちゃう』ことがね」とも話す。

では、違いはどこにあるのか。心理学者・河合隼雄の問いかけに、村上は「(自分の奥底に降りていく)そのような作業において、どこまで自分が主体的に最終的責任を引き受けるか」「僕ら(小説家)は作品というかたちで自分一人でそれを引き受ける」「彼らは結局それをグルや教義に委ねてしまう」と答えている。

村上がオウムを意識してきたことと、作品が世界で求められていることの間には、何かつながりがあるのか。

■「色即是空」と「総合小説」

多くの日本人が犠牲となったバングラデシュ・テロ事件の犯人たちは富裕層出身の高学歴者だった。日本文学研究者の助川幸逸郎(48)は「専門的な知識や教養を身につけた結果、近代科学や西欧中心の価値観の限界に突き当たり、過激な宗教に走る。こうした点でオウムの幹部たちと、多くのイスラム過激派活動家には共通面がある」と指摘する。

村上が目標とするドストエフスキーも、近代合理主義的価値観と、ロシア正教という伝統的価値観との相克を主題とした。ロシアはかつて海外で最もオウム信者が多かった国で、現在は村上作品が最も支持されている国の一つだ。

グローバル化で世界に広がる価値観の相克、そしてテロリズム。村上はそれらをどう乗り越えようとしているのか。

助川によれば、近代芸術は受け手に「この世を超えたすごいもの」を体験させ、ヒートアップさせることを目指してきた。だが、村上作品は逆に座禅のように読者をクールダウンさせ、日常の呪縛から解放させようとしているという。

村上の父は国語教師で、僧侶でもあった。最新長編「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」では「色即是空」という仏教思想の影響が、タイトルをはじめ至る所にうかがえるという。

「ドストエフスキーが今も読まれるのは、キリスト教と深いところでつながっているから。村上も仏教という伝統宗教と結びつき、それを現代に生かすことで、時代を超えて読み継がれる『総合小説』を目指している」と助川は見る。

(太田啓之、杉﨑慎弥)

静物写真

小寺浩之(こでら・ひろゆき) 1965年生まれ。雑誌編集者を経て、静物写真の世界へ。日本写真家協会会員。