フィクション、ノンフィクションを問わず、中国では翻訳物が売れている。
国家新聞出版広電総局の統計によれば、昨年1年間で中国が海外から輸入した図書の版権は1万6918項目で、輸出の1万171項目に対し1.66倍と輸入が輸出を大きく上回る。国家戦略として政府が推し進める『走出去(海外進出)』の一環として出版業界が輸出増加に力を注いできたこともあり、輸出入の不均衡は年々縮小傾向にあるものの、まだ輸入の方が多い。それは、ベストセラーリストにも表れている。
今回のベストテンのうち、実に半分が翻訳書。世界的ロングセラーあり、邦訳未刊の昨年の米国のベストセラーあり、東野圭吾あり……。海外の文芸を貪欲に知ろうというこの欲求こそ、世界で存在感を示す中国の勢い、さらなる発展、成熟を育むエネルギーの源なのではないか。
『平凡的世界』の主人公の一人・孫少平もまた、貧しい農民の子ながら高校に進み、日々飢餓に耐えながら外国文学を借りてきては、むさぼるように読む。卒業後も理想的な仕事にはつけず、工事現場や炭鉱で肉体労働を続けるが、抑え難い読書欲の満たされぬ歯がゆさが折々に顔を出す。1970年代半ばから80年代前半、黄土高原の農村・地方都市で生きる人々を丹念に描いた本書で若い男女を結びつけるのも、当時は貴重だった翻訳書である。
少平、そしてこの弟や妹たちのために進学を諦めた長兄・少安。本書はこの兄弟とその家族、彼らの愛情を中心に語られる。1200ページを超える長編ながら非常に読み易い、登場人物に寄り添うような平易な語り口で、エキサイティングな起承転結があるわけではないが、最後まで飽きさせない。
少安は幼馴染みである地元幹部の娘・田潤葉への思いを断ち切り、結納金の要らない妻を娶る。少平は高校の同級生・設紅梅と読書を通じて互いに魅かれあうが、同様に家が貧しい紅梅は条件の良い別の同級生に心を移す。身分の差、貧困の前には恋愛にも将来にも明るい光は見えない。兄は村で、弟は町へ出て歯を食いしばり、熱い思いを静かに心の奥にしまい込む。家族は足かせでも負担でもなく、かけがえのない命そのもの、と過酷な運命も受け入れて、懸命に淡々と生きる姿に、失われつつある中国の美しい伝統が見える。文化大革命、改革開放による生産責任制の導入など社会の変化に翻弄されるも、農村の人々により重くのしかかるのは貧困であり、生活の憂慮や愛情、結婚における決断である。孫家以外にも、田家、金家など村の有力者の家族をはじめ、身分や立場の異なる人々それぞれの迷い、苦悩、喜怒哀楽がつぶさに描かれる。
「誰の生活も同じようにひとつの世界である。もっとも平凡な人でも、その世界で存在するために闘っている。その意味では、この平凡な世界に一日として平静な日はない」。タイトルにこめられた著者の思いは、第二部の中ほど、地の文で語られるこの一節に集約されている。
著者の路遥が本書を書き始めたのは1982年。第一部が86年に発表されると、マジックリアリズムやルーツ文学など当時の主流に逆行する伝統的なリアリズムの手法で描いたためか評価は低く、批判にさらされるが、88年のラジオ放送をきっかけに多くの読者を得る。最近、新装版が出て版を重ねているのは、今年2月、テレビドラマの放映が始まったためだ。
ドラマが話題になり、習近平国家主席もこの作品に言及。「路遥と同じヤオトン=洞穴式住居に暮らしたことがある」と亡き著者との交流も明かした。昨秋、文化、芸術分野への干渉、引き締め強化をにおわせる講話も発表した強権の習主席。思いはやはりあの時代への回帰か。
『乖,摸摸頭(よしよし、いい子だ)』と『我与世界只差一個你(あなたがいるだけで)』はいずれも12話からなる短編集。前者は各地を旅する著者が出会った人々の話で、いわばノンフィクション・ノベル。後者はすべてハッピーエンドのラブストーリー。『平凡的世界』の時代から約40年。家族関係も様変わりし、旅する自由も恋する自由も、現代の若者の生活は実に多種多様。経済、通信、交通が格段に発達した現代中国社会の恋愛物語の方がなぜか遠くに感じられるのは、果たして民族性やジェネレーションギャップのせいだけであろうか。