17日開幕「イスラーム映画祭3」、主催者の思いも
――ドキュメンタリー映画を多く撮ってきましたが、この映画は劇映画なのですね。きっかけは?
1980年代後半に出会ったパレスチナ人女性から、刑務所の中で出産した話を聞き、私も2人の娘の母親としてとても心を動かされたのです。調べると、何人もの子どもたちが刑務所の中で生まれ、育っていました。そうした経験のある女性を探し出し、会いました。作品に出てくるキャラクターは、本当にいた人物をモデルにしており、実際に起きた出来事です。フィクションの形をとっていますが、実話を元にしています。
――終始、刑務所が舞台です。どのように撮影し、どんな思いを込めたのですか。
撮影は、ヨルダンにある本物の刑務所で行いました。国中を探し回り、使われていない刑務所を見つけ、幸運にも撮影の許可を得ることができました。刑務所の中で撮ることで、いかにそこが抑圧的で暗い場所か、どんな音がするのか、実感を持つことができました。
キャストは全員パレスチナ人を起用しました。自分や親戚が刑務所に入れられた経験がある人が何人もおり、撮影は演技以上の意味を持っていました。弟が刑務所に入れられ、子ども時代の15年間、刑務所に通いつめたキャストの女性は、はじめなかなか刑務所に足を踏み入れることができませんでした。それを乗り越え刑務所内で演じたことは、彼女にとってセラピー(心理療法)になりました。
刑務所はイスラエルによるパレスチナの占領を象徴するものです。獄中にいなくても、パレスチナ人は野外の大きな刑務所に住んでいるようなもの。ガザの現状を見れば、一目瞭然でしょう。そのことを表現したくもありました。
――映画の場面設定は1980年代ですが、「いま」も意識したのでしょうか。
今もパレスチナの状況は変わらず、悪化するばかりです。刑務所には、6千人以上が収監されています。この作品で描きたかったのは、パレスチナ人はいつでも逮捕される可能性があり、それが女性であろうと幼い子どもでも関係ないということです。先日も10代の子どもが家族をかばってイスラエル兵を平手打ちしたとして逮捕されました。ただそんな中でも、女性たちは団結し、助け合い、人間性を失いません。そして、監獄の中で生まれた子どもは、外の世界を想像することで、子ども時代を再生産しました。パレスチナ人が最も厳しい状況下でも人間性を失わず、それは次の世代にも受け継がれているということに、希望を感じてほしい。
――米国のトランプ大統領はエルサレムをイスラエルの首都として認め、大使館を移そうとしています。
トランプ大統領がやっていることはとても危険です。イスラエルにエルサレムを与える権利は、トランプ氏にはありません。国際法にも違反している。ビジネスの取引のように出来るものではないのです。彼は、パレスチナ人が自分たちの土地を、エルサレムをあきらめ、リーダーシップを取ることもあきらめるよう脅しています。これを受け入れるのは、民族浄化のようなものです。このような違法なことを許したら、この世に正義などなくなってしまいます。
パレスチナ人は多くを求めていません。ただ、等しい権利の下、イスラエル人とともに自分たちの土地で暮らしたいというだけ。この作品にはパレスチナ人にも、他の人々と同じように生きる権利があるということを世界に気づかせる狙いもありました。パレスチナ人に残されている唯一の道は、抵抗すること。そして私は、映画制作を通して抵抗しています。
現在中東において、シリアやイエメンなどそこかしこで戦争が起きていますが、これはパレスチナにおいて巨大な不正義が行われているという事実から派生しています。欧州に難民が流れていくのも、すべてつながっている。パレスチナ問題がすべての問題の「芯」であるから、これを解決しなければ中東には安定が訪れません。たとえ何人ものトランプが現れ、去ってもです。
――作品に対する世界の反応はどうですか。
これまでに欧州と米国、北アフリカ、アジアなど40カ国以上で上映されました。アジアではシンガポール、中国、韓国などで上映し、日本は遅い方です。この作品は、普段あまり聞くことができないパレスチナ人の女性の声を直接届けるもの。欧州では、イタリアとフランスで検閲されそうになりましたが、いずれもメディアなどから反発があがり、上映にこぎ着けることができました。フランスでは、1つの町で市長が「映画が混乱を引き起こすかもしれない」と上映に反対しましたが、結果的に6カ月間上映され、複数の賞を受賞するなど成功に終わりました。
今回、「イスラーム映画祭3」が日本で開かれ、『ラヤルの三千夜』がそのオープニングを飾るということを誇らしく思います。映画祭だけでなく、他の場所でも上映されることを願っています。
Mai Masri
1959年、ヨルダン・アンマン生まれ。父はパレスチナ自治区ヨルダン川西岸のナブルス出身で、母はアメリカ人。カリフォルニア大学バークレー校とサンフランシスコ州立大で映画を学ぶ。記録映画『シャティーラキャンプの子どもたち』『夢と恐怖のはざまで』は日本でも紹介された。『ラヤルの三千夜」』はトロント国際映画祭でプレミア上映され、世界中で24以上の賞を受賞している。
手弁当で続けるイスラーム映画祭
「旅をするようにイスラム教の国々の等身大の姿を見て欲しい」。イスラーム映画祭は、そんな思いで主催者の映写技師、藤本高之さん(45)=中野区=が手弁当で2015年から続けて3回目を迎える。今年は、これまでで最も多い13作品を上映。東京だけでなく、名古屋、神戸の各都市でも開催する。藤本さんに今年の見どころを聞いた。
――自ら、「ぼっち映画祭」と言っていますね。
初年度は2人でやっていましたが、16年からは1人になりました。作品選びから上映権利の交渉、広報まで1人でやっています。立ち見が多くでた去年こそ少し黒字になりましたが、初回はトントンで、今回も厳しそうです。
――そこまでして、映画祭を開くのはなぜですか。
基本的に楽しいからです。目的地を決めて、最初は達成が難しく思えても、いつかは目的地にたどり着く。バックパッカーをしていた時の感覚と似ています。等身大のイスラム教徒、彼らが住む社会を知るには、旅をするのが一番いい。でも旅が難しいならば、映画が近道です。
20代の頃バックパッカーをする中で感じたイスラム教の美しさや、信者のやさしさ。それと帰国後、日本のメディアで流されるイスラム世界のイメージとの「ずれ」。それを小さいレベルではあるけれど、少しずつ解消していきたい。草の根の社会運動のつもりです。大きい組織に属していない個人でも、こういうことができると示したくもあります。
――期間中は連日、上映後に映画監督や研究者、作家などによる「トークセッション」が予定されていますね。
とにかく、間口を広げたかった。イスラムについて、まだそこまで関心が高くない。興味のある「国」で見に来てもらっても、「言語」でも「宗教」でもいい。日本では知る機会が少ないから、きっかけになってもらえるとうれしいですね。
――今年の見どころは何ですか。
イスラム教とは関係ないですが、今年はイスラエルの建国、パレスチナから言うと「ナクバ(大破局)」から70年。パレスチナの映画を取り上げたいと思っていました。ちょうど、海外の映画祭でも話題になった『ラヤルの三千夜(原題:3000 Nights)』の監督と縁ができ、監督からイスラーム映画祭で「上映してほしい」とラブコールをいただきました。断る理由はありませんでした。パレスチナ問題を宗教の問題だと勘違いしている人がいますが、これは領土の問題です。パレスチナ人がいかに不当な扱いを受けているかがわかります。
そのほか、シリアで03年に作られた映画『ラジオのリクエスト』も上映します。シリアでは、国営産業として映画が作られてきました。この作品には、紛争前の美しいシリアが写っています。21日の回の上映後には、国境なき医師団で看護師としてシリアに赴任した白川優子さんを招き、紛争の現状について話してもらう予定です。
また、日本初公開のエジプト映画『エクスキューズ・マイ・フレンチ』も必見です。少数派であるキリスト教の一派コプト教徒の少年が主人公。多数派のイスラム教徒との関係というデリケートな問題を、コミカルな学園コメディーに落とし込んで描いています。
インドにも多くのイスラム教徒がいます。今回紹介するインド映画のうち『アブ、アダムの息子』は、南部・ケーララ州という識字率の高い地域が舞台です。農村に暮らすイスラム教徒の夫婦を巡る信仰についての物語です。美しい映像や音楽も楽しめます。
イスラーム映画祭3
イスラーム映画祭3は、東京・ユーロスペースで17~23日まで。名古屋では31日~4月6日。神戸では4月28日から開かれる。一般1400円、シニア・大学生など1200円、高校生800円など。上映の3日前から、劇場ホームページと窓口でチケットを販売。売り切れ次第終了。