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熊本の落ちこぼれがハーバードを出て、東大教授から知事へ

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:


「県民のなかに『自分たちがつくった知事』という意識がなければダメだ。県民から遠い存在になる」。選挙戦のさなかにも、そう漏らしていた。

「とにかく投票へ行って」と声をからして訴えたものの、投票率は過去最低の38.44%。が、本人はいま、こう説明する。「私がはじいていた理論値は28%。それより10%高かった。自分としてはかなり頑張ったのかな、と」

落ちこぼれ人生


県北部の農村で、貧しい農家の8番目の子として生まれた。小学校2年から高校3年まで毎朝、兄や姉らとともに新聞配達をして家計を支えた。

ほとんど勉強せず、高校時代の成績は220人中200番台。授業をさぼっては、小高い丘に立つ一本松の下に寝そべり、学校の図書館で借りた小説を読みふける。そんな「落ちこぼれ」だった。

「勉強はできなかったが、口達者で話のスケールは大きかった」。小学校から高校まで同級生の芹川孝弘(65)は、そう振り返る。このころすでに、政治家か牧場主になる夢があった。

高校を出ると農協に就職し、21歳のとき、農業研修のため渡米する。

北西部アイダホ州の牧場での実習は、牛や羊の臭いが体に染みつくような過酷なものだった。阿蘇山のふもとで農場を開きたい、という夢を胸に歯を食いしばった。「少年時代の極貧を思えば、そして夢さえあれば、苦労も耐えられた」

1年半の実習を終え、ネブラスカ大学で学科研修を受けた。勉学のおもしろさに目覚めたのは、このときだ。

奨学金やアルバイトで学費と生活費をまかないながら、同大学の学部、さらには大学院の修士課程に進学。「それまでほとんど知識を入れてなくて、頭の中に容量の空きがあったんだね。何でもすいすい頭に入った」。28歳でハーバード大学大学院の博士課程に合格した。

熊本では同級生たちが「蒲島がハーバード? ウソだろ」と驚いたという。かつての「落ちこぼれ」は博士になって帰国し、やがて東大教授になる。芹川は言う。「貧しくても惨めじゃない、苦しくても暗くならない、というのが彼の人生観。根っからの楽天家なんでしょう」

前回の選挙(2008年3月)で蒲島陣営は、マンガ入りのパンフを配って波瀾(はらん)万丈の人生を有権者にアピールした。表紙にあしらったのは、動物のカバをイメージした蒲島の似顔絵「カバちゃん」。これが子どもたちや母親らに大いに受けたこともあって、戦後最多タイの5候補が立つ混戦で圧勝した。

1期目の蒲島県政には、いくつかの試練が待っていた。

一つは、国が計画して40年以上がたつ川辺川ダム建設をどうするのかだ。

蒲島は「知事になって6カ月以内に結論を出す」と、選挙戦では建設の是非を明言しなかった。県議会や県職員らには推進派が多い。もし蒲島が初めから「反対」を掲げていたら、建設の凍結はかえって難しかっただろう。準備や根回しに時間が必要だった。

08年9月、蒲島は県議会でダム建設の白紙撤回を宣言した。演説は45分間。前夜、腹心と草稿を練った。東大・蒲島ゼミ1期生で、いまは知事公室・政策参与の小野泰輔(38)。「理屈と感情のバランスをどうおさえるのか。知事の決断で傷つくかもしれない人たちの気持ちを考え、表現に苦労しました」

もう一つの試練は県財政の再建だ。

蒲島は1期目の最初の1年、自らの月給を100万円カットして24万円とした。手取りは14万円ほど。東京のマンションのローンがあり、生活は楽ではなかった。苦学生時代から人生をともにしている妻の富子には何とか納得してもらった。

知事が身を削ったことは、「県財政はそんなに大変なのか」ということを世に示す効果もあった。県職員2万3千人の給与削減にもつながった。12年度の県債残高は15年ぶりに1兆円を割る見通しだ。蒲島は4月県議会に、知事給与3割とボーナス1割をそれぞれカットする議案を再び提案、可決している。


かばしま・いくお


1947年、熊本県・稲田村(現・山鹿市)生まれ。
旧満州から引き揚げてきた両親の間に、10人兄弟姉妹の8番目として生まれる。
68年に農業研修生として渡米し、74年にネブラスカ大学農学部卒。
ブタの精液保存の研究が専門だった。同大学院の修士課程(農業経済学)をへて、79年にハーバード大学大学院の博士課程(政治経済学)を修了。
帰国後、筑波大学社会工学系教授、東京大学法学部教授などをへて、2008年、熊本県知事に初当選。現在2期目。

問われる言葉の重み


自らに課されたハードルをバネに人生を切り開いてきた。「今までの人生がよかったと思えるから、あまり欲はない。失うことを恐れず自分の信念を貫ける」

ただ、いつも万人の賛同を得られるわけではないのが政治家だ。

蒲島は09年、水俣病の未認定患者を救済する特別措置法の成立に向け、民主党の前原誠司(現政調会長)らに直談判した。一方で、法施行後も救済されない被害者たちがおり、水俣病の裁判は続く。福岡高裁は2月、国の水俣病認定基準を不十分とし、申請中に亡くなった女性を患者と認定するよう命じた。

熊本県は、この判決を不服として上告した。「知事は上告をせず、認定基準の見直しを国に迫るべきだ」との声もあった。蒲島は言う。「悩んだが、水俣は巨大な法と政策の体系がある。まず最高裁の判断を仰ぎたい。政治家が『格好いい行動』をとるのは、ときに危ない」

理想と現実のはざまで、自分の信念をどう訴えていくか。政治家としての言葉が問われる。それが今後なお課されたハードルかもしれない。●(文中敬称略)


Self-rating sheet 自己評価シート


蒲島郁夫さんは人生の壁を乗り越えるうえで、どんな「力」に自信があると考えているのか。編集部があらかじめ用意した10種類の「力」に順位をつけてほしいとお願いしたところ、一部を削除する一方で、独自に「情熱」「ポジティブ志向」「人脈」を加えたランキングをいただいた。

学者生活が長かっただけあって、「分析力・洞察力」を迷わず1位にした。「人生で分析と洞察がなければ、まず失敗します」。的確に分析したうえで「決断」し、「集中力」と「情熱」をもって、自分のなすべきこと(知事ならば政策)を実行に移すという。

「ポジティブ志向」を加えたのは、貧しい家に生まれ、米国で苦労しつつも、夢を失うことはなかった人ならではだ。「私はきわめて楽観的な性格なんです」。困ったことがあると助けに来てくれる人がいるという人生観を意識し、「人脈」を「運」とともに6位に置いた。


MEMO


愛読書…通っていた高校には、当時としては珍しいコンクリート2階建ての図書館があった。地元出身の大正時代の首相、清浦奎吾が寄贈した本があり、よく借りて読んだという。プルタークの「英雄伝」を読み、政治家への夢をふくらませた。

トップセールス…関西圏から観光客を呼び込むため、昨年、熊本出身のタレント、スザンヌさんとともに大阪・なんばグランド花月の吉本新喜劇の舞台に立った。コケる場面で、本来ならば前につんのめるところ、後ろにひっくり返り、吉本の芸人たちをあぜんとさせた。

知名度は全国区…くまモンは昨年のネット投票「ゆるキャラグランプリ」で1位。その関連グッズは800以上もあるという。著作権をもつ熊本県が無償許可しているためで、実は、これも知事のアイデア。