星野恵子 グラフィック・デザイナー
本の街に10年、ことばを磨いてデザインする
ON
ベルリンから電車で1時間半、ドイツ東部の街ライプチヒで、グラフィックデザイナーをしています。
日本の多摩美術大を卒業した2007年に、タイポグラフィーとブックデザインを学びたくて、ライプチヒ視覚芸術アカデミーに留学しました。それ以来、この街に住んで10年目になります。
タイポグラフィーをご存じでしょうか。文字のかたちや配置、空間の取り方などを考えて見やすく整理し、読み手に正確に情報を伝える技法です。ことばの機能性と芸術性を調和させる、なんて言い方もします。
ライプチヒは、16世紀の宗教改革でマルティン・ルターがカトリック側と議論を戦わせた地です。ドイツ語訳聖書の活版印刷から印刷業が盛んになり、第2次世界大戦前は全ドイツの5割以上の書籍を印刷していたほどです。
そんな街だからこそ、本づくりに重要なタイポグラフィーの技も磨き抜かれてきました。私はここで、活版印刷の技術にまでさかのぼり、古い活字を実際に手に取りながら文字の美しい組み方を覚えることもできました。
アカデミーに在学中から、フリーランスとして、一般的な書籍やアートブック、広告媒体などを制作しています。
ドイツ人の発注者にとって、ドイツ語を扱うデザインをわざわざ外国人にまかせる必要性はありません。母国語にアルファベットを使わない私みたいなアジア人ならなおさらです。仕事を得るうえで、できるだけドイツ語の能力を高め、信用を得ることが大切でした。
ライプチヒは人口約50万。こぢんまりとしてフリーランスのデザイナーや芸術家が多い街ですが、その輪の中に入るのにはずいぶん時間がかかりました。
アカデミーの先輩などのつてをたどって人に会っても、表面的なあいさつだけで、なかなか仕事の話ができなかった。すぐに話が終わってしまうんです。
ライプチヒがあるザクセン地方は、旧東ドイツ時代は外国人が少ない地域だったのでちょっと閉鎖的な面がある。アジア人に対する偏見もあるのかななんて思っていました。
でも、ここ4~5年で急にそんな感じがなくなったんです。ドイツ語がうまくなったからかもしれません。外国やドイツの西側からライプチツィヒへの移住者が増え、街自体も若干変わったのかもしれません。「ここで生まれた人?」なんて聞かれるようにもなりました。
ドイツ人の同世代の女性2人とアトリエを共有するようになって、さらに輪が広がりました。
フリーランスの人たちを集めて、夕ご飯を食べながら自分たちの仕事を紹介し合ったり、ちょっとしたイベントを開いたり。そういう中から、仕事の話も耳に入るようになるんです。
昨年、今年のドレスデン国際映画祭のアートディレクター職を射止めました。作品集を持って行って面談し、最終選考5人の中から選ばれました。
街に行くと、私がデザインしたポスターがビルの壁に大きく掲げられている。映画祭の会場では、私が手がけたエコバッグにパンフレットやカタログを入れ、みんなが小脇に抱えている。
ドイツに住んでいる以上、この社会と深くつながる仕事をしたいと思っていたので感無量でした。気に入ってもらえたようで、来年の映画祭も続けて担当することになりました。
OFF
ライプチヒでは月に800ユーロ(約9万円)ほどあれば暮らせます。これまでは見本市のガイドなどのバイトをしていましたが、今年になって、ようやくデザイン一本で食べられるようになりました。
ドイツは芸術家への支援が手厚いんです。芸術家社会保険に加入すると、国が社会保障費をある程度だしてくれて、健康保険料も安くすみます。
家賃は学生時代はルームシェアをして200ユーロ(約2万2000円)ぐらい。いまの家賃は500ユーロ(約5万6000円)ほどで、2013年に結婚した遺伝学者のスペイン人の夫と折半しています。
料理は私が和食、夫がスペイン料理を担当。魚があまり売っていないのでお肉料理が中心です。夫は鶏の空揚げやとんかつが好物。こっちで買うと高いので自分でとんかつソースやポン酢をつくるようにしています。夫の料理は肉団子のトマトソース煮込みがいけます。
ライプチヒの地ビールはおいしいですよ。国境が近いチェコのビールも濃くて好きです。こちらの飲み会はピーナツ程度のおつまみでひたすらビールを飲むのが一般的です。友人たちと夕食を済ませてから飲みに行き、0.5リットルのジョッキを3、4杯飲むのが当たり前になっています。
ライプチヒの一番いいところは公園です。大きいし、自転車で行ける距離にある。森をどんどん歩いて行くと湖水地帯まで続いているほどで、整備されすぎていないんです。池のほとりに朝ご飯を持って行って食べたり、本を読んだりと楽しんでいます。
ここは、小さい街の割に展覧会や芸術祭がたくさん開かれる文化の街です。あちこちの街角に小さな映画館があって、5ユーロ(約560円)ぐらいで一本見られるのもうれしいですね。
(構成 GLOBE記者 小山謙太郎)
ライプチヒ
ドイツ東部ザクセン州にあり、通商都市として古くから栄えた。バッハやメンデルスゾーンが活躍した音楽の街でもある。旧東ドイツだったこの街の教会で1989年に始まった反体制運動は、ベルリンの壁崩壊の発端となった。人口約50万。
Hoshino Keiko
1985年、福岡生まれ。グラフィックデザイナー。多摩美大を卒業後、2007年にドイツ・ライプチヒに留学し、2012年にDiplom号(修士相当)取得。現地でタイポグラフィーとブックデザインに重点を置いて仕事を続けている。