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サハリンの学校で日本語が人気 「隣国」ロシアの素顔

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日本語の授業で、割りばしを使ってみるサハリンの子どもたち=ユジノサハリンスク市内  Photo: Asakura Takuya
日本語の授業で、割りばしを使ってみるサハリンの子どもたち=ユジノサハリンスク市内  Photo: Asakura Takuya

サハリンのロシア人が、日本に親しみを感じていることには、距離もさることながら歴史的な背景がある。日露戦争以降、島の南半分は日本領樺太となり、日本人や朝鮮人が移住。第2次大戦後はソ連に占領され、多くは引き揚げたが、日本国籍を奪われた朝鮮出身の人や、朝鮮人と結婚した女性ら少なからぬ日本人は島に残された。

州都ユジノサハリンスク市に住むナースチャ・ナラ(28)は、日系2世の父と、韓国系の母の間に生まれ、ロシア人として育った。9年生(15歳前後)から学校で日本語を始め、大学では日本語を専攻。日本に留学もした。「当時は日本と日本語に夢中だった」。そのまま日本で暮らしていこうかと考えたが、日本の会社で働くようになると、ストレスで体調を崩し、故郷に帰った。いまも日本は大好きで、学校で日本語を教えている。韓国系の男性と結婚。昨年には男の子を授かった。「この子には日本語も、韓国語も、英語も、ぜんぶ話せるようになってほしい」

ナラが勤める学校を含め、日本語は市内30余りの学校のうち、5校で教えられている。英語以外では、韓国語と共に最も人気がある外国語だ。第1ギムナジウム校で日本語を教えるテ・サンチュル(53)は、両親が終戦前からサハリンで暮らす韓国系。大学で日本語を勉強し始めて、小さな時から家で話していた「バケツ」や「キャベツ」が韓国語ではなく日本語だったと初めて知った。両親は戦後も日本へのわだかまりはなく、父親はしばらく和服を着ていた。

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サハリン州ユジノサハリンスクの学校で日本語を勉強する生徒たち Photo: Asakura Takuya

戦後の一時期には、日本人や朝鮮人の家庭に、ソ連の政策で新たに入植したロシア人が同居した例も多かった。今回の取材を手伝ってくれたオリガ・ヤコブレワ(44)の母も、戦後すぐの1948年、両親とともにモスクワ郊外からサハリンに移住し、日本人家族と同居していた。日本に対する母の記憶は好意的だ。ベッド代わりの布団は押し入れに片付けられて便利だったことや、日本人の子どもにおやつの豆をもらったことも覚えていた。

戦争で過酷な経験を強いられ、国境が行き来するたび翻弄されてきた島の人々。一方で、人種や民族を超え、、肩を寄せ合って生きてきたのも確かだ。そんな経験を受け継いだ若い世代が、これからの日本とロシアを「近くて近い国」にするのかもしれない。(文中敬称略)