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学生時代に過ごしたエチオピアを17年ぶりに再訪

Re:search 歩く・考える 更新日: 公開日:
経済成長が続き、新しいビルが次々に立つアディスアベバ

今朝、成田からの直行便でアディスアベバに着いた。アフリカ東部、エチオピアの首都だ。標高2400メートルの高地にあって、少し歩くと息が切れる。ただ、赤道に近いわりに気温は一年じゅう春のようで、日本よりずっと過ごしやすい。この街に来たのは17年ぶりだ。

アディスアベバにはお城のような豪華なホテルもできていた

1998年から99年にかけて、ぼくは大学を1年休学して、エチオピアで9カ月間暮らした。大学で専攻していた文化人類学の研究のためだ。首都アディスアベバからバスで丸1日かけて田舎の町へ移動し、さらに歩いて2時間ほど。電気も水道もない村に居候させてもらい、オロモ語という彼らの言葉を覚えた。帰国後は、エチオピア農村部の相互扶助(助け合い)をテーマに、卒業論文を書いた。

それから17年、一度もエチオピアには行かなかった。村でお世話になった友人たちと何度か手紙のやりとりをしたが、やがて途絶えた。不義理が気になったが、「日本で勉強したい。何とかならないか」と言われても、学生のぼくにはどう答えていいか分からなかったし、次第にオロモ語で手紙を書くのが億劫になった。お世話になった人たちにきちんと向き合えないまま、新聞社に就職して仕事も忙しくなった。

17年前に滞在したエチオピア西部のオモバコ村(1998年撮影)

2011年3月28日、村で何度も泊めてもらった農家の長男アミンさんから、フェイスブックで突然「友達申請」が届いた。「ツナミのニュースを知って、心配になってフェイスブックでサコの名前を検索したら、見つけたよ! 無事が分かってうれしい!」
驚いた。電気も水道もない村に暮らしていた彼が、どうやって?

今年4月から、朝日新聞GLOBEで「Re:search」という新企画が始まった。記者が日ごろから気になっていたテーマを掘り下げて記事にするものだ。ぼくは迷わず「エチオピアの今」を提案した。

5月16日、17年ぶりに訪れたアディスアベバには、10階建てを超えるガラス張りの現代的なビルがいくつもできていて、建設工事が街のあちこちで続いていた。かつてはロバやヒツジの群れが闊歩していた車道に多くの乗用車(ほとんどは日本車)が走り、渋滞も起きている。17年前に下町を歩けば、ひまを持て余した子どもたちに取り囲まれてお金をせがまれたものだが、そんな子どもの姿もすっかり減った。

経済成長が続き、新しいビルが次々に立つアディスアベバ

アディスアベバも都会になったなあ、と感慨にふけりながら道を歩いていたら、小学校帰りとおぼしき10人ほどの子どもたちに取り囲まれ、「チャイナ、チャイナ」とはやしたてられた。みんなきれいな制服を着ていた。

17年を経て、変わったものと、変わらないものがある。

つい先ほど、村でお世話になったアミンさんの携帯に「エチオピアに着いたよ」と電話した。「どうだ?」「元気か?」「平和か?」「家族もみんな元気か?」。オロモ語のあいさつを何度も何度も繰り返す。彼もぼくも興奮ぎみだった。首都アディスアベバの変貌ぶりをしばらく取材したあと、村へ向かおうと思う。

アフリカと言えば、飢餓や、紛争や、奇抜な衣装の少数民族ばかりが注目されるきらいがあるが、そうではない側面がある。経済成長が進み、日本とのつながりも「援助」だけではなくなりつつあるエチオピアで、今後のアフリカとの向き合い方を考えたい。