道一本挟んで別世界、それがアメリカ
アメリカの都市を歩くと、通りを一本隔てただけで、がらりと街並みが変わるときがある。景観や治安だけでなく、ときには人々の肌の色すら変わるのだ。まるで、見えない壁があるかのように。
トランプが生まれ育ったニューヨーク市クイーンズの高級住宅街ジャマイカ・エステーツも、そんな場所の一つだ。
トランプが13歳まで過ごした家は、緑の芝生と赤れんがの壁、玄関を囲む6本の白い柱のコントラストが美しい邸宅だ。家の前の通りには、幹の直径が1メートル以上はある巨木が立ち並び、鳥のさえずりが響く。近所の住民によると、この通りにある家は、最近500万ドル(約5億5000万円)で売られたという。
旧トランプ邸から南に行くと、幹線道路を挟んで街の雰囲気は一変する。道幅は狭く、同じようなつくりの小さな家がびっしり並ぶ。駅近くのファストフード店には、「紙幣は20ドル札まで。クレジットカード使用時は身分証明証も提示」と貼り紙があった。偽の高額紙幣や盗難カードの使用を警戒しているのだ。
トランプが生まれた1946年当時は、クイーンズ住民の95%以上が白人だったが、地域ごとの格差は大きかった。20世紀初頭に高級住宅街として開発されたジャマイカ・エステーツについて、トランプは米紙のインタビューに「クイーンズの別の地域は荒れていたが、あそこはオアシスだった」と振り返っている。彼には、どのように「オアシス」の外の世界が見えていたのだろうか。幼いトランプが暮らした家の前に立って、そんなことを思った。
旧トランプ邸の地区で、得票率はわずか13%
ただ、この住宅街の環境も様変わりした。小さなころのトランプを肩車したことがあるという、5軒先に住む男性(78)は、「白人だけだった昔と違い、マルチエスニック(多民族)な地域になった。フィリピン、バングラデシュ、アフリカ系など、いろいろだ」と話した。ニューヨーク市によると、現在ではジャマイカ・エステーツに住む5割近くが外国生まれという。少なくとも人種に関しては「壁」はなくなっていた。旧トランプ邸を含む投票地区では、投票された643票のうちトランプの得票率は13%にとどまった。
現在のクイーンズは、ニューヨークでも最も多様な移民が住む地区として知られている。私もクイーンズで3年間暮らしたことがある。アパート近くの小さな公園では、古くから住むイタリア系やギリシャ系に加え、ラティーノ(ヒスパニック)から全身を黒い服で覆ったイスラム教徒の女性まで集まっていた。私は、子供を遊ばせながらその光景を眺めるのが好きだった。
トランプは選挙を通じて、まるで時計の針を戻すかのように、メキシコ国境に壁をつくり、イスラム教徒の入国を制限すると訴えた。その言葉がクイーンズを揺さぶっている。
「ドナルド・トランプの言葉に、私たちは胸が張り裂けるような思いだ。クイーンズでは、人種や宗教の異なる人々が一つの場所に平和に暮らしているのに」。旧トランプ邸から歩いて10分足らずのところにあるスーパーマーケットの経営者アサン・ハビブ(48)は、ぶぜんとした表情で話した。17年前にバングラデシュから移民し、米国籍を取得したイスラム教徒だ。
不寛容な社会と合衆国憲法
クイーンズにはバングラデシュやパキスタン、中東アフリカ諸国からの移民が多く住み、いくつものモスクがある。そのうちの一つに隣接する、「米イスラム関係評議会」の事務所を訪ねた。イスラム教徒の人権擁護に取り組む団体だ。
応対した弁護士のアルバート・カーン(32)は、イスラム教徒への嫌がらせや憎悪犯罪が急増していると話したうえで、こう言った。「大統領選挙は、この国の宗教的多元主義の性質を変えてしまいました。政治のトップが、イスラム教徒への偏見を『普通化』したことで、差別や偏見が増えたのです」。大統領が言っているんだから、自分たちも言っていいはずだ、という空気だ。
話しているうちに、カーン自身はイスラム教徒ではなくユダヤ教徒だということに気づいた。「ユダヤ教徒のあなたが、イスラム教徒を支援する団体で働く理由は?」と尋ねた私に、カーンは「歴史です」と即答した。
「社会が違いに不寛容になったとき、歴史的に最初に苦しんできたのが私たちユダヤ人です。私の信教の自由を守っているのも、イスラム教徒の友人を守っているのも、同じ合衆国憲法なのです」
選挙後、差別や偏見をめぐるカーンの懸念は現実のものとなりつつある。
恐怖と希望
Alt-right(オルタナ右翼)と呼ばれる人々によるネット上の攻撃は、イスラム教徒やアフリカ系などのマイノリティーだけでなく、ユダヤ系をも標的とし、社会問題となっている。
選挙から3日後の11月11日夜、クイーンズで、「Diversity trumps hate(多様性は憎しみに勝る)」と名付けられた集会が開かれた。
スカーフで頭を覆ったイスラム教徒の女性が団結を訴えた後に、ユダヤ系の男性がヘブライ語で歌ったりと、多様な人々が住むクイーンズらしいイベントだった。
少し離れた場所で、集会を見守っていたタヒード・マフムド(25)と話した。彼も、幼いころに両親とアメリカにやってきたバングラデシュ移民だった。医師を目指し、大学医学部で学んでいる。
「トランプが人々に広げた乱暴な考え方が、(当選で)さらに増幅されることになる。いまは移民もイスラム教徒も、つきつめれば白人以外は皆、恐怖を感じているんだ」
マフムドは続けた。「一つだけ希望があるとすれば、僕たちマイノリティーが団結して政治に声を届けるようになったことだ。僕たちは、どこにもいかない」
声を上げた「忘れ去られた人々」
トランプは中西部を中心に、民主党が有利とされてきた州や接戦州を次々と制した。原動力は、地方に住む「忘れ去られた人々」だった。
ニューヨーク市民が選挙結果に打ちのめされている頃、私は6年前に取材で訪れたことがあるニューヨーク州北部の町スケネクタディにいた。民主党支持者ながらトランプに1票を投じたナンシー・ゴールドの話を聞くためだ。
地元でアウトドア用バッグなどを製造・販売する「タフ・トラベラー」を、死去した夫に代わって20年以上、1人で切り盛りしてきた。6年前に会ったとき、彼女は「アメリカの製造業を守るべきだ」と訴えていた。もしかしたら、と思って連絡を取ったら、案の定トランプ支持者になっていた。
商売の調子を尋ねると、「良いときもあれば、悪いときもありますよ」。多くを語ろうとしないが、店舗裏の製造ラインに従業員はまばらだった。稼働していないミシンや、広い従業員用の食事スペースが、最盛期との落差を物語る。メイド・イン・USAを売り物にし、品質に自信はあるが、中国製などの輸入製品に、価格面で太刀打ちできないのだ。
ゴールドは、クリントンに失望していた。「彼女はニューヨーク州選出の上院議員の間、この地域の助けになることを何もしてくれませんでした」。一方で、「製造業の仕事を取り戻す」「中国製品の関税を引き上げる」というトランプの言葉に魅入られていった。
「私たちには仕事が必要だ」
話を聞いているところに、地元の元大学学長ロジャー・ハル(74)がやってきた。2人は旧知の間柄だ。
「私は、トランプに1票を入れたのよ」。ゴールドの一言に、ハルは思わず「何だって?」と大声を出した。
ハルは、ナチスの迫害から米国に逃れた両親の下で育ったユダヤ系だ。2人の養子は、1人がチリ出身、もう1人は白人と黒人の間に生まれた子供だ。8年前、初のアフリカ系大統領が誕生する瞬間を子供に見せるため、オバマ大統領の就任式に連れていった人物だ。
ハルは、ゴールドを問い詰めた。「トランプは人種差別主義者か、そうでなければ人種問題を政治目的で利用したかのどちらかだ。いずれにしろ、到底受け入れられない!」
ゴールドは「そのことはわからない」と答えに窮しながらも、こう返した。「けど、この地域の人たちは仕事を必要としているのよ」
スケネクタディを含めたニューヨーク州北部は、米国中西部から北東部に広がる、製造業が衰退した「ラストベルト(さびついた工業地帯)」の東端にあたる。かつてはゼネラル・エレクトリック(GE)が本社を置き、第2次大戦中は4万人以上が働いていたが、戦後は製造拠点が国外や他州に移転していき、中心部はゴーストタウンのようになってしまった。製造業に代わる産業を求めている町では、大型カジノの建設が進む。
「この8年間、何も起きなかった」
ゴールドは言う。「私たち、この地域の人々は傷ついている。この町を車で走れば、あちこちに廃虚がある。ここだけではない、ペンシルベニア、オハイオ……だから人々は彼を支持したのです」
「この8年間、何も起きなかった」
ニューヨーク州北部では、都市部を除くほぼ全域で、トランプが優勢を誇った。そして、ラストベルトが広がる中西部の州をトランプが次々と制した。
トランプは選挙の最終盤、オハイオ州の小さな町スプリングフィールドを訪れた。ピュー・リサーチ・センターが今年出した報告書で、この15年で中間層の落ち込みが最も激しかった都市に挙げたところだ。
「オハイオでは製造業の4人に1人がNAFTA(北米自由貿易協定)の後に仕事を失った。ビル・クリントンが署名し、ヒラリーが強く推した。閉鎖された工場や荒廃したコミュニティーは、クリントンのせいだ!」。トランプの演説に熱狂する数千人の聴衆は、9割以上が白人だった。
かつては製造業が栄えたが、大型工場がメキシコに移るなど、雇用が次々と失われた。求職者の職業訓練をするNGOの代表マイク・カラブリスは「30年前のような、高給与のブルーカラーの仕事はこの町にはなくなった」と語る。
エスタブリッシュメントは自分の利益しか考えない
演説会場に足を運んでいたラルフ・ライボルト(78)を選挙後に再び訪ねた。ラルフもまた、既存の政治家を「自分たちの利益しか考えないエスタブリッシュメント」と嫌い、トランプに希望を託していた。
「私にとって一番大事なのは、その政治家を信用できるということ。もう一つは、仕事をメキシコに移すのではなく、ここに取り戻すことだ。トランプは給料を1ドルしか受け取らないと言った。人々を助けるためにやっているんだ」。トランプが勝利演説で口にした、「これまで忘れ去られてきた人々は、二度と忘れられることはない」という言葉が気に入ったという。
家業の溶接業は、息子のゲーリー(53)が担う。4人の従業員がいるが、医療保険料を払う余裕はない。来年は、ゲーリーの子供2人が大学で学ぶ。その費用の負担も気がかりだ。
ゲーリーもトランプに1票を投じた。「人々は変化を求めたんだと思う。この8年間、何も前向きなことは起きなかった。雇用を増やして、経済を立て直して欲しいんだ」
スプリングフィールドを含むクラーク郡では毎回、民主党候補と共和党候補が大統領選挙で伯仲してきたが、今回は近年に例がない大差でトランプが勝った。地元の共和党委員会によると、共和党候補を選ぶ予備選挙前には、トランプ人気で3000人が新たに党員になったという。
私が再訪したトランプ支持者のほとんどは、数年前に初めて会った時から、目の奥に怒りをたたえていた。取り残された自分たちを政治が顧みないという怒り。あるいは、自らの存在や価値観が脅かされていると感じる、白人の怒り。「何も良くならなかった」と訴える彼らの怒りは、時間をかけてさらに大きくなっていた。
トランプは、彼らの前に「敵」を作って見せた。彼らの怒りをさらに増幅させ、自らへの熱狂と1票に変えた。
不安と警戒、希望と熱狂を背負って、「トランプのアメリカ」が始まる。(文中敬称略)