『What Happened』は2016年の米大統領選に敗れたヒラリー・クリントン氏の回想録。本書は発売1週間前からアマゾンのベストセラーリストで1位となった。米国民の間でのヒラリーの存在感の高さが証明された形だ。
本書が注目を集めたのは、勝利が確定視されていたヒラリーが何故負けたのか、ヒラリーに何が起きていたのかを彼女自身から聞けるからだ。この本で彼女は、トランプ氏はもとよりジェームズ・コミー前FBI長官やバーニー・サンダース氏、ロシアのプーチン大統領や、メディアなどへの批判を展開している。
特にトランプ氏については、彼は嘘つきで、歴史上最も大統領の資質に欠ける人物としている。2回目のテレビ討論会で、ヒラリーが話している間じゅう、トランプ氏がすぐ後ろにいた。彼女は平静を装っていたが、本当は「離れてよ、気持ち悪いやつ! 私に近づかないで。女を脅すのが好きなんでしょうけど、私には通用しないわ」と言ってやりたかったと言う。
コミー前長官に対しては、投票日の直前に国務長官時代の私的Eメール使用問題に関する調査を再開したことに言及。当時、同じFBI内で調査が始まっていたロシア疑惑について公表しなかった理由は何なのかと糾弾している。ニューヨーク・タイムズ紙に関しては、彼女の政策内容よりもEメール問題を取り上げ、一面を使って執拗に報道したことが、彼女の得票数下落に決定打を与えたとしている。
一方で、自分の失敗を素直に認め、後悔の念も口にしている。Eメール問題が浮上した当初、コミー前長官に反論をしなかったこと。白人労働者たちへの演説で失言をしてしまったこと。ロシアの選挙介入疑惑について選挙戦で言及しなかったことなど、いつどこで、なぜそうなったのかを正確に分析している。
本書に対しては、「特に目新しい事実はない」「女性だから負けたというのは言い訳だ」といった意見も聞く。だがヒラリーが様々な批判を承知の上で本書を出版したのは、第一に米国民主主義の未来を危惧しているからであり、第二に女性の権利を訴え、女性の未来を支援したいと思っているからだろう。大統領選への再出馬はせず、今後は政治家を志す女性を支援する活動に力を入れるという。
トランプ候補vs番記者のガチンコ・バトル
『Unbelievable』は、2016年の大統領選期間中、米NBCテレビなどでトランプ陣営の番記者を務めたケイティ・ターの手記である。ケイティはトランプ陣営の選挙活動を510日間にわたって密着取材。公の場で何度もトランプに「大嘘つき」「三流記者」と罵倒されたことで、逆に一躍世に名が知られることになった。
報道では伝えきれない裏話を、ケイティは軽快に語っていく。初めてトランプ候補を独占インタビューした際には、質問内容がネガティブすぎると抗議された上に、内容をカットせず、収録したインタビューすべてを放送するよう要求された。コメントを取るため記者席で待機していたところ、姿を現したトランプ候補からいきなり頰にキスをされたこともある。
トランプ支持者からは、彼女を誹謗中傷するメールが殺到。演説会場の取材では護衛がつくようになった。
トランプ候補を追いかけるケイティの奮闘ぶりも面白い。トランプ候補は自家用ジェットで移動するが、ケイティたちは民間機のフライトや宿泊先の確保に追われ、取材を終えてホテルに戻るのは深夜。早朝にはまた次の町へ移動だ。
各メディアの番記者たちとは長期間、同じ場所で顔を合わせるため、次第に親しくなるが、現場ではライバルだ。次の取材場所をどこにするか。どうやって取材に有利な場所を確保するか。常に気をぬくことができない。
トランプ候補の番記者の仕事を引き受けた当初は、彼はすぐに失脚し、おそらく数カ月で仕事は終わると思っていたという。それが約1年半もの間、休みはほとんど取れず、恋人との関係も自然消滅してしまった。だがトランプ候補に攻撃され続けた経験があったからこそ、本書を出版することもできた。現在、ケイティはNBC系列局で午後のニュース番組を担当している。逆境をチャンスに変えてキャリアアップを果たした彼女のジャーナリスト魂は、なかなかのものだ。
幻想と現実との狭間で紡がれる米国史
『Fantasyland』は、過去500年のアメリカの歴史を検証しながら、アメリカがなぜ現在のような状態に陥ってしまったのかを解明する、480ページの大著だ。
著者のカート・アンダーセンはニューヨーク・タイムズ紙などに寄稿し、自身のラジオ番組も持つアメリカ文化に精通した作家である。著者は本書で、アメリカ入植時代以降のさまざまな出来事を時系列に沿って説明。それぞれが別々に見える出来事に脈絡を与えている。
著者によれば、17世紀になって米東海岸に入植した清教徒たちは、聖書のみを信仰の拠りどころとする狂信的な清教徒だったという。彼らはカトリック教会にも英国国教会にも従わず、「自分たちが信じたことが真実である」という信仰を新天地で自由に展開した。これが、アメリカがヨーロッパ諸国と一線を画すようになった原点だという。やがて自分を預言者だとする人間や、神と会話をしたとする指導者も現れた。清教徒たちは、それぞれが信じる真実に基づき、福音派と呼ばれる様々な教派に枝分かれしていった。現在、同じ福音派のひとつであるエヴァンジェリカル派のキリスト教徒たちの多数は、トランプ大統領の熱烈な支持者だ。
本書によれば、今でも米国民の約3分の1が天国、天使、悪魔の実在を信じている。先住民を虐殺したのも、「アメリカ大陸の西側にはヨーロッパから東方に逃げた悪魔が住んでおり、それが先住民たちだ」と心の底から信じていたからだ、とアンダーセンは分析する。
アメリカ人はまた、建国当初からファンタジー(幻想)と現実の間の境界線が曖昧な状態にあることを好む国民性があったという。例えば、ジョージ・ワシントンの桜の木の逸話は、彼の死の直後に「嘘のニュース」として広まり、人々は喜んでこれを受け入れた。西部開拓が西海岸に到達した頃には、生き残った本物の先住民を役者として雇い入れたウェスタンショーの興行が大流行した。西部開拓が終わりを迎えた時、開拓は続くという幻想を真実と錯覚することが人々の喜びとなり、それがビジネスとして発展していった。この流れの延長上にディズニーワールドやスター・ウォーズの大成功があるという。アメリカ人にとって「アメリカは特別な国」なので、現実に直面して夢を失うわけにはいかない。銃規制の問題も、経済的な問題だけでなく、西部開拓時代への憧れが深く絡んでいる。
1960年代に入って幻想と現実の境目はますます曖昧になっていった。サイケデリック文化やニューエイジの思想が一世を風靡する。またケネディ大統領暗殺以降、陰謀説を受け入れる風潮が世に広まった。
そして90年代後半から一般家庭にインターネットが普及した。ネットで出回る情報が真実かどうかを見極めるのは難しい。しかも受け手側の人間は幻想が大好きで、彼らにとっては自分が信じたものが真実なのである。「フェイクニュース」や、「オルタナティブ・ファクト(もうひとつの事実)」を信じるアメリカ人が多く存在するのは、自然の流れだと著者は分析する。
最終章でアンダーソンは、トランプ大統領の当選は、残念ながらアメリカの宿命だったと語る。そしてアメリカ人がいまの状態から抜け出すためには、これまでの歴史をくつがえすだけの「強い思想」が求められるという。それは何なのか、まだ誰も見つけられずにいる。
ここに挙げた以外にも、いままで知らなかった数多くの出来事が記されている。思いもつかない著者の洞察には、はっと気づかされる。アメリカについて理解を深めるには格好の本だ。
米国のベストセラー
(eブックを含むノンフィクション部門)
10月8日付The New York Times紙より
※『 』内の書名は邦題(出版社)
1 What Happened
Hillary Rodham Clinton ヒラリー・ロダム・クリントン
2016年大統領選で何が起きていたのか。クリントン氏が振り返る
2 Killing England
Bill O’Reilly and Martin Dugard ビル・オライリー&マーティン・デュガード
アメリカ独立戦争を米合衆国建国の父たちの言葉から検証する
3 Unbelievable
Katy Tur ケイティ・ター
2016年の米大統領選でトランプ候補の番記者を務めた女性の回想録
4 The Autobiography of Gucci Mane
Gucci Mane with Neil Martinez-Belkin グッチ・メイン&ニール・マルチネス=ベルキン
米アトランタを拠点にする人気ラッパーが刑務所生活を含む半生を語る
5 The Glass Castle
『ガラスの城の子どもたち』(河出書房新社)
Jeannette Walls ジャネット・ウォールズ
機能不全家族のもとで育った著者の手記。今夏公開された映画の原作
6 The paradigm
Jonathan Cahn ジョナサン・カーン
古代イスラエル王国で起きた出来事と現代の米国の類似点を検証する
7 Astrophysics for People in a Hurry
Neil deGrasse Tyson ニール・ドグラース・タイソン
宇宙を司る法則について米天体物理学者がわかりやすく説明
8 Hillbilly Elegy
『ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち』(光文社)
J.D. Vance J・D・ヴァンス
イェール大大学院修了の著者が出身地の白人貧困労働者たちの生活を語る
9 Fantasyland
Kurt Andersen カート・アンダーセン
宗教を含めた米国史を約500年前まで遡り、現状を考察する
10 Al Frankenstein, Giant of the Senate
Al Franken アル・フランケン
大人気の元コメディアンで現職上院議員を務める著者の回想録