◇太平洋の「壁の世界」
米南部サンディエゴの出入国施設から約8キロ。州立公園の入り口に車を止めて草むらをしばらく歩くと、緩やかな弧を描く長い砂浜に出た。
予想外の光景だった。砂浜から、武骨な鉄柵が海に突き出ているのだ。人影は少なく、柵は海を舞う鳥たちの止まり木になっていた。
柵の隙間から見えるメキシコ側は別世界だった。建物が密集し、水着姿の家族連れでにぎわう。
声をかけようと柵に近づくと、クラクションが鳴った。近づくな。高台で監視していた国境警備隊の車両からの警告だった。
後日、メキシコに入国して壁の向こう側を訪ねた。
メキシコ側からみると、鉄柵はカラフルな落書きで彩られていた。
トランプの名にひっかけた「LOVE TRUMPS HATE」(愛は憎しみに勝る、の意)とのメッセージもあった。
フレンドシップパークと呼ばれる公園に数組の家族が集まっていた。鉄柵は二重構造だが、毎週土日の午前10時から午後2時の間だけ、米側の扉が開かれる。メキシコ側にある小指の先ほどの鉄格子を挟んで、家族と向き合うことができるのだ。
GLOBE10月号の表紙で伝えた家族に出会ったのもこの場所だった。
両手で鉄柵を握りしめた看護師ベロニカ・ルビオ(41)の視線の先、壁の向こうの世界には、高く抱き上げられた赤ちゃんがいた。めいのソフィアは生まれて3カ月。会うのは初めてだった。
再会が許された機会とはいえ、国境警備隊が管理するこの場所に足を運ぶのは容易ではない。身分証の提示を求められる心配があるためだ。ベロニカが米国で働く弟と会うのも5年ぶり。滞在許可を持たない弟にとっては「覚悟の行動」だったという。
「昔は柵なんかなくて、一緒にバーベキューできたのにね」。鉄格子越しに思い出を語り合うベロニカと弟の脇で、妹とおいが無言ですすり泣いていた。
そばにいた主婦クパティナ・ラミレス(66)も、米国に住む娘に会ったのは17年ぶりだった。直線距離で約2500キロ離れたメキシコ南部から足を運んでいた。通訳をしてくれた地元カメラマンは私に「もう会えるのは最後かも、と思って頑張ったんだろうね」とつぶやいた。
近くに赤いハートが描かれた非常扉があった。移民支援団体の働きかけで2013年から、年に2回ほど開かれるようになった。数家族が数分間ずつ再会でき、「希望の扉」と呼ばれている。団体関係者(写真)は「短時間とはいえ、愛する家族と会える機会ができました」と語った。
◇メキシコ湾の「壁なき世界」
太平洋岸から東に約3200キロ。テキサス州ブラウンズビルで高速道路を降りて州立公園を進むと、メキシコ湾に出た。地図で見ると、国境はもう少し南だ。道はなかったが、行けるところまで行ってみようと、私は砂浜を車で走った。
5キロほど先で、やっと砂浜が途切れた。国境を区切るリオグランデ川の河口に着いた。
壁はなかった。建物もなく、川と海と砂浜があるだけだった。
十数メートル先の川向こうのメキシコでは、多くの家族連れが釣りや海水浴を楽しんでいた。
カメラを向けると、ピースサインをしたり、「USA!USA!」と陽気にエールを送ってくれたりした。
海は遠浅で、米国側に数十メートルも入った地点の海中で釣りをしているメキシコ人もいた。「こっちの方がよく釣れるんだ。でも上陸したらダメ。すぐに国境警備隊が来る」と釣りに来ていた地元の元警官カルロス・フロレス(47、写真左)。引き潮で水が少ない時には、川幅はぬれずに歩いて渡れるほど狭くなる。密入国する人も絶えず、数年前から警備隊が検問を設けて警備を強めているという。
それでも国境の両側の結びつきは強い。大火事や洪水のときに米国の消防隊がメキシコに支援に行ったり、米側の行事にメキシコから参加したりすることも多いという。「個人的な意見だけど、助け合いは本当にうまくいっていると思う」