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近代建築の巨匠に「後輩」の実績奪った過去…現代の職場「あるある」

シネマニア・リポート 更新日: 公開日:
『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』より、アイリーン・グレイ役のオーラ・ブラディ © 2014 EG Film Productions / Saga Film © Julian Lennon 2014. All rights reserved.

建築に少しでもかかわる人なら、その名を聞くだにひれ伏しそうな近代建築の巨匠、故ル・コルビュジエ。その彼が、同時代の家具デザイナーで建築家の故アイリーン・グレイをこれほどまでに妬み、彼女の作品を我が産物かのように扱っていたとは。現代の職場「あるある」にも似た確執を描いたベルギー・アイルランド映画『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』(原題: The Price of Desire)(2015年)が14日公開。グレイの研究家でアイルランド国立博物館キュレーターのジェニファー・ゴフに、東京でインタビューした。

今作は1920年代、フランスで家具デザイナーとして活躍していたアイルランド出身のグレイ(オーラ・ブラディ、56)が建築にめざめ、恋人の建築評論家ジャン・バドヴィッチ(フランチェスコ・シャンナ、35)と住むべく、南仏カップ・マルタンの海辺に理想の別荘「E.1027」を設計するさまから始まる。のちに「モダニズム建築史上の傑作」と称えられる建築物だ。2人と交流するル・コルビュジエ(ヴァンサン・ペレーズ、53)はE.1027を訪ね、40代で建築を始めながらたぐいまれな才能を発揮したグレイに驚嘆。嫉妬し、陰口を叩き、ついには無断で邸内に卑猥な壁画まで描いてグレイを怒らせる。バドヴィッチも彼女の名を設計者として雑誌に記さず、E.1027はすっかり「ル・コルビュジエの作」として知られるように。女性関係も絶えないバドヴィッチの元を去り、ひとり創作に打ち込むグレイ。第2次大戦でナチス・ドイツも攻め入り、E.1027にもドイツ軍の銃弾が撃ち込まれる。

ゴフへインタビューしたのは、今作の試写トークイベントが開かれた東京・上野の国立西洋美術館。世界文化遺産に昨年登録されたばかりの国立西洋美術館は、ル・コルビュジエが本館を設計。建築史に残る彼の作品群は世界各地で称賛されている。そんな彼だからこそ、脅威と感じるほどの才ある女性が突如現れ、狼狽したということだろうか。レベルの高い「嫉妬」だが、職場をはじめ身近に置き換えてもありうることだ。

今作の監督・脚本を務めたメアリー・マクガキアン監督(54)は脚本執筆前の段階から、グレイを20年以上研究するアイルランド国立博物館のゴフの元を訪れ、グレイの個人的な書簡を含む記録にあたり、グレイやル・コルビュジエの世界中の専門家と連絡をとった。「だから映画は、とても正確なものとなった。ある部分はフィクションだけれども、E-1027をめぐるグレイの精神はとても正しく描かれ、ル・コルビュジエとの緊張関係も巧みに再現されている」とゴフは話す。

 ゴフは語る。「ル・コルビュジエも当時、スイスやパリで住宅の設計に取り組んでいたが、居間はE.1027のように間仕切りのないものでありながら、他の部屋との動線がよくない、ちぐはぐなものだった。一方、グレイのE.1027は部屋同士のつながりが見事。家屋を少し傾けて、どの角度からも日光が入るようにした。ル・コルビュジエは、建築家の自分が成し得なかったことをグレイが独学で成し遂げたと悟った」

ル・コルビュジエが、E.1027を自作だと見なされても訂正しなかった背景には、「もっと深いものがある」とゴフは言う。完璧さを求めるグレイは当時、雑誌に「この別荘は完璧ではない」と語ったという。「ル・コルビュジエは真に受け、これを完璧にするため何かを足したいと感じた」とゴフは解説する。現存する中で、彼の壁画がこれだけ集中しているのは他にないそうで、「彼としても、ここを建築物や住宅としてではなく、自身の壁画のある場所として記憶されたいと思うようになった。そうしたエゴから訂正しなかった」。設計者からすれば迷惑な話だ。グレイはどんどん内にこもって創作にふけり、一方でル・コルビュジエはますます名声を高めていった。

『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』より © 2014 EG Film Productions / Saga Film © Julian Lennon 2014. All rights reserved.

 ただ、「最後に誰が笑ったか?という話でもある」とゴフは言う。

E.1027の本当の設計者が広く知れ渡るようになったのは1968年。ワルシャワ出身の建築史家ジョセフ・ライカートが、グレイのめいから聞きつけ、グレイに会ったうえで当時の秘話を明らかにした。建築界は騒然。98歳まで生きた彼女の作品はより高値がつくようになった。一方のル・コルビュジエはすでに他界。彼の最期は映画でも描かれているが、その場所や状況は、なんとも考えさせられる。

インタビューに答える、アイルランド国立博物館キュレーターのジェニファー・ゴフ=東京・上野の国立西洋美術館、関田航撮影

 それでも、「私はル・コルビュジエの人間的な面が好き」とゴフは言う。「私は彼の感情を嫉妬とは言いたくない。互いが競い合ってぶつかり、それがグレイではなくル・コルビュジエを、よりかき乱した。激情型の彼は南仏で『マッドマン』と呼ばれていたけれど、彼も彼女に会っていなければ、こんなことになっていなかったのでは」

それに、ル・コルビュジエがE.1027を我が産物のようにふるまったおかげで、彼女の名がさらに後世に残ったという皮肉な指摘もある。「まったくその通り。グレイの家具が廃棄されるのをル・コルビュジエがやめさせる場面が今作にありますが、実話です。彼が彼女の家具を保存し、E.1027はまた注目された。皮肉ですよね」とゴフは語る。

『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』より © 2014 EG Film Productions / Saga Film © Julian Lennon 2014. All rights reserved.

今作は、グレイがバイセクシュアルだったことも描き出している。アイルランドは今年6月、同性愛者だと公言する人物では同国初の首相、レオ・バラッカー(38)が就任して話題となったが、アイルランドはそもそも有数のカトリック国。バイセクシュアルの女性は、当時はとても珍しい存在だったのではないか。ゴフは言う。「グレイはあらゆる面で型破り。女性が男性の同伴者なしにバーに出かけるなど許されなかった時代、女性とペアで代わる代わる男装してバーに行ったりした。それが明るみになり、親族から問題視された」。そうしてグレイはフランスへ渡った。

マクガキアン監督は英領北アイルランド出身。英国は欧州連合(EU)離脱後も従来通り、アイルランドとの間に物理的な国境を設けない方針を示しているが、EUからは「いいとこ取り」と反発も上がっている。北アイルランドの監督がアイルランドの人物に取り組んだのは、そうした議論を先取りするかのようだ。「アイルランドと北アイルランドは長年、文化だけでなくあらゆる面で共生関係にある。EU離脱で物理的な国境が再び設けられることなどないよう願う。そんなことをしたら、いろんなことがうまくいかなくなる。私たちのような文化に携わる人間の責務は、政治的な介在をはねつけること。今回のように、南北アイルランドでともに仕事をしてうまくやっていれば、政治は立ち入れなくなるだろう」

『ル・コルビュジエとアイリーン 追憶のヴィラ』より © 2014 EG Film Productions / Saga Film © Julian Lennon 2014. All rights reserved.

ル・コルビュジエ役を演じたヴァンサン・ペレーズには、監督・脚本家としての最新作『ヒトラーへの285枚の葉書』(2016年)についてシネマニア・リポート[#53]でインタビューしている。彼はル・コルビュジエと同じスイス出身。今作では、かつての出演作とはうって変わって、厄介な気質のメガネ姿のル・コルビュジエを怪演している。