今週のアカデミー賞授賞式で最も胸を打った受賞スピーチの一つは、メキシコ系の少年がスペイン語で放った一言だろう。「¡Que viva México!(メキシコ万歳!)」。これが今の米国でどれほど重みを持つことか。メキシコの物語を描いてアカデミー長編アニメーション賞に輝いた16日公開の『リメンバー・ミー』(原題: Coco)(2017年)は、メキシコ移民を追い出しにかかり、国境に壁も作ると息巻くトランプ政権下の米国で喝采を浴びた。リー・アンクリッチ監督(50)とエイドリアン・モリーナ共同監督(32)に、それぞれ聞いた。
主人公はメキシコの少年ミゲル(声: アンソニー・ゴンザレス)。ミュージシャンを夢見て、自作のギターで密かに腕を磨いてきたが、一家は音楽を厳禁。ついにはギターまで壊されて打ちひしがれるミゲルだが、伝説の歌手エルネスト・デラクルス(同: ベンジャミン・ブラット、54)が実は高祖父ではないかと思うようになり、希望を見いだす。思いあまってデラクルスの墓所に忍び込むが、遺品のギターを奏でるうち、「死者の国」へと迷い込む。折しも年に一度の行事「死者の日」。先祖の助けで日の出までに「生者の国」へ戻らなければ永遠に帰れなくなるが、ミゲルはそこでも音楽活動に反対する先祖たちと衝突。実の高祖父と信じるデラクルスを探し求めて「死者の国」の奥深くへと飛び出したミゲルは、陽気で孤独なヘクター(同: ガエル・ガルシア・ベルナル、39)と出会う。
アカデミー賞授賞式で「¡Que viva México!(メキシコ万歳!)」と叫んだのが、ミゲルの声を演じたメキシコ系米国人のアンソニー。ヘクターは、米国でも人気のメキシコ人俳優、自称「出稼ぎ労働者」のガエルだ。ちなみに一般にはヘクターと表記されるが、これは英語読み。メキシコに敬意を払って、ここからはスペイン語読みの「エクトル」と呼ぶことにしよう。実際、スペイン語まじりの英語オリジナル版でも「エクトル」と呼ばれている。
さて、そんな「メキシコ万歳!」な映画は、米国より先にメキシコで、死者の日に合わせて2017年10月に公開されるや、メキシコ歴代の興行収入1位を記録した。米興行収入データベースサイト「ボックスオフィスモジョ」によると、翌月公開の米国でも3週連続で週末の興行収入が1位となり、世界の興行収入は約7億4000万ドルに達した。
「死者の日」って?という方のために解説を。メキシコなどで長年続く、先祖の魂を迎えるための年に一度の伝統行事で、先住民の儀式を起源にカトリックの普及とともに発達、ユネスコの無形文化遺産に登録されている。考え方は日本のお盆に似ているが、メキシコの場合はお祭り感がとても強い。先祖が「死者の国」から家族のもとへ帰る道しるべとして、鮮やかなオレンジ色のマリーゴールドの花びらが街中にふんだんにまかれ、色とりどりのガイコツ形の置物やお菓子、マリアッチ楽団の音楽や踊りがそこかしこにあふれてにぎやかだ。私は残念ながら、この期間にメキシコに行く機会はなかったが、少し過ぎた時期に訪ねて、ガイコツ形の飾りや、マリーゴールドの名残を目にしたことが何度かある。このオレンジ色が、カラフルなメキシコの家並みとぴったり。今作でもその色鮮やかさが実にリアルに再現されている。
アンクリッチ監督がこの映画を構想したのは、彼が初めてオスカー像を手にした監督作『トイ・ストーリー3』(2010年)の公開頃だったそうだ。当時の米国は多様性をうたうオバマ政権下だったが、メキシコ移民やその子孫はすでに増え、反移民の運動も各地で起きて、移民対策は当時も政権の課題となっていた。
米メディアによると当初は、死者の日をモチーフにしつつも、メキシコ系の米国人少年を主役に据える構想だったそうだ。それを「丸ごとメキシコの物語」に変更したのは、メキシコの伝統は現地の視点で描くべきだと考えたからだという。この英断がなければ、今作はここまでヒットしなかったのではないか、と私は思う。折しも、製作が進む一方で、米社会での反移民のうねりはどんどん高まり、メキシコを悪し様に罵ってはばからないトランプ米大統領が誕生。米国のエンタメ大手ウォルト・ディズニー・カンパニーの傘下にある名門ピクサー・アニメーション・スタジオが、かつてない 「完全にメキシコ視点の物語」を描く意義が、一気に高まった。
今年2月初め、出張先のロサンゼルスで映画関係のイベントに顔を出し、偶然にもアンクリッチ監督と居合わせた。アニー賞授賞式の会場へと急ぐ前のタイミングだったが、声をかけると質問に気さくに応じてくれた。
「死者の日に長い間関心があったんだけど、実際に映画を作ってラティーノの人たちと話をするにつれ、これは大きな影響力を持つ作品になりそうだ、ラティーノ社会には重要な映画になるだろうと思った。そうして実際、そうなった」。トランプ政権下だからこそ?と聞くとうなずきつつ、「今、米国で政治的に起きていることを考えると、ラティーノ社会を前向きに描き、世界に良いメッセージを届ける映画の登場を、多くの人が誇りに感じたのだと思う。そのためにこの作品を作ったというわけではないけれど、そうなったことで、私たちもとても誇らしく感じている」
ディズニーは2013年、死者の日を表すスペイン語「Día de los Muertos」を映画のタイトルやおもちゃなどに使えるよう米特許商標庁に商標登録を申請したことがある。ディズニーとしてはいつものプロセスだが、メキシコ系住民からすると、自分たちの伝統を表す名詞を自由に使えなくなる話でとんでもない。「文化の搾取だ」とラティーノの団体は猛抗議、ネット上で反対の署名運動も巻き起こり、ディズニーはタイトルを変更、申請を取り下げた。この迅速な対応がなければ、ラティーノ社会から今作がこれほど受け入れられるようになったかどうか。並行して、ピクサーは外部のラティーノの人たちをコンサルタントに迎え、米国人クルーらをメキシコに何度も派遣し、現地の視点を取り入れるのに腐心した。
当初は絵コンテの担当だったピクサーのメキシコ系米国人モリーナが共同監督かつ共同脚本家に「昇格」したのも、「ほんもののメキシコ」を作品にもたらす推進力になった。アニメーションの世界だけでなく、米映画界全体としてラティーノが少ない中、画期的な登用でもある。
来日したモリーナ共同監督はインタビューで、「このプロジェクトを聞いた当初から、なんとか自分もかかわれるようにと祈っていた。するとアンクリッチ監督もプロデューサーのダーラ・K・アンダーソンも、私に入ってほしいと言ってくれた」と笑顔で語った。
自身は米カリフォルニア州出身だが、母はメキシコ中部ハリスコ州で生まれ育ち、小学校時代に米国に移り住んだ移民だ。モリーナ共同監督は幼い頃から夏休みやクリスマスにはメキシコを訪れ、5~6回は長期滞在もした。「家族が米国にいる一方で親類がメキシコにいるというのは、文化的に特別な環境だ。両親が経験した伝統や価値観への誇りをもって、物語を語りたかった」
もちろんモリーナ共同監督は、「メキシコ系だから」という表面的な理由で加わったわけではない。劇中、エクトルの友人チチャロンが最期の曲を奏でる場面があるが、これはモリーナ共同監督のアイデアだそうだ。アイデア段階でアンクリッチ監督に伝えると、「死者の国の掟について、胸を打つ形で観客を誘う手法として、彼はとても気に入ってくれた。もっとアイデアがあるか尋ねられ、私が次々と出すうち、脚本も書くようになったんだ」とモリーナ共同監督は言う。
今作では、音楽をやりたいミゲルが、ただ好き勝手に家を飛び出すのではなく、家族の了承や祝福を得ようとあくまで奔走し続ける。まさに家族重視のメキシコの価値観の表れだが、この構図もモリーナ共同監督の個人的な経験の反映だという。「カリフォルニア芸術大学へ進むため、家を出て荷物を車に積んだら両親とも、自分たちの了承を得てからにしてほしいと言った。そんなことは今までなかったんだけど、私が言われるままそうすると、両親は私のために祈り、『あなたがどこへ行こうと支えるし、愛している』と言ってくれた。とても意味のある経験で、この感じを物語に注ぎ込めないかと思った」
米国で作られた「外国モノ」は往々にして、舞台となった国や地域ではウケなかったりもするが、今作がメキシコでも熱狂とともに迎えられたのはそうした積み重ねがあったということだろう。「『よく描かれている』『価値観をちゃんと反映している』とメキシコの人たちにも思ってもらえるよう、また描写も正確になるよう懸命に努めた。同時に、先祖とのつながりという意味ではとても普遍的で、懐かしい記憶を思い出させるきっかけになった。だから、家族や近しい人たちと一緒に見たい、と多くの人に思ってもらえたんだと思う」とモリーナ共同監督は解説した。
そもそも、「メキシコやラティーノの文化をそのまま描くこと自体、米国でも他の国でもなかなか目にしない」とモリーナ共同監督。しかも、重ねて言うが、公開はトランプ米大統領誕生の年。「だからこそ、メキシコ系の子どもたちにとっては、自分たちの世界が脚光を浴びるのを見る意義が非常に大きく、斬新なこととなった。美しい伝統や家族を持つ自分たちの姿や、その良きイメージを世界に伝えるのは今とても大切で、必要なことだと思う」
モリーナ共同監督は今回のインタビューでも、またアカデミー賞授賞式の受賞スピーチでも、「私の夫」に言及した。つまり、配偶者は同性だ。
メキシコ視点の物語を描いたピクサーに、今度はLGBTQの物語に取り組んでほしいとの声がさまざま上がっている。世界的に名高いピクサーが取り組むことで、今なおくすぶる偏見を減らすことになる可能性は高いし、子どもたちへの影響も大きいだろう。モリーナ共同監督は「そうした映画が作られるのはすばらしく、見てみたいし、私としてもぜひやってみたい」として、意義を強調した。「人とは違う経験を持つ人たちに共感する機会を見いだすことで、物語の力は強くなる。そうしたところにこそ、とても美しくて迫力のあるお話がたくさん埋もれている。多様なキャラクターで表現されたストーリーを、私ももっと見たい」