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「脳科学」と「人工知能」知識を結びつけ 新たな「知の体系」に挑む

Breakthrough 突破する力 更新日: 公開日:
マウスを使ったニューロンの実験装置前で、共同研究するドイツ人准教授のベアン・クン(右)と話す銅谷賢治 Photo: Semba Satoru

少しずつ重なり合うように描かれた三つの円は、研究室がカバーする三つの領域を表している。

ひとつめの円は、「ロボティクス(ロボット工学)」。小型の学習ロボットを使って、ネズミの動きをまねさせる。二つめは、「ニューロバイオロジー(神経生物学)」。こちらは、生きたマウスに学習させて、脳内の神経細胞(ニューロン)の働きを調べる。三つめは、「ラーニング・セオリー(学習理論)」。コンピューターのなかに、脳が学んでいく仕組みを再現させる。

マウスを使った動物実験で脳の働きをさぐる生物学的な研究と、ロボットやコンピューターシミュレーションでその原理にせまる工学的な探求と。おなじ「脳科学」でも、これまで別々の研究室で行われていた研究を、銅谷は、ひとつの研究室のなかで行い、その成果を互いにフィードバックさせる。

2011年に開学したOIST自体、物理学や生物学など、古くからある大学や研究機関ではあまり交わることのない分野の研究者を一堂に集め、その境界領域に新しい分野を切り開くことを目的のひとつに掲げる。そのなかにあっても、銅谷の研究室は、ひときわユニークな存在になっている。

「国際的、学際的な研究機関をめざすのがOIST。ならば、ひとつの研究室のなかに、異なる領域の研究をするチームを設けて、学際的な研究ができる仕組みをつくりたかった。日本の大学ではこれがなかなかできなかった。じゃあ自分たちでつくっちゃおうという感じでした」

ロボットからロブスターの胃袋へ

自分が定めた研究テーマを突き詰める上で、学ぶべきことがあるなら、たとえ専門外でも飛び込んでいけばいい。それはそのまま、銅谷自身のあゆみにもかさなる。

人や動物がどうやって動き方を学んでいくか。東京大学工学部に進んだ銅谷がまずテーマにしたのが、それをロボットで再現することだった。考案したのは、手のひらにのる小さな学習ロボット。いま風にいえば、運動制御付きのAIロボットといえるだろうか。

ただ、銅谷は当時、第2次ブームのさなかにあった人工知能には、のめり込めなかった。専門家の知恵を丸ごとAIに移植する「エキスパートシステム」と呼ばれる注目の技術は、「この場合には」「こういう行動をとる」と場合分けしたルールをすべて書き出し、プログラム化する必要があった。「どう動かせばいいか、全部を言葉にすることはできないのでは」。スキーのインストラクターをしていた彼らしい直感だった。

修士課程を終え、そのまま助手に採用されたが、大学内にとどまることへのためらいもあった。雑用に追われ、研究に回す時間が限られるという不安も感じていた。ならば、一歩、外に踏み出してみよう。まず米カリフォルニア大学サンディエゴ校の生物学科の研究室で、ポスドク研究員になった。

向き合ったのは、ロブスターの胃袋。そこから神経細胞が束になった節をとりだし、ロブスターの胃がぜんどう運動を起こす仕組みをさぐった。「とても単純にみえる神経回路でも、複雑な動きを起こせることを実感した。ここから、どんな進化をするのか、進化論的なイメージももてるようになった」

次に席を移したソーク生物学研究所では、計算論的神経学を専門とするテレンス・セジュノスキーの研究室に入った。脳の神経細胞がどう結びつき、どんな信号をやり取りしているか。これまでの実験データをもとに、その仕組みを数式にまとめあげる。当時、世界ではあまり例のない研究室で、多彩な人材が集まっていた。囲碁AIの「アルファ碁」を開発した英ディープマインド社のCEO、デミス・ハサビスの先生だったピーター・ダヤンもその一人。「ここから各地に巣立っていった研究者の多くが、現在の脳科学やAI研究を引っ張っています」と、銅谷は振り返る。

生物学の実践と、計算によるモデル化。その両方にふれた銅谷は、帰国後、この二つの分野に足場をおく。まず国際電気通信基礎技術研究所(ATR)時代には、人の脳は、大脳皮質と大脳基底核、小脳の三つの部分が、それぞれ異なる役割をもちながら、学び、判断する回路を生み出している、という仮説をまとめる。ただ、ATRには動物実験の施設がない。

もどかしさを感じていたとき、学際研究を重視するOIST設立構想を耳にする。銅谷は、開設準備にあたる旧知のノーベル賞学者、シドニー・ブレナーにメールをだした。「ぜひ、手伝いたい」。先行研究者の一人に選ばれ、理論と実践の環境を整えた。

OISTに移った銅谷は、脳内の神経細胞を光で刺激したり、計測したりする新技術を用いたマウス実験に取り組み、エサなどの報酬を得るために行動を学ぶ「強化学習」の脳内での仕組みをさぐった。神経伝達物質セロトニンが、待ちつづける「辛抱強さ」と深く関わることを見いだしたのは、実験の成果のひとつ。もともとロボットネズミのなかに「うつ状態」のロボットが現れたのがきっかけで、その成果ともいえた。

銅谷には、多忙でも欠かさない日課がある。トライアスロンのトレーニングだ。早朝の小一時間、砂浜を走り、浅瀬を泳ぐ。サンディエゴにいたとき、ショートトライアスロンに出たのが始まり。ATR時代には研究所周辺の丘陵地帯を走り込み、2000年にフルトライアスロンを完走した。世の中には、お金のかかる道楽も、時間のかかる道楽もある。「でもトライアスロンは、体力も精神力も限界までつぎ込まないといけない。究極の道楽です」

愛犬と一緒に日課のランニング。数々のトライアストン大会に参加している  Photo; Semba Satoru

競技仲間には「一番あきらめの悪いやつ」と言われる。昨年の大会では180キロの自転車走の途中でタイヤがパンク。40回ほど空気を入れ直し、最後はつぶれた状態のまま走りきった。

「仕事とは別の状態に、自分の体と脳をもっていけるところがいい。いろいろと忙しくても、この道楽に時間を使えるんだから、文句はいえないな、と」

次世代の脳型AIをめざして

沖縄県恩納村の研究施設は、「やんばるの森」の自然と共存するため環境アセスメントを重ね、山の頂に建設されたという Photo: Semba Satoru

そして、いま新たに取り組むのが、脳科学と第3次ブームを迎えた人工知能との融合だ。

今回のAIブームの主役は、脳が働く仕組みを模した「ニューラルネットワークAI」。脳の機能をさぐる脳科学とは、密接な関係にある。たとえば世界のトップ棋士を破った「アルファ碁」は、異なる三つのAIを組み合わせている。それは銅谷がとなえた「小脳(教師あり学習)」「大脳基底核(強化学習)」「大脳皮質(表現学習)」の役割を、AIプログラムで実現させた形ともいえる。

脳科学と人工知能が学びあう、いい機会。そう考えた銅谷は、双方の研究者とともに「人工知能と脳科学の対照と融合」という新たな研究プロジェクトを立ち上げた。めざすのは脳の数理学的解明、そして「脳型AI」の開発だ。

「脳はどうやって、その機能を柔軟に組み合わせ、学び、行動しているか。具体的な仕組みの解明が、脳科学にとっても人工知能にとっても必要です。互いの知識を持ち寄り、融合させることで新しい理論や技術につなげていきたい」(文中敬称略)

Profile

  • 1961 東京生まれ
  • 1980 東京大学入学。工学部計数工学科へ進学し、修士課程へ
  • 1986 修士課程修了後、同大工学部助手に就任
  • 1991 博士号(工学)取得。米サンディエゴへ。約3年間の滞在中、カリフォルニア大サンディエゴ校、ソーク生物学研究所に在籍、ポスドク研究員として神経生物学・脳科学を学ぶ
  • 1994 国際電気通信基礎技術研究所(ATR)主任研究員。自ら行動を学習するロボットの開発と、脳の学習の仕組みの研究を行う
  • 2004 沖縄科学技術大学院大学(OIST)先行研究代表研究者
  • 2008 Neural Networks誌共同編集長
  • 2011 OIST設立とともに神経計算ユニット教授、副学長(研究担当)に就任
  • 2016 「人工知能と脳科学」新学術領域代表

■Memo
沖縄とトライアスロン…2001年から宮古島のフルトライアスロン大会に毎年参加し、年代別の3位に3回入賞。ダイビングをする妻の三奈子と沖縄を頻繁に訪れるなか、その魅力にひかれていった。「最初にOISTへの応募を勧めてくれたのは彼女。背中をおしてもらっています」
最初のロボット学部の卒論用につくった、手のひらサイズの2足ロボットは、足の開き加減を切り替えるだけで、赤ん坊のハイハイのような動きをしたり、活発にジャンプしたりした。効率よい動きに近づけるフィードバック機能もついていた。
午後4時のお茶銅谷の部屋の前の談話スペースに、手のすいた研究員や院生らが飲み物を手に集まる。セジュノスキー研究室のティータイムを見習った。「くつろいだ、なにげない会話、風通しのよさが、新しいアイデアにもつながります」

休憩のティータイムに各国からの学生や研究者と談笑する銅谷賢治(左)=いずれも沖縄県恩納村 Photo: Semba Satoru