“Trump’s Blood Sport Politics”
2018年2月2日付 ニューヨーク・タイムズ紙
私はウォールストリート・ジャーナルを何年も購読している。論説は割と保守的だが、私は政治的に無党派なので、ニュース価値だけに重点を置いて読んでいる。
だが先日、オピニオン面のある記事には反発を感じずにはいられなかった。カリフォルニアの高速鉄道計画の問題点を分析したもので、一つの側面に違和感を持った。書いた人は問題を「リベラル」のせいにし、リベラルという言葉自体を悪いレッテルのように使う。自分と違う意見の人は愚かだと決めつけているようだった。その発言自体、gratuitous(不必要な)ものだが、最近の政治における敵対的雰囲気の表れだとも感じた。
今回のニューヨーク・タイムズの記事は、そうした問題を指摘。スーパーボウルの開催を機に、スポーツと政治の関係をコメント。政治の著書もある記事の筆者の意見では、米国政治はblood sport(血を流す競技)のようになり、立候補時からそれをintuited(直観していた)のがトランプ大統領だった。だから競争相手が政策をdroned on(ダラダラ長話していた)中、ただ1人trash talking(人の悪口)でディベートで優位に立ち、政治集会でelitist losers(エリート主義者の負け犬)をばかにして「勝ち」の新時代を築くと約束したという。
筆者の解説では、米国人は民族として地理的にuprooted(根を下ろしておらず)、宗教面でもunmoored(いかりを下ろしていない)ため、スポーツに米国人としてのアイデンティティーを求めるようになった。政治でも米国人はtaking sides(どちらか一方の肩を持つ)ようになり、そうしたアピールをしたトランプが人気を集めた。共和党のエスタブリッシュメントも、negative partisanship(相手政党への根深い嫌悪感からくる消極的党派心)からトランプ支持に回ったと解説する。
政治のスポーツ化はマスコミにも影響。ハーバード大の調査では、2016年の選挙報道で政策に関するものは10%だけだった。現在も大きな法案に関する報道は、内容より投票数や誰が勝つか負けるかに重点が置かれている。私は敵対的な雰囲気は嫌いだが、この状況がすぐに改善される見込みは、残念ながらないように思う。
(ニューヨーク・タイムズ紙の記事はこちら)